第4話-3 橋の下の住人
トロルを訪ねるなら、夜しかない。
伝承によれば、トロルは日の光を浴びると石になる。昼間は洞穴の奥で眠り、日が沈んでから外に出る。
下流の崖に口を開けた洞穴は、川の音がよく響いた。入口に吊るしたランプの明かりが、濡れた岩肌を照らしている。
「グンナルさん。夜分に失礼します。職業安定所のザインです」
返事はなかった。
かわりに、洞穴の奥で、岩が動くような音がした。
暗がりから、巨体が這い出してくる。背丈は人の二倍半。苔むした灰色の肌に、太い腕。
鼻は大きな瘤のように突き出し、髪は枯れ草のように絡まっていた。小さな黒い目が、ランプの光を嫌うように細められる。
「……職安?」
声は、川底の石が転がるように低かった。
「仕事の話なら、いらん」
「古橋の話です」
トロルの目が、わずかに動いた。
「橋の真ん中の橋脚が崩れました。復旧には、川の流れを変える必要があります。洪水のとき、川がどこを走るのか。それを知っているのは、三百年あの橋の下に住んでいたあなただけだと聞きました」
グンナルは、しばらく黙って私を見下ろしていた。
それから、鼻で笑った。笑ったのだと思う。洞穴の中で、低い音が反響した。
「橋の下のトロルの話なら、聞き飽きた。三匹の山羊が橋を渡ろうとして、トロルが『食ってやる』と言って、一番でかい山羊に川へ突き落とされる話だ。人間の子どもは、みんなあれを聞いて育つ」
「存じています」
「あの話のトロルは、橋を渡る者から何かを奪う。……俺は、何も奪わなかった」
グンナルは、洞穴の入口に腰を下ろした。岩が、ずしりと鳴った。
「洪水のあとは、橋脚に流木が引っかかる。放っておくと、水がせき止められて、橋が押し流される。だから俺がどけた。三百年、毎回だ。リンデンのガキどもは、そのかわりに、橋の下の東のアーチの陰に、パンを置いていった」
「パンを」
「それで十分だった。……五年前までは」
グンナルの小さな目が、川の上流、闇の中の古橋のほうを見た。
「五年前の秋、魔王軍の工兵どもが来た。東の橋脚を爆破するから、すぐ出て行けと言われた。俺の寝床は、東のアーチの真下だった。出て行かなけりゃ、一緒に吹っ飛ばすと」
「……」
「出て行ったさ。次の夜、戻ってみたら、東の橋脚は川の底だった。俺の寝床も、パンを置く場所もな」
グンナルは、太い指で岩をなぞった。
「あの橋は、人間にとっても、魔族にとっても、俺がいなくても回ってた。俺は、橋の下の石ころと同じだ。……帰れ。俺にはもう、関係のない橋だ」
◇
そのとき、洞穴の外の小道に、もう一つのランプの光が揺れた。
「……誰だ」
グンナルが低くうなる。光の主は、立ち止まった。
エミル・ヴァイスだった。巻き尺を肩に下げ、手には測量の記録帳を抱えている。私の姿を見て、彼の顔がこわばった。
「なんで、あんたがここに」
「同じ用件だと思います」
エミルは私から目を逸らし、洞穴のトロルを見上げた。その表情が、ふと揺らいだ。
「……洪水の流れを知ってるトロルが、下流にいると聞いた。魔族の手は借りないつもりだった。でも、重しの計算をするには、大水のときの流れの強さがどうしても要る」
言い訳のように早口で言ってから、エミルは、ランプを少し持ち上げた。
グンナルの小さな目が、光の中のエミルの顔をじっと見た。
「……パンの坊主か」
エミルが、凍りついた。
「東のアーチの陰に、毎朝パンを置いていった坊主だ。二つ置くと、妹のぶんだと言って、一つ持って帰った」
「……覚えて、たのか」
「三百年で、二つ置いて一つ持って帰ったガキは、お前だけだ」
エミルは、しばらく何も言えずに立ち尽くしていた。
「橋の下のおじさん、って、呼んでた」
かすれた声だった。
「戦争が始まって、橋が壊されて、いなくなったと思ってた。……死んだと、思ってた」
グンナルは、何も答えなかった。ただ、洞穴の奥に一度引っ込み、何かを抱えて戻ってきた。
油紙に何重にも包まれた、薄い包み。
「明日の夜、また来い。坊主もだ」
グンナルは、その包みを、岩の上に置いた。
「これを、読んでもらいたい。……俺は、字が読めん」
【史実メモ】橋の下のトロル
橋の下に住むトロルは、ノルウェーの昔話「三びきのやぎのがらがらどん」で知られています。トロルが日の光を浴びると石になるという話も、北欧の伝承に見られます。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




