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第二章「夏の海は大騒ぎ!」

前回に引き続き、臨海学校での海回です!


今回はビーチバレーにスイカ割りと、夏らしいイベントを詰め込みました。


少しずつ打ち解けていく雫ちゃんと、相変わらず全力で海を楽しむ直人たちをお楽しみください。

「よし!もう一回泳ごう!」


 僕はもう一度、波打ち際へ向かって走り出していた。


「慎太郎、早く!」


「まだ泳ぐのかよ!」


 後ろから、慎太郎の悲鳴みたいな声が聞こえる。


 でも、そんなことは気にしない。


 目の前には海がある。


 青い空。


 白い雲。


 光を反射して、きらきら輝く水面。


 これを見て泳がないなんて、もったいない。


「おっしゃー!」


 波の中へ飛び込む。


 冷たい水が足から腰まで一気に上がってきた。


「冷たっ!」


 思わず声が出る。


 それでも少し泳げば、すぐに体が慣れてくる。


 後ろから慎太郎も海へ入ってきた。


「直人、いきなり走るなって!」


「慎太郎が遅いんだよ」


「さっきまで本気で泳いでたやつに言われたくない!」


「まだ全然疲れてないけど?」


 慎太郎は呆れたようにため息をついた。


「どんだけ元気なんだよ!」


 慎太郎が呆れたように言う。


 僕は笑いながら、両手で海水をすくって慎太郎へかけた。


「うわっ!」


「隙あり!」


「お前な!」


 慎太郎も負けじと水をかけ返してくる。


「冷たっ、ひどっ!」


「先にやったのはお前だろ!」


「慎太郎、大人げない!」


「どの口が言ってるんだ!」


 僕たちがそんなことをしていると、少し離れたところから声がした。


「ちょっと、二人とも!」


 振り向くと、彩香が波打ち際に立っていた。


 腰に手を当て、こちらを見ている。


「先生が、あんまり沖へ行くなって言ってるでしょ!」


「まだ全然浅いよ!」


「そういう問題じゃないの!」


 その隣には雫ちゃんもいる。


 ラッシュガードの袖を押さえながら、少し困ったように僕たちを見ていた。


「雫ちゃんもおいでよ!」


「えっ、私もですか?」


「うん!」


「でも……」


「浅いところなら大丈夫だって!」


 僕が手を振ると、雫ちゃんは少し迷ったあと、ゆっくり海へ入ってきた。


 波が足に触れるたび、少しだけ肩をすくめている。


「水、凄い冷たいですよっ!」


「最初だけだって」


「中村さん、平気なんですか?」


「もう慣れた!」


「そりゃ、さっきからずっと泳いでるからな」


 慎太郎が横から言う。


「直人は放っておいたら夕方まで泳いでるぞ」


「そんなに泳がないって」


「本当か?」


「……たぶんね」


「絶対泳いでるだろ!」


 雫ちゃんが、くすっと笑った。


 バスの中で会ったばかりの時より、少しだけ表情が柔らかくなった気がする。


 そこへ、砂浜の方から先生の声が響いた。


「おーい! 次、ビーチバレーやるぞー!」


「ビーチバレー!」


 僕は勢いよく振り返る。


 砂浜では、男子たちがネットを張り始めていた。


 彩香が嫌そうな顔をする。


「直人、今度は何する気?」


「もち、ビーチバレー!」


「ホント、元気ね…」


「よし、行くよ!」


「だから走らない!」


 僕は海から上がると、そのままネットの方へ向かった。


     ◇


「じゃあ、適当に二チームに分かれろー!」


 先生がカラフルなボールを持ちながら言った。


 せっかくなので、男女混合の二チームで試合をするらしい。


 僕のチームには、慎太郎と彩香、それから雫ちゃんも入った。


 反対側には、同じクラスや隣のクラスの男子と女子が何人か並んでいる。


「負けた方、片づけな!」


 先生がそう言うと、男子たちから一斉に不満の声が上がった。


「えー!」


「先生もやってくださいよ!」


「俺は審判だからな!」


「ずるい!」


 そんなやり取りのあと、試合が始まった。

 

 ホイッスルが鳴る。


「いくぞー!」


 相手チームの男子がボールを高く投げる。


 強く打ち出されたボールが、こちら側へ飛んできた。


「直人!」


「任せて!」


 僕は砂を蹴って前へ出た。


 両腕を合わせ、ボールを受ける。


 思ったよりも強い。


「うわっ!」


 ボールは真上へ大きく弾んだ。


「彩香!」


「分かってる!」


 彩香が素早く下へ入り、きれいにボールを上げる。


「慎太郎!」


「おう!」


 慎太郎がジャンプして、相手側へ打ち返した。


 ボールはネットを越え、相手チームの真ん中へ落ちる。


「よし!」


「やった!」


 僕は思わず慎太郎と手を合わせた。


挿絵(By みてみん)


「直人、お前、意外と動けるんだな」


「意外とは何さ」


「初めて見たよ」


「そういえばそうか、二人で一緒に運動したことなかったよね」


「だいたいゲームばっかりだったよな」


 慎太郎は笑っている。


 相手チームがサーブの体勢に入る。


「次、絶対僕が決めるからね」


「むきになるなよ」


「なってないし!」


 次のボールが飛んできた。


 今度は雫ちゃんの方へ向かう。


「結城さん!」


「えっ!?」


 雫ちゃんは慌てて両手を出した。


 けれど、ボールは腕の先に当たり、横へ大きくそれてしまう。


「あ……」


 雫ちゃんの顔が曇った。


「ご、ごめんなさい」


「ドンマイ!」


 僕はすぐに言った。


「まだ一点でしょ、これからこれから!」


「でも……」


「次取ればいいさ」


 雫ちゃんは申し訳なさそうに下を向く。


 その様子を見て、彩香も言った。


「別に遊びなんだから、気にしなくていいわよ」


「……はい」


 相手側から、またボールが飛んでくる。


 今度も雫ちゃんの近く。


 雫ちゃんは少し身を固くする。


「雫ちゃん、前!」


「えっ」


「手、こう!」


 僕は自分の腕を合わせて見せる。


 雫ちゃんも慌てて真似をした。


 ボールが腕に当たる。


 今度は高く真上へ上がった。


「できた!」


 雫ちゃんが驚いたように声を上げる。


「慎太郎!」


「任せろ!」


 慎太郎が打ち返す。


 相手の男子が受け損ね、ボールが砂浜へ落ちた。


「やった!」


 僕が言うと、雫ちゃんも少しだけ嬉しそうに笑った。


「雫ちゃん、今のすごいじゃん!」


「たまたまです」


「たまたまでも一点は一点だよ」


「そう……ですかね」


「そうだよ!」


 雫ちゃんは照れたように、少し顔を伏せた。


 そのあとの試合も、かなり盛り上がった。


 彩香も見た目の印象よりずっと動きがよく、ボールがどこへ飛んでもきれいに拾っていく。


「彩香、うまいよね!」


「このくらい普通でしょ」


「そんなことないって!」


「直人こそ、普段の体育の授業からは想像できない」


「今日は別人みたい」


「だって海だし!」


 会話をしている間にもボールが飛んでくる。


「直人、前!」


「えっ?」


 振り向いた瞬間、ボールが顔のすぐ近くまで来ていた。


「うわっ!」


 僕は反射的に両手を上げる。


 ボールは指先に当たり、そのまま慎太郎の頭に当たる。


「痛っ!」


「あっ、ごめん!」


「おいおい、直人」


「彩香と話してたら!」


「試合中に話してる場合か」


 周りから笑い声が上がる。


 雫ちゃんまで声を抑えながら笑っていた。


「もう一回!」


 僕は気を取り直して構える。


「今度こそ取るよ!」


「直人、さっきからずっとそれ言ってるぞ」


「次は本当だって!」


「何回目の次だよ!」


 結局、試合は僅差で僕たちのチームが負けた。


「なんでさー!」


 僕は砂浜へ膝をつく。


「最後の直人のミスでしょ」


 彩香が冷静に言う。


「だってあれは慎太郎が!」


「俺のせいにするな!」


「慎太郎がもっと前にいれば取れたのに!」


「お前が後ろへ打ったんだろ!」


「ほら、二人とも無駄口叩いてないで、ネット片づけるわよ」


 彩香に言われ、僕と慎太郎は顔を見合わせる。


「……はい」


「……すいません」


 ネットを片づけようとしたところで、先生が別の袋を持ってきた。


「その前に、次はこれだ!」


 袋の中から出てきたのは、大きなスイカだった。


「スイカ割り!」


 僕はすぐに立ち上がる。


「直人、ほんっとに元気ね……」


 彩香が呆れたように言った。


     ◇


 砂浜の上に、大きなスイカが置かれた。


 少し離れたところには、目隠し用のタオルと長い棒。


 先生がルールを説明する。


「一人ずつ目隠しして、十回回ってから進め!」


「周りは声だけで誘導!」


「危ないから、棒を振り回したりするなよ!」


 先生が僕の方を見ながら、最後の部分を強く言った。


「なんで僕を見るんですか?」


「なんとなくだ!」


「今日の直人ならしょうがないね」


 彩香の指摘に雫ちゃんもクスッと笑う。


 順番に何人か挑戦した。


 右と言われて左へ行ったり、スイカの手前で棒を振ったり。


 なかなか割れない。


 そして、ついに僕の番が来た!


「よし!」


 僕は棒を握る。


「絶対割る!」


「直人、張り切りすぎないでよ」


 彩香が後ろから言う。


「任せて!」


「それが不安なの」


 目隠しをされ、視界が真っ暗になる。


 先生に肩を持たれ、その場で回された。


「一回、二回、三回……」


「速っ! ちょっと待って!」


「まだ三回だぞ!」


「もう十回くらい回った気がする!」


「気のせいだ!」


 十回回り終える頃には、どちらが海なのかすら分からなくなっていた。


「じゃあ、進め!」


「えっと……」


 僕は棒を前に出し、慎重に一歩進む。


「直人、右!」


「右ね!」


「違う! そっちは左!」


「どっち!?」


「中村、まっすぐ!」


「慎太郎の声を聞けばいい?」


「いや、ちょっと右!」


「彩香は左って言ってるよ!」


「私は言ってないわよ!」


 みんな好き勝手なことを言っている。


「もう!」


「ちゃんと教えてよ!」


「まっすぐだって!」


 僕は慎太郎の声を信じ、そのまま進んだ。


「直人、止まって!」


「ここ?」


「もう少し前!」


「こっち?」


「前!」


「前ってどっち!?」


「いや、前は前だろ!」


 目隠しをしていると、何を言っているのかもわからなくなってきた。


「中村! そっちは違う!」


 先生の慌てた声が聞こえた。


「え?」


「戻れ!」


「どっちに!?」


 周囲から笑い声が上がる。


「直人、完全に逆方向!」


 彩香まで笑っている。


「早く言ってよ!」


 僕はその場で向きを変えようとした。


 けれど足元の砂に取られ、少しふらつく。


「うわっ」


「危ない!」


 誰かが僕の肩をつかんだ。


 慎太郎だった。


「直人、そっちは先生」


「先生?」


 僕は目隠しを少し持ち上げる。


 目の前には、棒を避けるように身を引いている先生がいた。


「なーかーむーらー……」


「……すみません」


挿絵(By みてみん)


「だから棒を振り回すなと言っただろ!」


「まだ振ってないです!」


「振りそうだったんだよ!」


 また周囲から笑いが起こる。


 僕は元の位置まで戻され、改めて十回まわされる。


「今度こそ、まっすぐ」


 慎太郎が言う。


「そのまま五歩」


「分かった」


「一、二、三……」


 一歩ずつ進む。


「あと二歩」


「四、五」


「そこ!」


 僕は棒を両手で構えた。


「いくよ!」


「中村さん、もう少し右!」


 雫ちゃんの声がした。


「右?」


「ほんの少しだけ!」


 僕は言われた通り、体を少し右へ向ける。


「そこです!」


「よし!」


 棒を振り下ろす。


「えいっ!」


 鈍い音。


 目隠しを外す。


 棒はスイカの真横の砂に突き刺さっていた。


「……」


「……」


「惜しい!」


 雫ちゃんが言う。


「全然惜しくないでしょ!」


 彩香がすぐにツッコむ。


「雫ちゃん、そこって言ったじゃん!」


「ご、ごめんなさい!」


「雫ちゃんまで直人に合わせなくていいのよ」


 彩香は笑いながら言った。


「もう一回!」


「一人一回だ!」


 先生に止められた。


「えー!」


「次の人!」


 結局、スイカは何人か後に挑戦した男子がきれいに割った。


「おおー!」


 みんなから歓声が上がる。


 先生が切り分けたスイカを配り始める。


 僕も一切れ受け取った。


「いただきます!」


 かぶりつく。


 よく冷えてて、甘い。


「おいしい!」


「口の周り」


 彩香が僕を指さす。


「え?」


「種ついてる」


 僕が手で取ろうとすると、慎太郎がティッシュを差し出してきた。


「ほら」


「ありがとう」


「子供みたいだな」


「慎太郎には言われたくない」


「俺は種つけてないけど?」


「そういう意味じゃない!」


 雫ちゃんが隣で、小さく笑う。


「雫ちゃんも笑った!」


「笑ってないです」


「絶対笑ってたよね?」


「笑ってません」


「慎太郎!」


「笑ってた」


「佐藤くん!?」


 バスの中と同じやり取りになり、みんなで笑った。


 夏の砂浜で食べるスイカは、いつもよりずっと甘く感じた。


 スイカを食べ終わる頃には、砂浜にも少しだけ落ち着いた空気が流れていた。


 先生たちはテントの下で何か話をしている。


 男子たちは海へ戻る人と、砂浜で寝転がる人に分かれていた。


 女子たちもそれぞれ好きなように過ごしている。


 僕たちは、やっとのことでビーチバレーのネットを片付けた。


「喉乾いたなぁ」


 僕は海を眺めながら言った。


「そりゃあれだけ、はしゃげばね」


 彩香が呆れたように笑う。


「飲み物買ってこようかな」


 少し離れたところに、自動販売機が見える。


 海の家の横に設置されているらしい。


 先生へ声をかけると、


「遠くへ行くなよ」


とだけ言われた。


「はーい!」


「彩香も飲み物いる?」


「じゃあ、レモンティーお願いね」


「慎太郎は?」


「さぁ、トイレじゃない?」


「じゃあ、慎太郎はお茶でいいかな」


 小銭を受け取り歩き出す。


 すると後ろから小さな声がした。


「あの……」


 振り返る。


 雫ちゃんだった。


「私も……行っていいですか?」


「もちろん!」


「飲み物買いたかったので……」


「じゃあ一緒に行こうよ!」


 僕は荷物の中から薄手のパーカーを取り出した。


 競泳水着の上から羽織る。


 さすがに海から少し離れると、風が気持ちいい。


 雫ちゃんもラッシュガードの前を整えながら歩き始めた。


     ◇


 砂浜を歩く。


 少しだけクラスのみんなから離れる。


 波の音がさっきより大きく聞こえる。


 しばらく二人とも黙って歩いていた。


 先に口を開いたのは雫ちゃんだった。


「中村さんって……」


「うん?」


「本当に元気ですよね」


「えっ、そうかな?」


「朝からずっと走ってる気がします」


「だって海だよ?」


「また海だから、ですか?」


「うん!」


 僕が笑うと、雫ちゃんも少しだけ笑った。


「男の子だった頃も、そんな感じだったんですか?」


「いや?」


「え?」


「男だった頃は、どっちかっていうと教室の隅にいるタイプだったかな」


「そうなんですか?」


「うん」


 僕は少し考える。


「なんかね、女の子になってからいろいろあってさ」


「いろいろ?」


「前はね、周りばっかり気にしてて」


 自分でもなぜかわからない。


 でも、本当にそうだった。

 

「でも今は、これが今の僕なんだって思えるようになった」


 男だった頃は、人前で目立つのが苦手だった。


 クラスのこと。


 彩香のこと。


 文研のこと。


 この四か月、本当にいろいろあった。


 その結果、今の僕がいる。


「でも……」


 雫ちゃんが言う。


「中村さん、楽しそうです」


「楽しいよ!」


「そういうところ、少し羨ましいです」


「え?」


「私は、あんまり積極的じゃないから」


「そんなことないよ?」


「え?」


「ビーチバレーもちゃんと取れたじゃん」


「あれは中村さんが教えてくれたからです」


「でも取ったのは雫ちゃんだよ」


「……はい」


 少しだけ嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見て、僕もなんだか嬉しくなった。


「また一緒に遊ぼうよ」


「はい」


 そんな話をしているうちに、海の家の裏にある自動販売機へ着いた。


 冷たい飲み物が並んでいる。


「何にしようかなぁ」


「私は、ミルクティーにします」


「じゃあ僕は……」


 スポーツドリンクを押そうとした、その時だった。


「ねぇ」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 二十歳くらいだろうか。


 日焼けした大学生くらいの男の人が三人。


 ラフな格好でこちらを見ていた。


「二人だけ?」


「え?」


 僕は少し首をかしげる。


「学校のみんなと来てますけど」


「そうなんだ」


 一人が笑う。


「ちょっとだけ一緒に遊ばない?」


「ごめんなさい」


 僕はすぐに頭を下げた。


「クラスのみんなが待ってるので」


「いいじゃんよ」


「少しくらいさ」


「本当に結構です」


 僕はもう一度断る。


 でも三人は帰ろうとしない。


「名前なんていうの?」


「何歳?」


「高校生?」


 質問ばかり飛んでくる。


 困ったな。


 どうしよう。


「あの……」


 雫ちゃんが小さく口を開く。


 しかし男の人たちは雫ちゃんを見ることもなく、


 ずっと僕だけを見ていた。


「ねぇ」


「せっかく海に来たんでしょ」


「俺たちと遊ぼうよ」


「ごめんなさい」


 もう一度言う。


「学校のみんなが待ってますので」


 そう言ってその場を離れようとした瞬間だった。


「待ってよ」


 腕を掴まれた。


「え?」


 少し強い力。


 でも軽く振りほどけるくらいだと思った。


「離してください!」


 僕は腕を引く。


 ……


 動かない。


「あれ?」


 もう一度。


 ぐっと力を入れる。


 それでも。


 全然動かない。


(え……?)


 頭が真っ白になる。


(なんで。)


 もう一回。


 思い切り引く。


 ダメだった。


 掴まれた腕は、そのままだ。


 その瞬間だった。


 男だった頃の感覚が、一気に崩れた。


(振りほどけない)


(僕……)


(もう)


(男の子じゃないから)


 急に胸が苦しくなる。


 怖い。


 本当に怖い。


 男だった頃なら。


 こんなこと。


 何とも思わなかったはずなのに。


「離してください……!」


 思わず声が少し強くなる。


 それでも男は笑っていた。


「そんな怖がらなくても」


「ちょっと遊ぶだけじゃん」


「本当に……!」


 雫ちゃんが僕の前へ出ようとする。


「やめてください!」


 でも。


 三人の視線は。


 雫ちゃんには向いていなかった。


 最初から最後まで。


 ずっと。


 僕だけを見ていた。


 雫ちゃんは立ち止まり、不安そうに僕を見つめる。


「中村さん……」


 僕はもう一度腕を引いた。


 でも。


 やっぱり外れない。


 体の奥から恐怖が込み上げてきた。


 気づけば、目の端に涙がたまっていた。


 その時だった。


「――おい。」


 低い声が、後ろから聞こえた。


 男たちが振り返る。


 そこに立っていたのは、慎太郎だった。


挿絵(By みてみん)


「……嫌がってるだろ。」


 静かな声だった。


 でも、その表情は笑っていない。


「だから、その手を離せ。」


 三人組の一人が肩をすくめる。


「なんだよ。」


「彼氏?」


「違う」


 慎太郎は首を横に振る。


「親友だ」


 その一言に、僕は思わず慎太郎を見た。


 慎太郎は真っすぐ男たちを見据えたまま、一歩前へ出る。


「帰ってくれ」


「はぁ?」


「学校行事なんだ」


「迷惑だから!」


 男たちは顔を見合わせる。


「お前さ」


「一人で何とかなると思ってんの?」


 一人が慎太郎の胸を軽く押した。


「どけよ」


 慎太郎は動かない。


「帰れ」


 もう一度だけ言う。


「だから帰れ」


「……」


 男は少し苛立ったような顔をすると、


「うるせぇな。」


 ドンッ。


 慎太郎の肩を強く突き飛ばした。


「うわっ!」


 慎太郎は砂浜へ倒れる。


「慎太郎!」


 僕は思わず声を上げた。


 でも、腕はまだ離れない。


「やめてください!」


 僕が叫ぶ。


 慎太郎は砂を払うように立ち上がった。


 少し痛そうだった。


 それでも。


 また前へ出る。


「帰れ」


 たった一言。


 男たちも少し驚いたようだった。


「しつけぇな!」


「何回言わせるんだ」


「帰れ」


 慎太郎は引かなかった。


 僕は胸が締めつけられる。


(もういい)


(慎太郎)


(危ないから)


 そう言いたかった。


 でも声が出ない。


 その時だった。


「ちょっと!」


 砂浜の向こうから、大きな声が響いた。


「あなたたち、何やってるのよ!」


 振り向く。


 彩香だった。


 走ってくる。


 その後ろには大勢の女子たち。


 さらに少し遅れて男子たちまでこちらへ向かってくる。


「直人!」


 彩香は僕を見るなり、状況を理解したようだった。


「その手、離しなさい!」


 鋭い声。


 男たちは初めて周囲を見回した。


 女子が十人近く。


 男子も何人か。


 先生もこちらへ気づいて駆け出していた。


「……」


「……ちっ、行くぞ」


 一人が小さく舌打ちをする。


 掴まれていた腕が、ようやく自由になった。


 僕は思わず一歩下がる。


 男たちは最後に一度こちらを見ると、


「悪かったな」


 それだけ言って、その場を離れていった。


 その背中を見送ってから、僕はようやく息をついた。


 まだ足が震えている。


「直人!」


 彩香が駆け寄ってくる。


「大丈夫!?」


「う、うん……」


 答えながらも、まだ鼓動が速い。


 慎太郎も近づいてきた。


「ケガはないか?」


「僕は大丈夫」


 僕はそう言ってから、


「慎太郎こそ!」


 今度は僕が慎太郎の方へ駆け寄った。


「転んだでしょ!」


「あのくらい平気だよ」


 慎太郎は笑って見せる。


「でも……。」


「本当に大丈夫?ケガしてない?」


 慎太郎は服についた砂を払う。


 僕はその様子を見ながら、小さく頭を下げた。


「……ありがとう」


「え?」


「助けてくれて」


 慎太郎は少し照れたように笑う。


「当たり前だろ」


「親友なんだから」


 その一言が、少しだけ胸に響いた。


 彩香は腕を組んでため息をつく。


「だから言ったでしょ」


「え?」


「女の子は、こういうこともあるの」


 僕は返事ができなかった。


 さっきまでなら、


「そんな大げさな」


 そう思っていたかもしれない。


 でも。


 腕を掴まれた瞬間。


 振りほどけなかった瞬間。


 あの感覚だけは、今も腕に残っている。


 男だった頃の僕なら。


 あんな怖いとは思わなかったはずだ。


 でも今は違う。


 体も。


 力も。


 全部。


 女の子なんだ。


「直人?」


 彩香が少しだけ優しい声で呼ぶ。


「……ほら、帰ろ」


「先生も心配してる」


「うん」


 僕は静かに頷いた。


 先生にも事情を説明し、「もう大丈夫です」と伝えると、海水浴も終わりの時間になっていた。


 砂浜には夕方の少し柔らかな光が差し始めている。


 旅館へ向かう列に並びながら、僕は一度だけ自分の右腕を見た。


 何も残っていない。


 でも。


 あの時感じた恐怖だけは、簡単には消えそうになかった。


 その少し前を歩く慎太郎の背中を見ながら、僕は小さく息をついた。


 さっきはちゃんとお礼を言えた。


 それでも、まだ足りない気がした。


 その気持ちは、波の音と一緒に、静かに胸の奥へ残り続けていた。


第二章 完

第二章をお読みいただき、ありがとうございました!


前半はビーチバレーやスイカ割りで賑やかな海回でしたが、後半では少し空気が変わる展開になりました。


直人にとっては、女の子になったことで変わったものを、改めて実感する出来事だったと思います。


そして、危険を前にしても引かなかった慎太郎と、みんなを連れて駆けつけた彩香。


二作目までとはまた違う、今の三人の関係が見える章になりました。


次回は旅館での夕食や温泉、そして女子部屋での恋バナへ続きます。

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