↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/28

第1話-5 石にする目(前)

その夜、村長の家の土間で、リーネは床いっぱいに紙を広げた。


「谷を渡す方法です。アーチ橋は使いません。管を使います」


木炭で、谷の断面を描く。こちらの崖、深い谷底、向こうの崖。そこに一本の線を引いた。崖を下り、谷底を這い、向こうの崖を登る線。


「逆サイフォンっていいます。水源側の崖に水槽を作って、そこから管で谷底まで下ろして、向こう側でまた持ち上げるんです」


「水が、坂を登るのですか」


「登ります。入口の水面より、出口が少しでも低ければ。両側がつながった器に水を入れると、両方の水面が同じ高さになりますよね。あれと同じです。ポンプも魔法も要りません。古代ローマの技術者は、これで深い谷をいくつも越えました」


湧き水は村より二十メートル高い。途中の損失を見込んでも、十分に足りる、とリーネは言った。


「ただし、問題がひとつ。谷底は四十メートル下です。そこでは管の中の水が、ものすごい力で外へ押し出そうとします。だいたい、水深四十メートルの海の底と同じ圧力です」


「普通の土管では」


「割れます。継ぎ目からも漏れます。ローマでは鉛の管を使ったり、石の塊に一つずつ穴を穿って、それをつないで管にしたりしていました」


「鉛は」


「谷を往復する長さ分だと、予算の八百枚では到底足りません」


「では石は」


「石の塊をくり抜くのは、熟練の石工でも一個に何日もかかります。百個以上要るんです。二十日じゃ、絶対に間に合いません」


リーネはそこで、木炭を置いた。


「だから、欲しいのはこういうものです。粘土なら、一日で何十本でも形が作れる。その粘土の管を、継ぎ目のない一枚岩の管に変えられる人」


私は目を閉じた。


台帳の、ある一枚を思い出す。紹介欄に、赤い判子が押された一枚。


「……います」



◇



リディアは、都市の外れの古い塔に一人で住んでいた。


両目を厚い黒布で覆い、壁に手を添えて扉を開ける。髪の一本一本が細い蛇で、私たちの気配に気づいて、しゅるりと鎌首をもたげた。


「職安の方……? 私の票には、『紹介不可』の判子が押してあるはずですけど」


「労働安全上の理由、とありますね。押したのは前任の職員です。私は押していません」


ゴルゴン族。その目に見られた生き物は、石になる。


魔王軍では宝物庫の番人だった。仕事の中身は、聞くまでもない。


「……陛下は、私の目を役に立つと言ってくださいました。盗賊が来なくなったって」


リディアは目隠しの上から、そっと自分の目に触れた。


「でも、私が石にしてきたのは、人だけです。そんな目を、どこの職場が欲しがるんですか」


リーネが一歩前に出た。


「リディアさん。伝承に、こういう話があります。英雄がゴルゴンの首を、海辺の海藻の上に置いた。そうしたら、柔らかい海藻が固い石になった。それが珊瑚の始まりだって」


「……それ、私の遠いご先祖様の首を斬った話なんですけど」


「あっ」


「いえ、いいんです。有名な話なので」


気まずい沈黙が流れた。私は咳払いをした。


「リディアさん。我々が石にしてほしいのは、人ではありません。粘土の管です」


「……管?」


「谷を越えて、村に水を届けるための管です。あなたの目でしか、二十日以内には作れない」


蛇の髪が、ゆっくりと下りていった。




【史実メモ】逆サイフォンとメデューサの珊瑚

管で谷を下り、また登らせて水を運ぶ逆サイフォンは、古代ローマの水道で実際に使われました。フランスのリヨンへ水を引いたジエ水道では、鉛の管で深い谷を越えています。メデューサの首を置いた海藻が石(珊瑚)になった話は、オウィディウスの『変身物語』に出てきます。



【この作品について】

作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。

ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。

「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。

たいてい、本当にあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。