閉幕
「どうなっている!?何故何処とも連絡が取れんのだっ!?」
「分かりませんっ!走らせた伝令も未だ帰還しておりません!」
ザルディアス帝国軍担当第二中継拠点は、蜂の巣を突いたように兵士たちが行き交い、夜だというのに戦準備を行なっていた。
原因は全ての拠点との連絡途絶。明らかに異常事態である。
夕方までは問題なく全ての拠点と定時連絡が交わせていたのだ。夜間、始めの定時連絡を取ろうとして、どことも連絡が繋がらなくなり、連絡担当官が突発戦闘の鐘を鳴らした。
普通の戦時では連絡担当官の行動は正しかった。
実際に他の拠点は全てパニエによる一斉襲撃を受け、各拠点に置いてある遠話の水晶はリーズリット配下の精霊達が、襲撃のどさくさに紛れ侵入し破壊、又は奪取されていた。
帝国は南方諸国のさらに南にある南蛮族や数多の海賊、リブリア諸島同盟国などとの戦いが絶えないため、一兵卒から将校まで戦慣れしている。連絡担当官も長年の従軍の経験と完成されたマニュアルに基づき、他の拠点で何が起こっているのかをすぐに察し、鐘を鳴らした。
そして報告を聞いたアスバ将軍とマリウス副将軍、参謀部までの全員が連絡担当官と同じ結論に達し、厳戒態勢を敷いている。
そして今は絶えず各地へ連絡を送りながら部隊の再編成を行なっている最中だ。
しかし相変わらずどこの拠点とも連絡は付かない。
緊急の早馬を各地に飛ばし、かなりの時間が経過している。
道は整備されているため、専門の厳しい訓練を受けている伝令兵ならば早馬で一刻も掛からない。
「各地へ飛ばした伝令が戻らぬ。明らかに何者かの襲撃を受けている。しかも我ら以外の全ての拠点でだ」
「第一拠点がやられるのは不味いんじゃねぇのか?増援送っとくか?」
緊急の軍議を行なっているのはアスバ将軍の広い天幕の中。アスバ将軍を始め、マリウス副将軍と複数人に参謀部や上級指揮官にあたる千人長以上の者が十数人揃っている。
「ダメだ。相手は何らかの連絡手段を使い組織的に襲撃を行なっている。下手に部隊を動かすことはできん。そして連絡が取れん以上、別の拠点は全て壊滅した前提で動かなければならん」
アスバ将軍の意見に反論は無かった。
実際にはある意味正解で、ある意味間違っているのだが。
それでもパニエの存在を知らなけられば妥当な推測である。
「こうなってしまった以上、ここは孤立無援だ。本当は部隊を動かしたくはないのだが、相手は恐らく連合軍全体を襲撃できるほどの戦力を持つどこかの組織。伝令が帰ってこないところを見ると、整備した道も封鎖されている可能性は高い。故に、リスクは承知の上で夜間強行撤退を敢行する」
全員が予想していた選択肢の一つであった。
簡単な連想ゲームである。森に入っている連合軍は分散しているとは言え、非戦闘員を入れるとその数は数十、数百万に登る。
その連合軍全体を襲撃し、連絡する時間さえ与えずに無力化している。
森に侵入してまだ日は浅いとは言え、昼夜問わずの吶喊作業である程度の防衛網も完成しているのだ。
それだけで敵の戦力が如何程か、想像するだけで軍議に参加している全員の背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
そしてそんな相手が連合軍の生命線である張り巡らされた拠点間の道を放って置くわけがない。
伝令が戻ってこないと言うことは、封鎖されているのは確実だろう。
つまり、今の帝国軍は孤立無援の窮地にある。
この場にいてもいなくても、判断を一つでも間違えれば50万近くの将兵は森の中で簡単に全滅する。
アスバ将軍はそのリスクを承知した上で撤退の道を選んだ。
「反対意見は無いようだな?ここで来ない助けを待つ意味はない。最悪、旧ラテール領北方駐屯地もやられているかもしれん。そうなれば増援は来ないからな。全員、これより夜間の撤退戦を開始するが部下達の手綱をしっかりと握っておけよ。念の為斥候は出し続けるが、街道は使えないと思え。連絡は密に取れ。以上だ、皆すぐに取り掛かってくれ」
「「「「「はっ!」」」」」
アスバ将軍とマリウス副将軍以外の司令官達が天幕を後にする。
「マリウス、お前は行かなくてもいいのか?」
「もうとっくに動いている。何となく嫌な気は森に入ってからずっとしてたからな。トンズラの用意は既に完了している」
ぶっきらぼうにそう返し、アスバ将軍は苦笑する。
「では儂の部隊の方を手伝ってもらおうか。やる事は非常に多い。人手はいくらあっても足らんからな」
「なんか奢れよ」
「儂の財布を空にするつもりか?」
戦慣れしている二人は緊急事態でも雑談を交わし、余裕を見せながら天幕を出る。
「残念ながら、その機会は永遠に訪れないでしょう」
天幕を出ると、目の前には全身が真っ白な少女が立っていた。
「っ!!?てめぇ、何処から!?」
見張りは何をしていた!?こんな目立つ女が何故ここに!?っ!こいつ!!
マリウスはその真っ白な少女に異様な気配を感じ取り、腰の剣を抜いた。
「さらに残念な事に私は戦いません。そしてそんな鈍では私は切れません」
「………はっ?」
マリウスは確かに剣を抜いた筈だった。
そして今も剣は確かに握っている。
……だが何故、刃が消えているんだ?
「貴方は面白い方ですね。ルピナの《精神汚染》が効かないんですね。これは大変興味深いです」
「…は?お前、何を言って」
マリウスは最後まで言葉を発することができず、気付けば出てきたばかりの天幕もろとも後方に吹っ飛ばされていた。
何をされたのかも全く分からなかった。
この俺が見えなかった?
「がはっ…」
何かに激突したのだろう。背中に受けたことの無い衝撃を感じ、肺から息が漏れる。
右手と左足の感覚も無い。
天幕と言うクッションがあってそのダメージだ。
それでもマリウスはたった一撃で無力化されてしまった。
「成る程、何者かの加護をお持ちのようで。貴方は持って帰って実験材料となってもらいましょう。ですが先にルピナの《空間創造》の実験です。貴方は大人しくそこで眺めていて下さい」
かなりの距離を吹っ飛ばされた筈だ。
なのに真っ白な少女は一瞬のうちに距離を詰め、倒れ伏したマリウスの頭上で佇んでいる。
「ルピナ、始めなさい」
マリウスは朦朧とした意識の中でそれを見た。
帝国軍の中継拠点を包み込むように空間が歪みだし、飲み込まれて行く。
しかし誰もそれに気付くどころか、皆一様に虚ろな目をしてゾンビのように何をするでも無くフラフラと歩いている。
なんだ…これは?
空間の歪みはマリウスと真っ白な少女以外の全てを飲み込み、あっさりと消えた。
「成功ですね。ご主人様もきっと喜んでもらえるわ。ついでに『蠱毒』と『迷い』も実験しておきましょう」
「分かったにゃ!」
先程まで聞こえなかった声が聞こえた。
マリウスは動かすことも辛く感じる首を声が聞こえた方へ向ける。
そこには銀髪碧眼の亜人の少女が真っ白な少女の側に駆けて来ていた。
そして何も無くなってしまった更地に向かって詠唱を始める。
「映すは鏡、連なる空間」
辺りに黒い霧が漂いだし、空間が再び歪み始める。
「叫びは響かず、祈りは届かず」
歪んだ空間から巨大な鏡が一枚現れ、亜人の少女の目の前に鎮座した。
「迷いの森にて朽ちて行かん」
その鏡には、飲み込まれた帝国軍の兵士達が映し出された。
「我が見て、我が触れ、我が与えん」
それはどこかの室内なのだろうか?薄暗く、明らかに自分たちの居た大森林では無い場所だ。
そして映し出された兵士達の中に、虚ろな目をしたアスバ将軍を見つける。
「《空間創造・迷い》」
映し出された鏡の向こう側が歪み始め、形を変えて行く。
次第に規則的な壁が出来上がり、通路が作られて行く。
そして光源ができたのか、その内部ははっきりと見えるようになっていた。
マリウスはその景色に見覚えがあった。
…これは、迷宮か?
「《精神汚染・蠱毒》」
そして亜人の少女は再び唱える。
すると、虚ろな目だった兵士達は一斉に正気に戻ったように動き出し、自分たちが陥っている状況に混乱しているように見えた。
そしてそれは始まった。
「死ね」
鏡の中から一つの声が聞こえた。
そしてその声を合図に、兵士達は同士討ちを始めて行く。
「にゃは」
「半分は正気にゃ。半分は狂気にゃ。果たして何人が生き残るかにゃ?」
そこから先はまるで地獄のような光景だった。
50万近くの帝国軍が同士討ちを始め、逃げ出す者も居れば追う者も居て、中には正気を装って背中から襲う者も居た。
殺し合い、死んだ者の血肉を喰らう狂気の群れ。
生き残った者達の間でも、急に一人が狂い始め殺し合いが始まる。
次第に疑心暗鬼になり始め、それでも迷宮となった鏡の向こうで出口を探す。
その様子を見た亜人の少女がポツリと漏らす。
「出口にゃんて無いのに」
マリウスは鏡に映し出された光景を眺めている事しか出来なかった。
アスバ将軍もとっくに殺され、散り散りになった兵士たちが疑心暗鬼の中で出口の無い迷宮を彷徨い歩く。
「これも実験成功ね。ルピ、良くやったわね。帰ったらお風呂で髪を洗ってあげるわ」
「にゃ!イーリス御姉様に洗ってもらうの好きにゃ!早く帰るにゃ!」
亜人の少女が現れてからは、存在を隠すようにずっと黙っていた真っ白な少女が喋り出す。
それに嬉しそうに答える亜人の少女は、何の感慨も無く鏡を消した。
マリウスはその一連の光景を見せつけられても何の恐怖も抱かなかった。
いや、抱けなかった。
あまりにも現実感が無く、あっさりと行われた虐殺に、幻影でも見せられているのでは無いのかと思っていた。
だから亜人の少女に問い掛けてしまった。
「俺の兵…帝国軍はどこに行った…?」
「にゃ?」
絞るように出したマリウスの声に、亜人の少女が反応した。
可愛らしいその顔は依然笑顔のままでマリウスに答えた。
「見てたでしょ?永遠にあそこよ。もう死ねないしね」




