第1話-8 魔王なき国の、最初の水(後)
その夜。
村の広場に、細長い木箱がひとつ置かれていた。中には、村の土が敷き詰めてある。
「……秘書殿。これは何かね」
「伯爵の帰路です」
「棺に見えるが」
「荷物として運ばれる分には、流れる水を越えられる。そういう前例が、伝承にあるそうです。リーネさんが調べました」
「ありますあります! 昔、海を渡ってよその国に引っ越した吸血鬼も、土を詰めた木箱で運ばれたって話が!」
伯爵は長いあいだ木箱を見下ろしていたが、やがて深いため息をついた。
「……蓋は、内側から開けられるようにしておきたまえ」
◇
二日後。職安の窓口に、二枚の書類が並んだ。
「北部山地・地下水脈調査員。雇用主は復興支援課。勤務時間は日没から夜明けまで。業務内容は、古い水源や枯れた井戸の調査です」
伯爵は書類を指先でつまみ、鼻を鳴らした。
「夜勤、か。……悪くない。だが、職名がいささか地味だな」
「『夜間水脈探査隊・隊長』と呼称することは可能です。隊員は現時点でゼロ名ですが」
「よろしい。受けよう」
もう一枚は、リディアの前に置いた。
「石管製作技師。北部の水道工事で、同じ管が必要になります。作業場は専用の小屋、安全確認は鐘三回。雇用主は復興支援課です」
リディアは、目隠しの上から書類に触れた。点字のように打ち込まれた職名を、指でなぞる。
「……技師」
「あなたの目が、資格です」
彼女は、しばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。
紹介欄の赤い判子の上に、私は新しい受理印を押した。
◇
夕方。閉庁間際の窓口に、規則正しい足音が近づいてきた。
「復興支援課のオルト・ミュラーです。ロッカ村の件、完了報告を確認しました。期限内、予算内。問題ありません」
「ありがとうございます」
「つきましては、様式第九号、完了報告書の正式版を三日以内に提出してください。それから──」
どさり、と窓口に紙の束が置かれた。
厚さ、指三本分。
「新規の依頼票です。東部の石橋崩落が二件、南部の温熱炉の出力低下が一件、西部鉱山の排水不調が一件、その他十一件。いずれも期限付きです」
「……その他、十一件」
「はい。受領印をお願いします」
隣の席で、リーネが目を輝かせて依頼票をめくり始めた。
「温熱炉に、鉱山の排水! まずは現地を見に行きましょう! そうしたら、どんな人が要るかわかります!」
私は無言で受領印を押し、それから机の引き出しを開けた。
胃薬の瓶は、まだ半分残っている。
足りるだろうか。たぶん、足りない。
人間たちは言う。魔王を倒して、世界は救われた、と。
けれど、魔王のいなくなったこの国で生きていくための仕事は──まだ、山のように残っている。
(第1話 了)
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




