第34話 見せつけ
「そろそろ帰ろうかな」
スマホで時計を見てから、俺は言った。
窓の外が来たときより暗くなっている。
ちょっとだけ。
そう言ったはずだったんだけど。
結局、ベッドに三人で座ったまま、ずいぶん話し込んでしまった。
「もう、そんな時間?」
海ちゃんが俺の顔を見上げる。
「うん。あんまり遅くなるのも悪いし」
「うちは別にいいけど」
「俺が帰ってから落ち着かなくなるんだよ。長居しすぎたかなって」
「そんなこと気にしなくていいのに」
海ちゃんはそう言いながら、絡めていた腕をほどいてくれた。
美優ちゃんも、俺の右腕から手を離す。
急に両腕が自由になった。
……何だか物足りない。
そんなことを思ってしまった自分に少し驚いた。
さっきまでは近すぎて困っていたくせに。
俺は膝に手をついてベッドから立ち上がった。
「私も帰ります」
美優ちゃんも続いて立つ。
白い髪が肩から滑って、美優ちゃんはそれを手で整えた。
海ちゃんだけが、まだベッドに座っていた。
「そっか」
小さな声だった。
さっきまで俺の顔を見て楽しそうに笑っていた口元が少し下がる。
目線も下がる。
俺たちが座っていたところ。
空いた場所を見ているみたいだった。
「海ちゃん?」
「ん?」
「今日はありがとう。楽しかったよ」
海ちゃんが顔を上げた。
「……本当?」
「うん」
「緊張してばっかじゃなかった?」
「それは、まあ」
否定できない。
二人があんなに近かったんだから。
俺が言葉を濁すと美優ちゃんが隣で笑った。
「最後の方は普通にお話しできてましたよね」
「慣れたってこと?」
海ちゃんが聞く。
「いや普通かどうかは分からないけど」
「じゃあ、また練習しないとね」
「何の練習だよ」
「一緒に座る練習」
海ちゃんが、ぽんっとベッドを叩いた。
今からもう一回、という意味じゃないよな。
俺がその手元を見ると海ちゃんは笑いながら立ち上がった。
「玄関まで送るよ」
いつもの明るい声。
でも笑う直前に少しだけ唇を結んだのが見えた。
寂しそうに見えたのは気のせいじゃなかったのかもしれない。
俺は床に置いていたカバンを持ち上げる。
美優ちゃんも自分のカバンを肩に掛けた。
「忘れ物ない?」
海ちゃんが部屋の中を確認する。
「大丈夫だと思う」
「謙也さん、スマートフォンは?」
「あ、ポケットにある」
上から触って確かめる。
カバンもある。
よし。
「じゃあ、お邪魔しました」
「それは玄関で言ってよ」
「ごめんごめん」
海ちゃんがドアを開ける。
俺、美優ちゃんの順に部屋を出る。
後ろでドアが閉まると、さっきまでの話し声が急になくなった。
廊下は静かだった。
一列で進む。
三人で階段に向かって歩き出す。
「謙也君、明日の朝も同じ時間でいい?」
「うん。準備して待ってる」
「また待っててくれるんだ?」
「そりゃ迎えに来てくれるなら――」
そこまで言って海ちゃんの顔を見た。
口元が緩んでいる。
「……わざと聞いてない?」
「うん」
「隠す気もないんだ」
「嬉しいことは何回聞いてもいいじゃん」
何と返そうか考えていると、海ちゃんがふと足を止める。
「ちょっと待ってね」
「え?」
階段は、もうすぐそこだった。
海ちゃんが近くの扉に手を伸ばす。
その部屋には見覚えがあった。
来たときにも、ここで立ち止まった。
「海ちゃん、そこ――」
ノックをする音はなかった。
海ちゃんが、そのままドアを開ける。
「お兄ちゃ〜ん」
妙に明るい声だった。
俺の足まで止まる。
「謙也君と美優が帰るって。よかったね! 静かになって〜」
部屋の中が見えた。
カーテンが閉まっている。
隙間から入る光が、わずかに床の一部だけを照らしていた。
ベッドの上には布団の膨らみがある。
拓海だった。
たぶん。
顔は見えない。
布団を頭まですっぽり被って、横になっている。
来たときは起きていたけど。
寝たのか?
俺が声を掛けようか迷っていると、左腕に柔らかな感触が重なった。
「……え?」
海ちゃんが抱きついていた。
俺の左腕を両腕で抱えて、肩をぴったり寄せてくる。
顔を見る。
少し顎を上げて、部屋の中に得意げな笑みを向けていた。
「お邪魔しました〜」
今度は右側から声がした。
美優ちゃんだった。
同時に、俺の右腕にも腕が絡む。
さっきようやく自由になったばかりなのに。
もう元どおりだ。
「美優ちゃんまで……」
小さく言うと美優ちゃんが俺を見上げた。
にこっと笑う。
そのまま離れない。
俺は左右の二人を見て、それから部屋の中に視線を戻した。
拓海から返事はなかった。
布団も動かない。
寝ているのか。
それとも聞こえていて何も言わないのか。
顔が見えないから分からなかった。
「……」
俺、どうすればいいんだ。
お邪魔しました、って言えばいいのか。
でも拓海に招かれたわけじゃない。
かといって、このまま黙って立っているのも。
海ちゃんは俺の腕に抱きついたまま。
美優ちゃんも同じ。
これじゃ何を言っても何か違う意味に聞こえそうだった。
俺は口を開きかけて閉じた。
結局、困ったような笑いしか浮かべられなかった。
「それじゃあね〜」
返事を待たずに海ちゃんが言った。
左腕から片手だけを離す。
バタンッ。
雑に拓海の部屋の扉を閉める。
思っていたより大きな音だった。
俺は少し肩を揺らした。
さっきまで見えていたベッドも、布団も、全部扉の向こうに消える。
「それじゃあ、行こ! 付き合ってくれてありがと!」
「え、あ……うん」
二人が俺の腕から手を離す。
どこまでを、付き合ったことにされているんだろう。
不思議に思いながらも、階段を降りて玄関に向かうのだった。




