第2話-5 祭りの日の笛
二十七日目。二度目の試験送信。
時計塔の頂に、アルゴスが座っていた。巨体を窮屈そうに折りたたみ、背中を鐘楼の柱に預けている。
北を向いた肩の目が、北の線の中継所を。南を向いた脇腹の目が、南の線を。西を向いた腕の目が、西の線を。顔の二つの目は、手もとの暗号帳を。
「北、形が変わった。十七番。……二十三番。南、受信確認。西、待機」
低い声が、淡々と形の番号を読み上げる。その声に合わせて、グロムと三人の操作員が綱を引き、腕木を動かして、次の塔へ形を送り出していく。
見るのは、アルゴスひとり。動かすのは、四人。
三方向から同時に送られた試験文は、一時間後、一字の誤りもなく中央に揃った。
ロスタ村 熱病の患者 十二人 薬 二十箱 至急
「患者です!」リーネが紙を掲げて叫んだ。「羊じゃない、患者です!」
「試験文に歓声を上げるのは、どうかと思いますが」
そう言いながら、私も、紙から目を離せなかった。
アルゴスは、顔の二つの目を閉じたまま、腕の目でこちらを見ていた。
「……不思議なものだ。三百年見てきたのは、近づいてくる敵の姿だった。いま見ているのは、遠くの誰かの言葉だ。同じ目で」
◇
二十九日目。正式開通の前日。
その日の昼、北の線が、試験ではない文を送ってきた。
「北、形が変わった。至急の印。……読む」
アルゴスの声が、わずかに硬くなった。
ロスタ村 熱病 患者 三十一人 子ども多し 薬 尽きる 至急
試験文と同じ村だった。現実のほうが、試験より悪かった。
「南の薬草園と、西の港の倉庫へ転送します」
私は即座に指示を出した。南へは薬の手配、西へは毛布と輸送の手配。グロムたちが綱を引く。腕木が、南と西へ向かって形を刻み始める。
その時だった。
遠くから、音が聞こえた。
笛だった。何十本もの笛が、明るい旋律を重ねている。太鼓。歓声。
「……復興祭」
リーネが、真っ青になった。
魔王討伐後、初めての収穫祭。中央通りを行列が練り歩くと、何日も前から告知されていた。
時計塔から五百メートル以内では笛を禁じる、とリーネが規則に書いた。だが、それは中継所の規則だ。街の祭りを縛るものではない。
行列は、中央通りを北へ。時計塔のほうへ、近づいてくる。
「北、二十……二十、四番……」
アルゴスの声が、間延びし始めた。
見ると、背中の目が、一つ、また一つと閉じていく。順番に。静かに。伝承の通りに。
「アルゴスさん!」
「……すまない。止められ、ない……」
南向きの目が閉じた。南の線の受信確認が、読めなくなる。
「南、応答が……見えない。……西も、半分……」
文は、まだ途中だった。南の薬草園には、「ロスタ村 熱病 患者」までしか送れていない。何人なのか。何が足りないのか。肝心なところが、まだ届いていない。
私は、塔の下を見た。行列までは、まだ一キロほどある。だが、近づくほど音は大きくなる。
「行列を止めるのは」
「無理です! 何千人いると思ってるんですか!」
リーネは、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
そして、顔を上げた。
「……耳」
「耳?」
「目を閉じさせてるのは、笛の音です。だったら、音が耳に入らなければいい! 昔、海の怪物の歌を聞かないように、船乗りたちが耳に蜜蝋を詰めた話があるんです! ギリシャの叙事詩です! 蜜蝋なら、柔らかくて隙間なく詰められる!」
「蜜蝋……そんなものが、どこに」
がしゃん、と重い音がした。
グロムが、鐘楼の隅の道具箱をひっくり返していた。
「鐘の軸受けの手入れに、蜜蝋を使う」
石の手のひらに、黄色い塊がごろりと載っていた。拳ほどもある。
「保守係の、標準装備だ」
【史実メモ】耳に蜜蝋
ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』で、英雄オデュッセウスは、セイレーンの歌を聞かないよう、船乗りたちの耳に蜜蝋を詰めさせました。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




