仮面の奥
その道化師は、燕尾服で身を包み、顔全体を覆うヴェネチアンマスクで素顔を隠す、如何にも怪しげな風体の男。
不遜な態度と共に現れたその道化師の喉元には、いつの間にか鋭い剣先が突き付けられていた。
「ピエロ…使役されている魔物風情が、ご主人様を侮る発言は許しませんよ」
到底人の目には見えぬ速さでその刃を突き付けたのは、他ならぬイーリスであった。
「おやおや?これはイーリス君じゃあないか。相変わらずカナタ君の腰巾着をしてるんだ?アハハ!」
「あまりお喋りが過ぎるとその気色悪い首から上と胴体を切り離しますよ?以前の私と同じと思わないことです」
イーリスを纏う空気が重くなる。
イーリスの本気を感じたのか、リットやリーゼ、ツインは真っ青になり震えているようにも思える。
「やめろ、二人とも。また争うために呼んだわけじゃない。ピエロもあまり挑発するな。とりあえず事情を話すから落ち着け」
後ろで怯えている三人の為にもイーリスとピエロを離させる。だがピエロの反応は今までに無いものだった。
「いいよカナタ君!僕に気を遣わなくても君達の事情は全て分かっているよ?全部カナタ君の闇から覗かせて貰ってたからね!フフフ」
「…何?」
ピエロは仮面を押さえて笑う。
俺の中で全てを見ていた?一体どういう…。
「僕はもう0と1の存在じゃあ無いんだ。制約のある君の女達とは違うよ?覗き見る事くらい簡単さ。だから君達のやろうとしていることも知っている」
ピエロは指を擦りパチッと鳴らす。すると何も無かった空間に三つの映像が現れる。
一つは知っている景色だった。ヘテルベルク王国の王都、レディアベルクだ。
ソーニャが泊まっていた森の子鹿亭や第二城壁の中にある自然公園まで映し出されている。
後り二つも大きな街並みが映し出されている。一つは綺麗な煉瓦造りの大通りや、賑やかな繁華街。もう一つは白を基調とした街並みで、道や建物も白や灰のものが多く見られる。至る所にモニュメントらしき物があり、人々がそれらを崇めている。
これはきっと帝国と聖教国だろう。これを見せてきたと言う事は、ピエロは本当に俺たちがやろうとしている事を理解しているのだろう。
「いいじゃないか!僕に任せるといい!そこに生きている者全ての記憶に残るように僕が舞台を作り上げてみせるよ!ハハッ!ハハハハハハハハ!!」
プツンと映像が消え、何も無かった空間に戻る。
その笑い声は何となくコイツを呼んだことを後悔しそうになる。
「大丈夫さ、カナタ君が思っているようなことにはならないよ。僕は安易な虐殺や差別は嫌いなんだ。捻りの無い物語なんて今どき三流作家でもしないね。それに僕はカナタ君を気に入っているからね。ご主人様の意向に逆らうような事はしないさ」
スッと音も無く俺の側へピエロは近寄ると、そのまま俺の腕を取り、自身の胸に押し当てた。
「おまっ!何を」
そこには先程まで無かった二つの大きな膨らみができていた。
「……ピエロ?」
イーリスが静かに怒りを込めて道化師を睨む。いつの間にか側に居たピエロは離れ、ピエロが居た俺の側にはいくつもの剣戟が生えていた。
「おっと、やめてくれよ。僕はカナタ君が望むなら女で過ごし、抱かれても良いくらいの忠誠心と愛を既に捧げているんだ。それが君達の特権だとは思わないで貰いたいね」
「特権だとは思っていません。カナタ様の配下なら身の程を弁えなさいと言っているのです。今回は見逃しますが次は無いと思いなさい」
張り詰めた空気が再び中庭を覆い出す。
ここから見える中庭の奥ではシルバーファングのるいるいが小さくなって怯えている様子が見えた。
「だからやめろ二人とも。どうであれ、ピエロは俺たちのやろうとしている事が分かってるなら話は早い。やってもらいたいことがある」
仮面の奥の素顔が笑っているのが分かった。こいつは性格の悪さでは『ヒストリアオンライン』内でダントツだ。
だが今の状況にコイツの性格は合っている。俺が背負うリスクは発生するが、計画の成功率を上げるなら最高の人材だろう。
「何なりと」
ピエロが恭しく頭を下げて一礼する。
俺は後ろにいるリットを手招きして呼び寄せ、まだ少し震えている小さな体を抱き上げる。
「リット、お前の作戦を話すんだ。ピエロも今からリットが話す内容は俺の言葉だと理解してくれ。いいな?」
「ハハ!いいよいいよ!お手並み拝見」
ピエロは愉快そうに笑い、余裕のある声で返事をする。
見えない仮面の奥ではずっと俺たちを観察し、嘲笑っているような気がしてくる。
「ほらリット、お前の計画を話していいぞ。今から話すお前の言葉は俺の言葉になる。ピエロは逆らわない」
「う、うむ」
少し怯えた表情を見せつつも、リットは考えていた計画を話しだす。
イーリスとピエロの纏う空気は先ほどまでのピリピリとしたものから、多少マシなくらいまでは元に戻っていた。
まだ朝の澄んだ空気の中で、南方諸国の情勢を一気にひっくり返す程の作戦計画がピエロに託される。
リットが計画を最後まで語り終えるとピエロは機嫌を損ねたような声で呟いた。
「なぁ〜んだ、そんなことか。つまなんないなぁ」
「……これはつまるつまらないの話ではないぞ?後の我等の計画の成功率を上げるための保険でもあるのじゃ。文句を言うでない」
ピエロは脱力したように腕を放り出し、目の前にタレットカードを出現させた。
「それってさぁ、離間の計ってやつじゃん?僕はもっと人間が絶望する顔が見たかったんだけどなぁ…まあ?小さな君の言葉はカナタ君の言葉だと認識してるから従うけどさ」
手慰みのようにタレットカードを宙で遊ばせ始めるピエロ。仮面で表情は見えないが、その声から不満が滲み出しているのがわかる。
「その代わり、細かい裁量はこちらで勝手に調整させて貰うよ?まあ、安心しなよ。君たちの期待以上の展開を生み出して見せるからさ」
抱えているリットは、何か言いたげな表情で不満を堪えているように見える。
やはり比較的《姉妹達》の中で話の通じるリットでも、道化師とは相性が最悪のようだ。
リット的には細かい所も自分で調整したいのだろうが、この異世界では強制し過ぎると後でどうなるか分からない。
ゲームシステムに縛られていない可能性の高いこの異世界では、もしかすると裏切りの可能性も出てくる。
ならば多少の譲歩は必要だろう。コイツに裏切られるのは非常に不味い。
「分かった。お前の好きにしていいぞ。だがやり過ぎないように程々にしておいてくれ。あとの計画に支障が出たら困る」
だがやり過ぎないように釘は刺しておく。コイツの場合、野放しにすれば口先だけで南方諸国くらい滅ぼしてしまう可能性もある。
そうなれば、今度は俺たちが今の連合国になってしまう。
「もちろん。読み手が面白おかしく展開を楽しめるように華を添えるのが僕の役目さ。無粋な事はしないから任せてよ」
そう言って嗤い、ピエロはその場から消えた。
慌ててピエロのステータス画面を見ると、既に周辺のマップには映らない箇所にまで転移している。
向かっている方角は東南。仮面を被った狂人は、既に王国の方面へ向かい動き出していた。
「やはりあ奴を呼んでもらったのは間違いじゃったかの…」
どっと疲れた様子のリット。リーゼやツインにも珍しく表情に疲れが見えている。
「そう気を落とすな。逆に考えればいい。あれだけゲーム内で苦労させられたピエロが今は味方として動いてくれるんだ。中々に頼もしいじゃないか」
不穏な動きを見せたら召喚を解除すればいい。裏切られる可能性も脳裏を過ぎったが、あいつは性格上裏切る事は無いと分かっている。
《姉妹達》からすれば最悪の根拠かもしれないが。
「さぁ、今日もそこそこやる事はあるぞ?一休みしたら俺たちも動こうか」
森を連合軍から守り通してまだ日が浅いある日の朝。召喚された狂人によってこの日を境に、異世界の歴史は更に加速して動き出す事になった。




