014
「どうか……どうか……助けてください……なんでもしますから……」
何処かの人間界にアザルトは立っていた。
アザルトの目の前には、地に頭を擦りつけ、土下座をしている人間がいる。
人間は、必死に言葉を並べ、生きる為に思考を巡らせていた。
人間を見るアザルトの瞳は冷たく、感情は籠もっていなかった。
「…………人間のことは、信用できないんだ…………」
アザルトが口を開いた時には、人間の首は、はねていた。
いつからだろう。人間のことを信用できない存在だと位置づけたのは。
人間は信用できないか……ら……?
アザルトには、その理由は分からなかった。
ただ、人間の首をはねたその瞬間、アザルトの脳裏をかすめたのは、どす黒い「裏切り」の感覚だけ。
それ以上の追憶を拒むように、アザルトはソっとその記憶に蓋をした。
返り血を完全に消し去り、衣服を整える。
アザルトはその場から去る時、一度だけ、人間の方を見た。
「…………」
言葉はかけなかった。
あるのは死体だけだ。
だが、アザルトは死体を見ながら何処か遠くの景色を見ている。
そこは、誰かが笑い、泣く、明るい日常で溢れていた。
◇◆◇
「あはは!待ってよ、それ私の分だってば!!」
賑やかな笑い声と、誰かの小さな泣き声が、おだやかな魔帝国の街に響きわたる。
その風景を見つめながら、動きやすそうな中華系の服を着た少女が買い物をしている。
「店主、この茶葉ください」
「毎度あり。」
少女――ナンは買った茶葉を手に持っていたバスケットに入れて歩く。
歩く。
何十分か歩いた所で、ナンは路地裏に入った。
路地裏をまた歩く。
歩く。
ナンは、ある喫茶店の前に来ると、扉を開けて入った。
店内には誰も居ない。
店主であるローワン様は何処かでふらついているのだろう。
ナンは特に気にもせず厨房の奥に入っていく。
厨房の奥には、小さな居間があった。
居間には大量の茶葉が積み上がっていた。
種類も様々で、いくつあるのかすら、わからない。
ナンは買ってきた茶葉を、空いていた引き出しにしまった。
パタンッと引き出しを閉めようとしたその時、奥の隙間に「何か」が挟まっているのに気づいた。
なんだろうか。
ナンは静かにその「何か」を隙間から引っ張り出す。
その「何か」は、一枚の古びた紙切れだった。
紙切れは、所々破れていて保管状態はどう見たって最悪だ。
紙切れに書かれている文字を見ても、なんて書いてあるのか全くわからない。
分からないのなら、知ってそうなローワン様に後で聞いてみよう……。
ナンは、今度こそ引き出しを閉めて、店内の方へと戻る。
だが、店内はジャスミンの香りがするだけで、誰も居ない。
ナンはまあ、いいか。と呟くと店内の掃除を始めた。
だが、ナンの頭の中では、以前ローワンが見せてきた牌の模様のことを考えている。
占い師として、相当な技術を磨き、牌を使って占い読み解くことも出来るナンは、細部まで読み解けなかったことはなかった。
でも、ローワン様に見せられた牌の模様は細かく読み解くことは出来なくて、たった少しの情報しか読み解けなかった。
――『遥か昔に関係し、重要なことを示している模様』
あの時は、ローワン様にそう答えたけれど、本当にそうだったのだろうか。
もし、自分の占いが、あの牌の『本当の情報』を無意識に拒絶していたのだとしたら……。
ナンは掃除の手を止め、ポケットに入れた古びた紙切れにそっと触れた。
誰もいない店内に、ジャスミンの香りが寂しげに漂う。
魔帝国の、あまりにも明るく綺麗な日常の裏側で、静かに、けれど確実に、何かが歪み始めていた。




