第3話-2 蝋燭が消える深さ
グラウの町は、灰色の岩山の斜面にへばりつくように建っていた。
鉱山の入口で私たちを迎えたのは、熊のような体格のオーガの男だった。額から短い角が二本突き出し、腕は丸太のように太く、顔には古い傷が三本走っている。
「鉱夫頭のブルーノだ。……職安? 役所が人を寄越すってから、技師か魔術師が来ると思ってたんだがな」
「職業安定所のザインです。こちらは考古学者のリーネさん」
「考古学者」ブルーノは鼻を鳴らした。「鉱山は遺跡じゃねえぞ」
「遺跡になりかけてるから、来たんです」とリーネが言った。
ブルーノは一瞬言葉に詰まり、それから、ふん、と背を向けた。「ついて来い」
◇
縦坑を、梯子で降りていく。
地下四十メートル。主坑道。幅三メートルほどの通路が、岩盤の奥へ延びている。左右の壁と天井を、太い木の柱と梁が支えていた。
そこからさらに、斜めの坑道を下る。地下五十メートル。足もとの岩が、じっとりと濡れてきた。
地下六十メートル。
坑道の先が、黒い水面に呑まれていた。
「ここに、魔導ポンプがあった。いまは水の底だ」
ブルーノのランプが、水面を照らした。静かな水だった。だが、昨日より一メートル、確実に高い。
「桶で汲み出そうとはしたんだ。鉱夫を四十人並べて、桶を手から手へ渡してな」
「それで」
「三日目に、水際にいた二人が倒れた。急に、ふらっとな。担ぎ上げたが、一人はまだ目を覚まさねえ」
ブルーノは、低い声で言った。
「鉱夫はみんな、『黒い空気』だって言ってる。底に溜まる、悪い空気だ。……迷信じゃねえ。この鉱山で、昔から何人も死んでる」
リーネは何も言わずに、鞄から蝋燭と細い紐を取り出した。蝋燭に火を灯し、紐の先に結わえて、水際の窪みへゆっくりと下ろしていく。
炎が、揺れた。
小さくなった。
水面から腰ほどの高さで、ふっと、消えた。
「……黒い空気、本当にありますね」
リーネが、静かに言った。
「中身はたぶん、二酸化炭素です。岩や水から湧き出して、普通の空気より重いから、低いところに溜まる。中にいると、息をしているのに体が空気を取り込めなくなって、倒れるんです。蝋燭が消えるのも、同じ理由です」
「……知ってる奴がいたのか」
「昔の鉱夫たちは、こうやって蝋燭で確かめてたんです。どこの国でも」
ブルーノは、消えた蝋燭をじっと見ていた。
◇
その夜、鉱山事務所の古い記録庫で、リーネは埃まみれの坑道図を床いっぱいに広げていた。
「ブルーノさん、これ、何ですか」
彼女が指さしたのは、図の端に、薄いインクで描かれた一本の線だった。主坑道と同じ深さから、山の中腹を斜めに抜けて、麓の谷へ続いている。
「……知らねえ。ずっと昔の図だ」
「疎水道です。たぶん。鉱山の水を、ポンプを使わずに外へ流すための排水用トンネル」
リーネの声が、だんだん速くなる。
「実際に、昔の金山や銀山でやってたんです。日本っていう国の佐渡金山では、山の中腹から坑道の底へ向かって、何年もかけて長いトンネルを掘って、水を海へ抜いてました。この鉱山も、魔導ポンプができる前は、これで水を抜いてたんですよ!」
翌日、図をたよりに谷を探すと、崩れた岩と灌木の陰に、小さな石組みの口が見つかった。中は土砂で半分埋まっていたが、奥は生きていた。
「この疎水道は、主坑道とほぼ同じ深さ、地下四十メートルにつながってます。つまり、地下四十メートルまで水を持ち上げさえすれば、あとは勝手に谷へ流れていく」
「持ち上げるのは、二十メートルか」
「最初は、です。水が減って底が出てくるほど、深くなります。最終的には六十メートル」
リーネは、もう一枚の紙を広げた。大きな筒の絵。中に、螺旋の羽根。
「持ち上げる道具は、これにします。水上輪。佐渡金山で使われてた揚水機です。原理は古代ギリシャのアルキメデスが考えたねじと同じで、斜めに置いた筒の中の螺旋を回すと、水が少しずつ上に運ばれる。一台で持ち上げられるのは数メートル。だから、何台も段々に並べて、下から上へ水を渡していきます」
「何で回す」
「人の手です」
ブルーノの顔が、こわばった。
「……水際でか」
「はい。一番下の水上輪は、水際に置くしかありません。黒い空気の真ん中です」
リーネは、紙から顔を上げて、私を見た。
「ザインさん。必要なのは、黒い空気の中で、休まずに、何日も、何十台もの水上輪を回し続けられる人たちです。坑道の換気も考えますけど、空気を入れ替える設備ができるまでには、二十日じゃ足りません」
息をしない者。疲れない者。大勢。
私の頭の中で、赤い棚の、一番下の段が開いた。
「……千二百人、います」
【史実メモ】黒い空気と疎水道
坑道の低い所に溜まる、酸素が少なく二酸化炭素の多い空気は、鉱夫たちに恐れられてきました。蝋燭の火で確かめる方法は、古くから使われています。佐渡金山では江戸時代に、坑内の水を山の外へ流す長い排水坑道(南沢疎水道)が掘られました。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




