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狂犬チワワと浮遊する存在のラビリンス  作者: 伊藤宏


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狂犬チワワ -002 ああヤだ、この空気! ―2025年4月15日(火)―

 「亜矢、なにぼおッとしてるの、せっかく早く起きたんだから早く食べちゃって」

 るっせぇな、ていうことばを飲み込んで立ったままトーストの端を摘んだ。

 んで、でっかく口を開けてパクリ。


 ……。


 二、三回咀嚼しただけで食べる気が失せた。

 ったく、朝は唾液の分泌が悪いってのに。


 口のなかで捏ね固まる前にカフェオレで流し込む。それでもまだ喉元でぐずぐずしている塊を舌の奥に力を込めてゴクって押し込んだ。そんで「クソ親父は」て聞いたら、ママは横目で睨みつけてきた。


 あたしは怯むことなく言い返す。

「帰ってないの?」


「だから当分泊まるって言ってたから」

 だからは余分だっつの。


 でもそういえばちょっと前、会社の近くにアパート借りるとかって言ってた。忙しいときの仮眠所だとかって、なんか言い訳みたく。あれは家に帰らないってことの振りだったのか。


「今週どこかで帰ってくるかも。荷物取りにくるんだって。なんか話があるんだったらそのときにでも」

 ない。てかあるけど、どうせ話せる雰囲気じゃないし。


     ☆


 パパは会社が変わってから朝が異様に早くなった。でもなんか遅くまで寝てる日もあって実際なにやってんだか、不明。

 てかなんかさぁ、最近イヤイヤ感が顔に滲み出てんだよね。三歳児じゃあるまいし、覇気がないっつうの?


 まぁあたしも人のことは言えんか。

 学校きらいだし。

 自分のこともね。

 原因はまあ、元をただすと恋愛問題こじらせ症候群、及びそれが引き起こした合併症、てとこ。ダサ!


 それでも、去年の秋くらいまでは遅刻しても行ってたんだよ。でも遅刻したって別に、先生、注意するわけじゃないしクラスの連中は目も合わさない。

 せっかく、何かされたら倍にして返そうって待ち構えてんのにどいつもこいつも逃げてばっかだ。そりゃ、あたしなんて居ても不愉快なんだろうけどさ、空気じゃないんだから無視はイヤだよ。


 面白くないから、学校には行ってる振りだけして適当に外で遊んでた。だって家ん中ピリピリしてきちゃって、居るの辛いんだもん。剣呑けんのんっての? 合ってるっけ、こういう場合剣呑で。


 で、不登校を続けて試験もサボって、流れで追試もバックレたらめでたく三年生を二回やることが決まった。だから今のクラスの子は全員、ついこないだまで絞めてた下級生。これ、思った以上に居心地ワルイ。

 自業自得?

 いや、みんなあいつのせいだ。

 自転車のサドルが何回も盗まれるのも。

 うちだけ自治会の会報がこなくなったのも野良猫のノビスケがうちの庭をトイレにしてるのも全部! 全部あのクソ親父のせいだ。見た目反社の文斗と付き合う羽目になったのも……、ま、これはあたしの都合か。


 でも微妙に変だよな、文斗って。

「いくら殴ってもいいから。好きなんだよ俺、亜矢に殴られんの」

 だってさ。

 テメーは変態かっつうの。


     ☆


「亜矢、お願いだから学校はちゃんと行ってね」

 睨み返しはしてはみたものの、すっぴんに浮き出た染みといっそう深くなった眉間の皺を見たら、なんか痛ましくなって罵声を見失った。


 何しろ今、うちは離婚の危機だ。ていうかもう離婚は既定路線みたいだからじきに母子家庭ってことになる。だから分かってる、ちゃんとしなきゃって。それは分かってんだ。あたしだって高校除籍なんて経歴はヤだし。だから学校は行くよ。行くけどさぁ。


「早く食べちゃって」


「いらない」


「えー、せっかく焼いたのに」

 どうせ安物ウインナーじゃんか。


「行ってきま~す」

 頑張って愛想を込めて言ってみた。んで、ちょっとだけ期待して振り返る。

 でもママは向こうを向いたままだった。


 ……はぁ~ヤだ、この空気!


 居たたまれない気持ちを振り払うようにドタドタと足を踏み鳴らして玄関ホールに向かい、三和土(たたき)の手前で靴下滑らして急停止する。で、いったんダイニングに戻ってテーブルにあった見切り品のクリームパンと、これまた特売っぽいチョコレートクッキーを鷲掴みにしてスクールバッグ(スクバ)に放り込んだ。

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