暗き狂人
「ご主人様よ、道化師のやつを召喚せぬか?」
リフ大森林にて迫りくる連合軍を全滅させて早三日の朝。
まだ夜も明けていない時間に俺は起こされていた。
「うぅ…なんでさ…。リットさんや、取り敢えず俺の上から降りないか?」
リーズリットに馬乗りにされて。
「ご主人様が起きぬのが悪い。昨晩はあれほどイーリス御姉様と熱い夜を繰り広げていたではないか。儂にも付き合ってくれても罰は当たるまい」
「あれは模擬戦だ。あいつの相手が俺と鈴以外に務まると思っているのか?」
我が家のジーニアス、リーズリットがそんな事が分からない訳が無い。そして何故か、ぷくーっと膨れっ面で寝ている俺の体を揺らし始めるリット。
あぁ…ここのところあまり相手ができていなかったら、模擬戦してたイーリスが単純に羨ましかっただけなのか。
「ぁー…ぁー…揺らさないで…分かった起きる。起きるから」
揺れが止まり、俺は暖かい毛布の中でもぞもぞと動き始める。
視界の端にある時刻を確認すると午前4時。
人間が起きていい時間では無い。
だが我が家のちびっ子代表のリットは何か用があって来たみたいなので、意を決して聖域から這い出る。
「うぅ…さむい」
「ほれ、人肌じゃ。儂を抱っこすれば暖かいぞ?」
目がまともに開かないので手探りでリットを探す。その小さく暖かい体を捕まえると両手で抱きかかえる。
「ぅー…あったかい。いい匂い…。可愛いって最強だな…」
俺の胸元にあるリットの頭に顔を埋め、開かぬ目の代わりに匂いや感触を堪能する。
現実でやれば通報されるに違いない。
「じゃろ?じきに目も覚める筈じゃ。暫くそうしているといいぞ?」
ぷにぷにの肌さいこー。
と危険極まり無い思考に陥りそうになっていると、突然寝室の扉が開かれる。
「ご主人様ぁ、飲み過ぎたえ…。頭が痛いえ…ご主人様の体でキュアして欲しいえ……何しとるんえ?」
入って来たのは酒の飲み過ぎで、辛そうな顔をした鈴だった。
リフ大森林防衛のご褒美として忙しいパーシェルに頼み込み、小さな酒造所を建築してやったのだ。
酒の元となる素材は元から腐る程あったので、それらを利用しパーシェルの《人形》達が促成栽培しつつ、収穫を繰り返しながら昼夜問わず酒を作っている。
パーシェルのステータスの一部と能力が付与された《人形》達が作り出す酒は、あり得ないほど美味かった。俺にもかなりの数の酒を作ってもらっている。
そしてそれを毎晩浴びる程飲み、酔っ払っては《姉妹達》やメイ達メイド達に絡みに行く鈴。
散々、イーリスやミスト、果てはメイや亜人の子供達にまで怒られていた筈の鈴は、反省の色なく先程まで飲んでいたようだ。
そしてタイミング悪く今回絡まれたのは俺のようだった。
開かぬ目で幼女を抱きかかえ、ペタペタとペタンコなあれやそれをぷにぷにと触れている現場を目撃されてしまった。
「お姉様、まーた飲んでおったの?な、何をするのじゃ!!今は儂のいちゃいちゃたいむなのじゃ!ああー!」
鈴は、入って来た時の辛そうな表情はいつのまにか気迫迫る表情に変わり、俺ですら全く反応できない速さで幼女を取り上げた。
ぽいっとリットを放り投げると、鈴はリットが居たポジションにすぽっと入り込む。
無言で俺にもたれかかる鈴。俺の両手を取り自身の頭部と腹部に手を回せと催促してくる。
寝惚けた俺は状況が理解できず、催促されるがままに頭を撫でながら抱きしめる。
「んふぅ。最高のキュアえ。二日酔いにはご主人様が効くえ」
ご満悦な様子の鈴。
だが俺はある事に気付き、手を離した。
「ご主人様?」
鈴は俺の手が離れた事を不思議に思い、寂しそうに俺の方へ向き直る。
だが寝ぼけている俺は容赦なくその一言を放つ。
「鈴、酒臭い」
異世界に来て初めて鈴が叫んだ日として、その日の朝はカレンダーに刻まれた。
「うぅ。リットすまんな。そう怒らないでくれ」
鈴が叫びながら大浴場へ走り出した後、俺はようやく目を覚まし、俺のパジャマの上着にコアラのように抱きついたリットを宥め続けていた。
「急ぐ案件は特に無いのじゃ。今日は一日中こうしているのじゃ」
幼女は着替えた後も再び張り付き離れない。
本気で離れるつもりが無いようだ。そんな困った幼女を苦笑しつつ撫でてやる。
「だが何か用があって来たんじゃなかったか?」
「…あるのじゃ」
ムスッとした雰囲気を隠さずに答えるコアラ。
そろそろリーゼがツインとメイを連れて、朝食を持って部屋へやってくる。
先日にロリコンと言う汚名を被ったばかりなので、引っ付かれたまま再び騒がれるのはまずいんだが…。
「取り敢えずもう一度言ってみてくれ。さっきは半分寝てたから内容を覚えていないんだ」
何かを召喚して欲しいと言っていた気がするが。
「道化師のやつじゃ。《姉妹達》全員、苦い記憶しか無いじゃろうが、今の状況を利用するならばあやつしかおらん」
道化師…か。
ヒストリア内では多くのプレイヤー達の進行を詰まらせ狂わせたメインストーリー最大の鬼門。
かくいう俺もかなり苦労させられた苦い記憶がいくつもある。
「本当はルピナにやって貰いたかったのじゃが、我が末の子は純粋過ぎる。儂も常に側に居てやれる訳ではないのじゃ。儂の好かん奇策になってしまうが、道化師ならば大いに時間稼ぎになるじゃろう」
時間稼ぎ…。
寝起きの頭でもその意味が理解できた。確かに俺達の計画には道化師はうってつけかも知れない。
「それは…リット一人の意見か?」
「そんな訳無いのじゃ。この件は一番因縁が深いであろうイーリス御姉様からの発案じゃ。飲んだくれていた鈴お姉様以外で話し合って決めたのじゃ」
イーリスと道化師。
一言で言えば水と油。
ヒストリア内では公式サイトで中継される程の激戦を繰り広げ、"白"と言う色の名をゲーム内に轟かせた最大の要因。
《姉妹達》が記憶を保持したままならば、もう二度と会いたく無いと思える相手でもある。
そして現在召喚している《姉妹達》でも他のパートナーNPCでも無い、完全に独立した俺の使役する魔物である。
果たしてあいつを魔物と呼んでいいのかは分からないが。
だがそんな道化師を一番因縁が深いであろうイーリスが召喚して欲しいと言っている。そして飲んだくれている鈴以外もそれに賛成していて、今の俺たちや異世界の状況的にも適任と来ている。
それならば考えるまでも無いだろう。
「ご主人様が気が乗らないのは分かる積もりじゃ。あやつはそれだけの事を仕出かしてきたからのぅ…」
リットは考え込んでいる俺を見て慌ててフォローし始める。
確かに思うところはいろいろとあるが、道化師を召喚すること自体に異論も無いし拒否する理由も無い。
「いいや、気にしなくていいぞ?お前たちが納得済みなら俺に異論は特にない。朝飯食ったら早速あいつを召喚しよう。皆に伝えておいてくれ」
多少強引にだが即決で決断を下す。
「ご主人様…いいのか?先程は儂もかなりテンション任せに召喚して欲しいと言ってしまったが…」
ムスっとしていた表情は消え、申し訳なさそうに俯いている我が家のコアラ。
「はは、だからそんなに気にするな。手綱は俺がしっかり握っていれば俺たちに危害は無い。それに皆が思っているより俺は道化師を嫌ってはいないからな」
コアラの頭を撫でながら笑顔で答えてやると、リットは俺をぎゅっと腕に力を入れて俺を抱きしめてくる。
俺に頼むことに色んな葛藤があったのかもしれない。なまじ頭が良いせいであいつを召喚した後の事を考えて不安も抱えているだろう。俺はその小さな体を優しく抱きかかえる。
「んじゃ、そろそろ朝食が運ばれてくる。そんな辛気臭い顔しないで一緒に食うぞ。その後に召喚するからな」
「…うん」
強く抱き返してくるリットを抱え、俺は寝室を後にした。
程なくしてリーゼとメイが寝室の隣にある書斎へ朝食を運びやって来た。
リットはメッセージを使い《姉妹達》全員に既に伝えており、リーゼには朝の挨拶も早々に少し心配されたが、リットと同じように笑顔で返してやる。
皆は、道化師に何度も苦渋を飲まされた俺の事を心配しているようだが、俺的には一番因縁の深いイーリスの方が心配である。
そして相変わらずリットは朝食中も俺から離れず、膝の上でご飯を食べていた。
朝食も食べ終わり食後のコーヒーを楽しんでいると、書斎の扉がノックされる。
リーゼが俺の顔を一度伺い、扉を開くとそこにはイーリスが立っていた。
「失礼します。道化師の召喚を許可頂きありがとうございます。召喚に立ち合いたいと思い参ったのですが……まだ些か早かったようですね」
俺の左腕にぶら下がっているコアラを一瞥し、入室してくるイーリス。するとメイがすかさずイーリスの分の紅茶を淹れ始める。
「ふふ。メイが淹れ始めちゃってますけど、ご主人様?私もご一緒しても?」
「ああ。一緒に飲もう。メイもイーリスと自分の分を淹れて寛いでいいぞ?」
「え?あ、はい!」
そうして皆で食後のお茶を飲みながら、召喚の話題には触れず小一時間歓談した。
イーリスが不安がっているかとも思ったが、歓談中は終始にこやかに過ごし、不安げな仕草も気配も感じ無かった。
そしてその時は来る。
中庭のテラスに俺とイーリス、リット、リーゼ、ツインが集まり、俺はメニュー画面からパートナーNPCでは無いテイム済みの魔物一覧から道化師を探す。
「あった。それじゃあ召喚するぞ?」
道化師の事を知っているリットとリーゼが息を飲む。ツインは直接戦ったことはないが、姉達から話を聞いている分緊張しているのが分かる。
一番因縁深いであろうイーリスはやはり表情を変えず、ただ無言でこちらを見ている。
「コール…道化師」
パートナーNPCやペットの召喚の時と同様、音声入力で道化師を呼び出す。
すると中庭に竜巻でも起こったのかと思うほどの風が吹き荒れ、草木を揺らし、途端に禍々しく感じる暗闇現れると俺たちが居るテラスを覆いだす。
そして何も無い闇の中から、真っ白な手袋をしている腕が這い出てくる。
辺りを覆っていた暗闇がその手に収束し始め、次第に小さくなっていく。
真っ白な手袋の中に闇は収束し、手のひらに飲み込まれると一瞬の黒い輝きが辺りを照らした。
そして災厄は現れる。
「やぁ、カナタ君じゃないか。久しぶりだね?今度はどう僕を愉しませてくれるのかな?」




