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狂犬チワワと浮遊する存在のラビリンス  作者: 伊藤宏


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13/14

狂犬チワワ -013 わたし、笹川有希です

 ハマ女オンナが改めて挨拶した。

「亜矢さんと文斗さんですね。わたし、笹川(ささかわ)有希です。おふたりと同じように下の名前でけっこうです」


「ササガワってお前、見かけねえな、てかその制服、ハマ女だろ」


「笹の葉の笹に流れる川でササ()()です。ササガワではなくって。間違って発音すると祖母に叱られるんです」


「祖母だってよ祖母、ウチのガッコじゃみんなババアっつうの、たぁ、疲れるこいつ」


「読み方を間違えると年金が出ないこともあるんですから、亜矢さんも気を付けた方がいいですよ」


「おい文斗聞いた? あのさ笹川、年金なんてウチらにはもう関係ないんだぞ。あれもう破産寸前なんだってよ、知ってっか? あれもう払うだけ損、おまえ新聞読んでる」

 これはハッタリ。公民の授業では年金制度が破綻することはないって言ってた。でも目減りは現実問題で、あと若い世代の未納が多くなってる。


「でも年金だけじゃありませんよ。せっかくお金払うんですから、いざというときに国民としてのサービスを受けられないなんてもったいないじゃないですか」


「サービスとか国民とかってかさ、政治家みたいなこと言ってんじゃねえよ。それって何、ハマ女ってそういうこと教えんの」


 文斗はなぜだか、後ろに立ったままでなんもしゃべんない。なので何してんだこいつって振り向いたら、じっと笹川有希を見てた。ま、確かにうちの学校にはいないタイプの女子だけど、

「うちらなんて先生ビビって教科書以外教えねえもんな、なあ文斗」

 って訊いてんのにこいつ、まだ笹川を見てやんの。

 くそ……、なんかムカついてきた。

 あたしは文斗の下腹部にボディーブローをぶち込んだ。バスって音がして周りの乗客全員がひいっと身を縮めたのがわかった。


 文斗は静かに息を吐くと言った。

「おまえさ、今、ローブロー狙わなかったか?」

 ちッ、もうちょっと下だったか。


「テメエ今度このお嬢にのぼせたら次は本気でタマつぶす」


 不穏な予告に、近くに座っていた中年女の目が若干寄り目になった。アメリカのテレビドラマならオーマイガァって手のひらを上に向けそうだ。


「あんたもさ、色目使ってんじゃないよ。これマジな忠告だかんね」


「愛してるんですね、文斗さんのこと」

 思わずコケそうんなった。何言ってんだこいつ。


「いやいやお嬢にかかるとそうなっちゃうわけか。そういうんじゃないんだけどね」

 今度は文斗が不満顔だ。

 でも、ばかばかしくて見てらんないのは周りの乗客もおんなしみたいで、ひりついた雰囲気がちょっとだけ緩んだ。


 難癖付けようと思ったのに。

 ほのぼのしてどうすんだよ。


 だから照れ隠しもあって、あたしは「だいたいあんたさぁ」って改めて文句を並べた。

 でも笹川ってなんか、暖簾(のれん)腕押(うでお)しっつうの? 何言ってもぜんぜん利かなくってさ。だんだんどうでもよくなってきて「なんでこんなとこに居るんだよ」「亜矢さんと一緒ですよ、きっと」なんて他愛のない話してたら、列車が次の駅に到着した。


 ドアが開いて、中ら辺(なからへん)のドアから車掌がふたり乗り込んできた。んで優先席付近にうちらが固まってんのを見つけると、まっすぐこっちに向かってきた。


 よく見たら車掌じゃなかった。

 それっぽい帽子被っていたんでそう見えただけで、やたらとポケットが付いた丸首のベスト、それから腰回りの黒い装備品。これって車掌が身に着けるもんじゃない。

 決定的なのはベストの胸に縫いつけられたワッペンと、くっきりとした書体で記された神奈川県警察、そしてPOLICE、という文字だ。


「こんにちは」

 先に声をかけてきた若いお巡りはがっしりした体格をしてた。これは格闘系の何かで鍛え上げた身体だ。みっしりとカルシウムが詰まった密度の高い骨を何千もの筋繊維(きんせんい)が繋いでて、その上を適度な脂肪が保護してる。

 文斗とは違うタイプだけど実戦向きの肉体だ。例えるなら……、なんだろ、稽古に明け暮れてる若い力士? そんな感じ。


 あたしはお巡りと挨拶なんてしたくないんで、つい訊かれてないことに答えちゃった。

「ウチら何もやってねえし」


「まだ何も訊いてないよ」


「んだよ、じゃあ何の文句があんだよ」


「文句もないって。それよりもう11時だけど学校は?」


「お前には関係ねえだろ」

 あたしは顔を斜めにして、お巡りの全身を下から上へとサーチした。

 つい出ちゃうこれ。いちおう威嚇の定番なんだけどこの体格差だとあれだな、ヒグマに虚勢を張るチワワって感じ? 自分でいうのもなんだけど。


 後ろにいる文斗はなんか不安げな表情だ。きっとあたしが暴走しないか心配してんだろうけど大丈夫だって。バカはやんない。


 ドアが閉まって電車はお巡りふたりを乗せたまんまゆるゆると動き出した。


「高校はどこなの」


「知らねえよ」

 その答えに、後ろにいた背の高い、先輩っぽい感じのお巡りがわらった。しかも目がムカつく。完全に見下してんじゃん。

 態度の(わり)いお巡りにガン飛ばしてたら、そいつが職質を引き継いだ。


「知らないってこたないだろ! 学生証は」

 こいつ、ことば遣いがぞんざいだ。


「んなもんねえよ」

 相手に合わせると、どうしたって答え方も乱暴んなる。


「じゃあ何だその制服は、コスプレか?」


「どこにこの昼日中ひるひなかからコスプレしてハマ線乗るアホオがいんだよ、バッカじゃねえの!」


「こっちは普通に聞いてんだけどなぁ。そういう態度とるんなら次の相模原で降りてもらうことになるけど、いいんだな」


 お巡りはそう言いながら、あたしと笹川有希の間に手を入れてきた。引き離そうって気だ。

 最初は我慢してたけど上腕を掴まれた瞬間、何かが弾け飛んだ。

「にすんだよオラぁ!」て肩ではじき返したついでに、あたしは手のひらでお巡りの胸を押し返した。これはもう生体反射みたいなもんだ。


 後ろで見てた力士みたいな方のお巡りが前に出てきた。

「やめなさい」

 声は静かだけど逆っても無駄って思わせる迫力があった。でも、

「先に手ぇ出したのこいつだろうが!」

 これだけは言っておく。


「今のは目を瞑る。でももう一度やったら公務執行妨害で現行犯だからね」


 文斗が「亜矢」ていうのが聞こえたんで、あたしは視線をお巡りに残したまま、渋々戦闘態勢を解いた。

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