第2話-4 百の目の牛飼い
アルゴスの求職票は、台帳の中でも特に薄かった。
【前職】魔王城・総監視官(在職三百十二年)
【希望職種】見張り以外
【備考】目を閉じていられる仕事を希望
「見張り以外……」とリーネが読み上げた。「三百年見張りをしてた人が、見張り以外を希望してるんですか」
「数か月前、窓口で一度だけお会いしました。疲れた、とおっしゃっていました」
現住所の欄には、都市の西の外れの牧場の名前があった。
◇
牧草地の真ん中に、巨人が座っていた。
背丈は人の三倍ほど。腕にも、肩にも、背中にも、首筋にも、大小の目がびっしりと並んでいる。そのほとんどが閉じられていた。開いているのは、顔の二つだけ。
巨人の周りでは、白い牛が十数頭、のんびりと草を食んでいた。
「……牛飼い、ですか」
「牛は、私を見ても怖がらないのでね」
アルゴスは、低く穏やかな声で言った。
「人も魔族も、私を見ると、目を逸らすか、数え始める。全部で何個あるのか、と。……百だ。いつも、先に言っておくことにしている」
「アルゴスさん。お願いしたい仕事があります」
「見張りなら、断るよ」
先回りされた。私は、言葉を選んだ。
「見張りでは、ありません。……いえ、正確に言えば、見張りに近い仕事です。ですが、見るものが違います」
私は、試験送信で届いた紙を差し出した。
ロスタ村 熱病の羊 十二頭 薬 二十箱 至急
「これは何かね」
「失敗した通信文です。本当は、熱病の患者が十二人。冬になれば、こういう知らせが北部から毎日届きます。それを、一字も落とさずに、南と西へ渡す塔があります。その塔の上で、三方向を同時に見ていてほしいのです」
アルゴスは、顔の二つの目で紙を見つめた。
「三百年、私は城に近づく者を見ていた。近づく者は、すべて敵だった。見つけて、知らせて、それで終わりだった。……見ることは、追い払うことだった」
「今度は、届けるために見ていただきたいのです」
巨人は、しばらく何も言わなかった。
リーネが、おずおずと手を挙げた。
「あの、一つ聞いてもいいですか。伝承では、アルゴスの百の目は、いつも二つずつ交代で眠っていて、残りはずっと起きていたって」
「その通りだよ、お嬢さん。二つずつ眠らせて、二つずつ起こす。だから私には、ほんとうの意味での夜がない。三百年、ずっとそうだった」
「……それって、ずっと、ですか」
「ずっと、だ。だから疲れた、と言ったのだ」
牛が一頭、アルゴスの膝に鼻をすり寄せた。巨人の腕の目が一つ、ゆっくりと開いて、牛を見た。
「ただ、伝承にはもう一つ、書いてあることがある。知っているかね」
リーネが、はっとした顔をした。
「……笛の音」
「そうだ。昔、ある神の使いが、笛を吹き、長い物語を聞かせて、私の祖先の百の目をすべて眠らせた。そして、その首を落とした。……血筋というものは、困ったものでね。私もいまだに、笛の音を聞くと、目が順に閉じていく。自分では止められない」
アルゴスは、自嘲するように肩をすくめた。肩の目も、いくつか一緒にすくめられた。
「それでも、私を雇うかね」
私は即答した。
「雇います。業務上の注意事項として、記録しておきます」
「……事務的だな」
「事務職ですので」
アルゴスは、初めて、顔の二つの目を細めて笑った。
「条件が一つある。その塔の上では、私を『目の人』と呼ばないでほしい。名前で呼んでくれ」
「承知しました、アルゴスさん。中央中継所・主任操作員として、採用手続きを進めます」
帰り道、リーネが手帳に何かを書き込んでいた。
「何を書いているのですか」
「中継所の規則です。第一条。『塔の半径五百メートル以内で、笛を吹くことを禁ずる』」
【史実メモ】百の目の巨人アルゴス
アルゴスは、ギリシャ神話の、百の目を持つ巨人です。オウィディウスの『変身物語』では、目は二つずつ交代で眠り、ヘルメス(メルクリウス)が笛と物語ですべての目を眠らせて討ち取ったとされます。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




