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狂犬チワワと浮遊する存在のラビリンス  作者: 伊藤宏


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狂犬チワワ -003 ほんとはクソ親父なんて呼びたくない!

 玄関を出たとたん、太陽が喧嘩を売ってきた。

 手をひさしにして、顔を日差しの攻撃から防御。まだ四月だってのに何なんだよこの太陽の元気さは。地球ヤバいんじゃねえの?


 玄関を出ると広めの庭がある。ママは今、趣味のガーデニングまで手が回んないみたいで、最近、雑草が目立ってきた。

 庭の真ん中には飛び石が並んだ小道が通ってて両脇には子供の背丈くらいに育ったコニファーの木が並んでる。あたしはそのリスの尻尾みたいな形の葉っぱをポン、ポン、と触りながら庭を抜け、最後に御影石の門柱に手を置いたら、引っ越してきた日のことがフラッシュバックした。


     ☆


 ……あの日、ほどよく斬新なデザイン住宅は白く輝いてた。

 まるで何とかハウスのテレビコマーシャルの世界だった。自分はここから始まるドラマの主人公になる。何の疑いもなくそう思っていた。


 でも。

 もうここにいられるのもそう長くない。


 これは百パー、あのクソ親父のせいだ。

 ああ! 元はパパと呼んでた存在。あの人はあたしの自慢だった。

 できるビジネスマン。これこそ本当の男だ! て思った。

 ユーチューバーとかサッカー選手とか天才ラッパーとか、そんなのに憧れる男ってバッカじゃないのって本気で思ってた。


 中三とき、友達が父親を毛嫌いしてんのを知ったときは、どういうことかさっぱり理解できなかった。あたしの場合、何ならパパと一緒にお風呂に入ってもいいって思ってたし、実際マジで入ろうって誘ったし。まぁあんときはママが血相変えて止めたんで中止んなったけど、実はパパがビビってたってあとから聞いた。


 パパは夏でも颯爽とスーツで決めて朝早くから夜遅くまで働いて、休みの日は勉強をみてくれた。大人んなっても数ⅡBとか化学式の難しい問題すらすら解いちゃうのってすごくない? 

 そりゃ夜は飲んで帰ってくることもあったけど接待とかいろいろ大変なのは知ってる。それも仕事のうちなんだし。

 パパがそんな苦労をしてくれるお陰で、あたしたちは親子三人、小さいけどけっこう贅沢な家に住めて、小遣いだって友だちよりかは多かった。地に足が着いてるっていうか、これがちゃんとした大人なんだなって尊敬してた。


 それがどうしたよ。

 しかも浮気って何。ま、本人は否定してるけどさ。分かってんのかねー、近所に噂が流れてる時点でママが深く傷ついてるってこと。そこにきてあの手紙だよ。あれ、かなりの悪意がこもってるっぽいしホテル密会の証拠写真もついてたし、あれでママは撃沈したんだ。ヤバイよもう。


 にしても仕事はちゃんとやれよクソ親父。何してんだよ。なにやらかしたんだよ。ていうか会社に行ってない日もあるって、テメエは女子高生かって話だよ。


 あと、ママは言わないけど、たぶん今、家計は大変なことになってる。おかずは期限切れの惣菜だしトーストのパンだってあんなパサパサんのになっちゃった。それ以前に、あのお嬢さん育ちがパートの掛け持ちするなんて人類始まって以来の珍事だろ。


 あたしだってほんとはクソ親父なんて呼びたくない。昔みたいにパパって呼んでたまには手くらい繋ぎたいよ。


 いや。

 パパはもはや夢か。

 ならせいぜい親父。せめて親父と呼ばせてくれよ、クソ親父。


     ☆


「おはよう亜矢」

 家を出て最初の角を曲がったカーブミラーんとこで文斗に声を掛けられた。

 こいつは、カフェであの恥ずい告白をやらかしたあと、あたし専用サンドバッグを志願してきた。なんか変態っぽいんで今んとこ使ってないけど。


 文斗はいつも、色のTシャツの上から学校指定の白シャツを羽織ってる。この着方だと透けるんだけどボタン三個以上嵌めとけば校則的にはぎりセーフらしくって、今、男子の間で流行ってる。

 でも文斗の場合は顔がちょっと()()なんで、雰囲気が超ヤバイ。

 この風体で毎朝家の近くで待ち伏せって……、そのうち110番されるぞ。それにいくら暫定彼氏に認定したからって毎朝一緒に登校ってのはちょっとヘビーだ。それで今日は早めに家出てかわすつもりだったのに……。

 

「お前なんでこんな時間にいんだよ」

 ラメ入りの黒Tは悪魔っぽいロゴ入ってるし態度悪ぃし、首筋にタトゥーシールかよ。ヤバさ三割増しだな……。


「だからおはようっつったじゃんよ」


「そゆこと聞いてんじゃないっしょ、文斗、マジで今日早くね?」


「いいじゃねえかよ別に。で、なんだその顔、うちでなんかあった?」

 大ありだよ。

 でもなんで?

 顔に出てた? て考えてたらいきなりあたしの手を取りにきたんで思わず引っ込めた。けど、あっという間に恋人つなぎで握られた。


 文斗は反射神経がいい。ボクシング部なんだよね。弱小部活だけど、今年は一年生が結構入ったし今度の地区大会が三年は最後の試合になるっていうんでけっこうがんばってる。

 なのに、あたしみたいな問題児と(つる)んでてだいじょぶなのかね。

 ま、いいけど。ボクシングなんて興味ないから。


「お前、地頭いいんだから試験はちょろいんだし出席日数だけだろ。あぁ、あと喧嘩は禁止な。そうすりゃ楽勝じゃんよ」


 うちの学校、元々悪い評判はなかったんだ。それが、今の三年が入学した年から一気に雰囲気が変わった。

 下倉ってヤンキーが原因かと思ったけどほんとは違ったんだよね、ていうことを思い出したら、あれやらこれやらの余計なこと思い出しちゃった。こういうの芋蔓いもづる式っていうんだっけ。


 気付いたら思いっきりため息が漏れた。


「気にすんなって亜矢、しょっちゅう顔出してりゃ、みんな仲良くしてくれるって」

 見当違いもはなはだしい慰めにムカついたので、ひとりで改札を抜けて、ずんずんと下り線への階段を上がっていったら、下から文斗の声が追いかけてきた。

「なに怒ってんだよぉ」


「るせえな、卒業できなかったら一生グレてやる」

 まじめに言ったのに、文斗が盛大に笑った。


「見てみてえ、おばさんなってヤンキー座りしてる亜矢」

 わかってるよあたしだって。高校卒業できなかったら生きてくの大変だってことくらい。強がりだってこと察しろよ、このサンドバッグが。



 早めの時間帯に家を出たからか、うちの生徒に混じって他校の生徒もけっこういた。


 文斗と並んで歩いてるせいか、みんなが()ける。

 あ。こいつ今、目ぇ逸らした。スマホに目を落として気付かない振りしてるけど関わりたくないってのが見え見えだ。そんなヤツは目の前を舌打ちして通り過ぎて、それから振り返ってガン見する。

 あー気持ちいい。

 これ、優等生やってたら一生気付かなかっただろうな。

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