第4話-4 命令書
包みは、その夜は開かれなかった。グンナルはそれを大事そうに抱え直すと、洞穴の奥へ戻っていった。
翌日の昼、私はドルン村の宿で、作業計画をまとめていた。
聖牛は、十二基。蛇籠は、二百本。竹はドルン村の裏山から、石は川原から。
締め切りの杭はリンデンの材木商から買うしかないが、町議会が売ることを許すかどうか。水上輪は、グラウ鉱山から四台。
オズワルドが手紙を書き、ブルーノから「すぐ送る」と返事が来ていた。
「ザイン殿」
オズワルドが、湯気の立つ椀を机に置いた。薬草茶だった。
「昨夜から、顔色がさらに優れません」
「……五年前の東部の命令書を、思い出そうとしていました」
私は、手帳を閉じた。
「東部戦線の作戦命令は、陛下の名で出ます。ですが、陛下はいちいち署名なさらない。代わりに署名するのは、筆頭秘書です。……私は、あの年、何百通に署名したかわかりません」
「覚えておられないのですか」
「覚えていません。それが、一番まずいと思っています」
オズワルドは、骨の指で外套のボタンをひとつ撫でた。
「私も、三百年で、何千という命令を受け、何百という命令を部下に下しました。そのほとんどを、覚えておりません」
眼窩の青い光が、静かに揺れた。
「命令というのは、出す側には紙一枚で、受ける側には、家一軒であったりするものですな」
私は、何も言えなかった。薬草茶は、少し苦かった。
◇
日が沈むのを待って、私とリーネは、再び下流の洞穴へ向かった。
洞穴の前には、すでにエミルが来ていた。ランプを二つ持ってきている。昨夜より、顔のこわばりが少しだけ解けているように見えた。
グンナルが、奥から包みを抱えて出てきた。
太い指で、油紙を一枚ずつ剥がしていく。慎重に、ゆっくりと。三枚、四枚。五年間、誰にも見せずに守ってきたものの剥がし方だった。
中から出てきたのは、折り畳まれた一枚の紙だった。
上質の羊皮紙。四隅に魔王軍の紋章の透かし。封蝋の跡。
私は、その紙の質を知っていた。魔王府の正式な命令書用紙だ。発注していたのは、私だった。
「工兵どもが、橋脚に貼っていった。退去の知らせだと言っていた」
グンナルは、紙をエミルに差し出した。
「坊主。お前は字が読めるだろう。読んでくれ。……五年間、何が書いてあるのか、知りたかった」
エミルは、紙を受け取った。ランプを掲げ、光を当てる。
「……東部戦線、補給路遮断に関する命令」
彼の声が、洞穴の岩に低く響いた。
「勇者軍の東部補給路を断つため、以下を命ずる。一、ヴェルナ川古橋の東側橋脚を、工兵隊により破壊すること。二、橋の下の居住者は、作戦開始の前日までに退去させること。退去に応じない場合は、これを考慮しない」
リーネが、小さく息を呑んだ。
考慮しない。
私の書いた文だった。読み上げられて、初めてそうわかった。この言い回しは、私の癖だ。
「殺してもかまわない」と書くかわりに、私はいつもこう書いた。そのほうが、命令書として角が立たないから。
エミルが、紙の下のほうへ目を移した。
読み上げる声が、そこで止まった。
ランプの炎が、かすかに揺れた。エミルの目が、紙の一番下の一行と、私の顔とを、ゆっくりと往復した。
「……続きを読め、坊主」
グンナルが言った。
エミルは、唇を一度、強く噛んだ。それから、紙に目を戻した。
「魔王陛下の名において。……魔王軍筆頭秘書、ザイン・ヴェルフォード、代署」
洞穴の中で、川の音だけが響いていた。
グンナルの小さな黒い目が、ゆっくりと、私のほうを向いた。
昨夜、洞穴の入口で、私は名乗っていた。職業安定所の、ザインです、と。
「……お前か」
岩が転がるような、低い声だった。
「この紙の、最後の名前は。……お前か」
嘘をつく理由は、どこにもなかった。言い逃れの言葉も、ひとつも浮かばなかった。三百年、陛下の言葉を書き留め、何万枚の紙に名前を書いてきた手が、外套の中で冷たくなっていた。
「……はい」
私は、トロルの目をまっすぐに見て、答えた。
「私の署名です」
(第4話 了)
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




