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狂犬チワワと浮遊する存在のラビリンス  作者: 伊藤宏


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10/21

狂犬チワワ -010 保険の成瀬茉莉先生

 保健室のベッドで丸まってたら、校庭の方から、男子が騒ぐ声が聞こえてきた。

 「ばっちこぉー」とか「かませー」とか言ってるからたぶん、体育の授業はソフトボールだ。

 苦手なんだよなーあれ、女子もあるんだもん。

 球が飛んできたら『やる気ない』ってポーズでとろとろ歩いたりわざとトンネルして、で、結局あとで本気のヤツらから白い目で見られる。だって本気で追いかけたって取れないんだからさ、カッコ悪いじゃん。やらすなってんだよ。



「こんちはっす」

 遠くから文斗の声が聞こえた瞬間、天敵に見つかった小動物みたく身体が硬直した。

 いや天敵じゃないか。


「なに、どうかしたの」って答えた成瀬茉莉(なるせまり)先生の声はちょっと警戒してる感じ。

「えっと、あのぉ、亜矢きてます?」


「防衛機密だから答えられない」


「俺、保護者なんで」

 誰のだよ。


「妹にはみえなかったけどね」


「あ、女子きてんすね」

 て言ったかと思ったらどたどたと足音。


「ああダメでしょ勝手に入っちゃ。ったくもー、警察呼ぶよ!」

 ぷって小さく噴き出した声は文斗だ。こいつ自分でウケてやんの……てベッドの上でこっそり笑ったらカーテンがしゃっと音を立てた。

 とっさに、掛けてたタオルケットで頭を覆って壁を向いた。 

 ったく寝てんのがあたしじゃなかったらどう言い訳するつもりだったんだろう。覗きの現行犯だぞ。


「おまえケツ見えてっぞ」

 反射的にタオルケットを下ろして腰をカバーしたら今度は頭が丸見えになった。


 正体がバレたんじゃしょうがない。

 ベッドに起き上って抗議した。

「スケベ、変態!」


「なんだよ元気じゃねえか」


「うっせー、なんで来たんだよ」


「教室行ったらいないからさぁ、したらまずここだろ、お前の場合」

 てやってたら茉莉先生が処置室に入ってきた。


神瀬(こうのせ)さん、あなた体調悪いって言ってなかった? 大声出してて平気なの?」


「大丈夫です。だいぶラクんなったんで」


「先生、こいつ仮病なんで甘やかさない方がいいですよ」


「ちげえよ仮病じゃねえっし」

 ちょっと泣きたかっただけだ。

 泣いたらすっきりした。


「あなたたちよね、朝から騒ぎ起こしてたの」


「すいません、こいつちょっと興奮したみたいで」


「ちょくちょくあるの? こういうこと」

 こういうこと? て頭を捻ってたら代わりに文斗が答えた。

「カッとなるってことですか? だったらはい、確かに。あ、俺じゃないっすよ。でもなんで」


「頻繁に起こるようだったらカウンセリングとか、今はいい心理療法があるから試してもいいかなって思うけど」


「ええ! こいつぶっ壊れてるんすか?」

 おい文斗、言い方!


「ま、そういう手もあるっていう話。あなた保護者なんだったらよく見ててね」

 くっそぉ、もー黙ってられん。

「違いますって! あたしは自分のことわかって行動してるんで、カッとなってるわけじゃないですから!」

 カッとなんのと自分でスイッチ入れるのは違う、て言いたかったんだけど今もカッとなってるって言われたら反論できん。


「あらそうなの、ごめんなさいね。でも神瀬さん目ぇ赤いよ。熱出てきた?」

 茉莉先生に指摘されて思わず下を向く。そして「出てません」と小さく否定。

 この先生、普通に接してるように見えて観察眼ハンパないんだよね。体調についてはほんと、茉莉先生の前で仮病なんてムリ。


 よし!


「でも先生。今の状態だとちょっと、教室戻れないんで、家帰っていいですか」

 精神的なことならほんとのことだ。今あいつらと顔合わせんのはちょっとムリ。


「ああ、気まずいってこと?」

 ストレートには答えづらいけど……。


「喜田川先生も今日は自習でいいって言ってましたし」


「そう」


「じゃあ俺も帰るか。ああ亜矢、お前のもカバンもとってきてやるよ」


「ちょっと橘君、あなたのは書けないよ疾病証明。勝手に帰ったらサボり欠席だからね」


 うちの学校は、在校時間中に体調不良で帰宅する場合、茉莉先生の疾病証明書があれば出席扱いにしてくれる。今のあたしにとっちゃ値千金(あたいせんきん)の制度だ。ん? 合ってるっけ、値千金ってこういう使い方で。


「ああ大丈夫っす。俺そいつと違って優等生なんで一日くらいどうってことないっすから。担任には帰るって伝えてきます」

 文斗は、なにげに失礼なことを言って処置室を出てった。



 茉奈先生は、文斗が出てったのを見届けてから訊いてきた。

「ほんとのとこ大丈夫なの神瀬さん。トラウマとかストレスって軽く考えてると危ないのよ。ちゃんと寝れてる?」

 ほんと、鋭いな。


「はい」

 まあ今んとこなんとか。


「食べれてる?」


「はい」

 家の食いもんのグレードが日に日にダウンしてるけどパンとかお菓子なら。


「ふ~ん、あんまり無理しないことね。じゃあ今日のところは疾病証明、喜田川先生に出しとくから、ちゃんと家に帰っておとなしくしてなさいね」


「はい」

 さぁてそうと決まったらどこ行こうかな、て考える程度には気分も回復してるんだ。


 しっかし今日はテンション上がったり下がったり激しい一日だな。

 外遊びも文斗が一緒なら大丈夫だろう。学校出ちゃえば敵もいないだろうし。


     ☆


 しばらくしたら文斗が戻ってきてあたしのスクバを「ほれ」って投げてよこした。


「しっかしお前のカバン軽いな、何入ってんだ? てか教科書は確実に入ってないよな」


「今朝クリームパン食べちゃったからね。あとはチョコクッキーが二、三枚。……そんだけ。はは」

 茉奈先生が自分の額に手を置いて「はぁ~」と声付きのため息を()いた。


 あたしは文斗と一緒に学校を出て、駅に向かった。

 とりあえずは電車に乗ろう!

 電車に乗って学校から離れよう♬

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