第2話-2 丘の上の腕
中央都市ヴァイスグラートから北部山地まで、街道はおよそ百五十キロ。
馬車の窓から外を眺めていたリーネが、二日目の昼、急に身を乗り出した。
「止めてください!」
街道沿いの丘の頂に、崩れかけた石の塔が立っていた。高さは三階ほど。屋上には、黒く焦げた石の台がある。
「烽火台です。火を焚いて、煙や炎で遠くに知らせる設備。……ほら、あっちの丘にも。その先にも」
言われて目を凝らすと、地平線の手前まで、丘という丘の頂に同じ塔が点々と並んでいた。
「魔導通信ができる前、たぶん数百年前のものです。敵が来たら火を焚いて、隣の塔がそれを見てまた焚く。そうやって、一日かかる距離を一刻で知らせたんです」
「では、これを使えば」
「伝えられるのは、『火がついた』か『ついてない』か、だけなんです」
リーネは塔の焦げた台を撫でた。
「『敵が来た』は送れても、『薬が二十箱足りない、熱病の患者が十二人』は送れない。オルトさんが欲しいのは、そっちですよね」
彼女は塔を見上げ、それから、ずっと先の丘の塔を見た。考古学者の顔ではなかった。技術者の顔だった。
「……でも、塔の位置は完璧です。見通しが通るように、ちゃんと選んである。これ、全部使えます」
◇
その夜、宿の机に紙を広げて、リーネは一枚の絵を描いた。
塔の屋上に、一本の太い柱。その先に、横長の棒。棒の両端に、それぞれ短い腕がついている。
「腕木通信といいます。旧文明の十八世紀の終わりに、フランスという国で、シャップ兄弟が作りました」
「腕木」
「この横棒と、両端の腕を、下から綱で動かすんです。横棒の向き、右腕の角度、左腕の角度。その組み合わせで、百近い形が作れます。形ひとつに、文字や数字、よく使う単語を割り当てる。それを、次の塔の人が望遠鏡で読んで、同じ形を作って、さらに次の塔へ」
「烽火の、文字版ですか」
「そうです! 実際にフランスでは、首都から二百キロ以上離れた町まで、塔を十数キロごとに並べて結んでました。馬で丸一日かかる知らせが、一時間かからずに届いたって記録があります」
私は図面を見つめた。魔力は一切使わない。木と綱と、望遠鏡と、人の目だけ。
「弱点は」
「あります」とリーネは即答した。「夜と霧です。見えなければ、何も送れません。それから、塔ごとに人が要ります。一つの塔に、交代で二、三人。ずっと隣の塔を見張って、形が変わったらすぐ写す。一瞬でも見落としたら、そこで言葉が途切れます」
「北部まで、塔はいくつですか」
「残ってる烽火台を使えば、十二。修理と腕木の取りつけは、村の大工さんたちに頼めます。だから、ザインさん」
リーネは、図面の上に指で円を描いた。
「この仕事で必要なのは、何かすごい力じゃないんです。高いところで、長い時間、じっと隣の塔を見ていられる人たち。それが、三十人以上」
三十人以上。
一つの依頼で、三十人の雇用。
私の頭の中で、求職者台帳のページが、勝手にめくれ始めていた。
「それと、もう一つ」
「何でしょう」
「形と言葉の対応表が要ります。暗号帳みたいなもの。どの形が何を意味するか、全部の塔で同じものを持たないといけない」
私は、ペンを取った。
「それは、私が作ります」
「え、ザインさんが?」
「魔王軍の暗号表は、三種類とも私が作りました」
リーネは、少し引いた顔をした。
「……ザインさんって、本当に何者なんですか」
「元・秘書です」
【史実メモ】烽火と腕木通信
烽火は、古代中国や日本などで使われた、煙や火による通信です。腕木通信は、フランスのクロード・シャップらが考案し、1794年にパリとリールを結ぶ線が開通しました。塔の上の腕木の形で文字や語を表し、望遠鏡で次の塔へ中継しました。
【この作品について】
作中でリーネが紹介する「旧文明の技術」は、実在した技術がもとになっています。
魔物たちの性質は、世界各地の神話や伝承から取っています。
ただし、規模や期間、細かな仕組みは、物語に合わせて脚色しています。
「本当にあったの?」と気になったら、ぜひ調べてみてください。
たいてい、本当にあります。




