第5話-2 流された聖牛
工事は、奇妙な形で始まった。
陸の上では、人間たちが働いた。リンデンの大工が丸太を切り、聖牛の骨組みを組む。ドルン村の魔族が裏山から竹を切り出し、川原で蛇籠を編む。
人間と魔族は、互いの作業場を川原の右と左に分け、決して近づかなかった。
川の中では、骨たちが働いた。
オズワルド率いる現場班の四十体が、組み上がった聖牛を担いで、冷たい流れの中へ入っていく。胸まで、肩まで、頭まで。
骨の体は水を通し、流れに押されても沈んでいく。川底を歩き、指定された場所に聖牛を据え、石を詰めた蛇籠を重しに積む。
川原の真ん中、人間と魔族の作業場のちょうど境目に、エミルの測量台があった。
「三番、もう半歩、上流側。……角度、そのまま。重し、あと二本」
エミルが旗を振り、川原のリーネがそれを骨たちへ伝える。エミルは、オズワルドたちに直接は声をかけなかった。それでも、指示はいつも正確だった。
上流側には、聖牛が十二基、斜めに並べられていった。流れを、砂利の島からそらし、真ん中の橋脚の足もとから遠ざけるために。
並べる位置は、エミルとリーネが、いまの川の流れと砂利の島の形から計算した。
崩れた橋脚の周りでは、締め切りの工事が進んだ。川の中に杭を二列、輪の形に打ち込み、その間に粘土を詰めて壁にする。輪の内側の水を、グラウ鉱山から届いた水上輪で汲み出す。
「回せ。……一、二」
オズワルドの号令が、水の中から、くぐもって聞こえた。
十二日目、締め切りの内側の川底が、初めて乾いた。
えぐられた橋脚の足もとが、むき出しになっていた。リーネが見立てた通りだった。崩れた石の下の砂利が、深さ二メートルにわたって、すっかり持ち去られている。
「ここから、基礎を打ち直す」
エミルが、締め切りの縁から乾いた川底を見下ろして言った。その声に、初めて、ほんの少しだけ熱がこもっていた。
◇
十五日目の夜、雨が降り出した。
冬の初めの、冷たく、重い雨だった。夜半には、山のほうで雷が鳴り始めた。
「上流の村から、伝令です」
ドルン村の宿に、ずぶ濡れのハーピーが飛び込んできた。
「大水が来ます。夜明け前に」
私たちは、雨の中を川原へ走った。
川は、もう別の顔をしていた。茶色く濁った水が、轟音を立てて渦を巻いている。流木が、恐ろしい速さで流れていく。
「聖牛は、持ちこたえるはずです」
リーネが叫んだ。雨音に負けないように。
「重しは、エミルさんが洪水を見込んで計算しました! 流されることは──」
言い終わる前に、上流で、何かが軋む音がした。
松明の光の中で、聖牛の一基が、ぐらりと傾いた。
流されたのではなかった。聖牛の足もとの砂利が、ごっそりとえぐられていた。
濁流は、エミルたちが計算したのとはまるで違う場所を、まるで違う向きに走っていた。砂利の島の、反対側。
普段は浅瀬にしか見えない、川の左岸寄りを。
傾いた聖牛が、隣の聖牛にぶつかる。二基目が倒れる。三基目。
倒れた丸太と蛇籠を巻き込んで、濁流は、まっすぐ橋のほうへ向かった。
「締め切りが!」
誰かが叫んだ。
轟音とともに、締め切りの杭の輪の上流側が、内側へ折れた。せっかく乾かした川底に、茶色い水がなだれ込んでいく。十二日分の仕事が、ほんの数十秒で、水の底に沈んだ。
◇
夜明け前に、雨は上がった。
川原には、泥だらけの丸太と、ちぎれた蛇籠が打ち上げられていた。十二基の聖牛のうち、残ったのは四基だけだった。
エミルが、測量台の前に立ち尽くしていた。手の中の記録帳は、雨でぐしゃぐしゃになっていた。
「……計算は、合ってた」
誰に言うでもなく、彼はつぶやいた。
「重しの量も、角度も。何度も確かめた。計算は、合ってたんだ」
「合っていました」とリーネが言った。泥だらけの顔で。「私も確かめました。計算は、間違ってません」
「じゃあ、何が」
「最初の前提です」
リーネは、川の左岸を指さした。
「大水のとき、川がどこを走るのか。私たちは、いまの川の形から推測しました。でも、川は、いまの形の通りには走らなかった。……それを知っている人の話を、聞けなかったから」
エミルは、何も言わなかった。
残り十五日。川が凍り始めるまで、半月しかない。
私は、濁った川を見ていた。
そして、気づいた。
川向こうの崖の上。夜明け前の、まだ暗い空を背にして、巨大な影が一つ、じっとこちらを見下ろしていた。
いつから、そこにいたのだろう。
影は、私の視線に気づくと、ゆっくりと崖を降り始めた。
【史実メモ】締め切り
川の中を杭と粘土で囲い、内側の水を汲み出して、乾いた場所で工事をする方法です。古代ローマの時代から使われ、現代の工事でも形を変えて使われています。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




