第32話 引きこもりに対する追い打ち
(南川拓海視点)
俺は今日、学校をサボった。
朝、おふくろに声を掛けられたとき、布団の中で腹を押さえた。
『……腹、痛え』
『昨日、変なものでも食べたの?』
『分かんねえ。ちょっと無理かも』
なるべく小さな声で言った。
顔もしかめた。
おふくろは少し迷っていたけど、結局、学校に連絡してくれた。
親父にも今日は休ませると伝えていた。
それを聞いて、ようやく安心できた。
本当は、どこも悪くない。
朝飯だって食おうと思えば食えた。
ただ学校に行きたくなかった。
あの教室に戻るくらいなら腹が痛いことにして寝ている方がずっとよかった。
「……」
ベッドの上でスマートフォンを見る。
誰からも連絡は来ていない。
クラスのやつらは、もう授業が終わったころだろうか。
カーテンの隙間から入ってくる光が朝とは違う場所を照らしていた。
一日、何をしていたんだっけ。
動画を開いて。
途中で閉じて。
別の動画を開いて、また閉じた。
何を見ても頭に入らなかった。
美幸にフラれた。
そのあと恵にもフラれた。
どっちも俺が呼び止めても振り返らなかった。
思い出すだけで腹が立つ。
何で、あんな簡単に切れるんだよ。
ついこの前まで好きだって言ってたくせに。
スマートフォンの画面を消した。
真っ暗な画面に自分の顔が映る。
寝癖がついていた。
直す気にもならない。
学校に行ったって誰と話せばいい。
美幸はもう俺の方を見ない。
海は、あの写真を黒板に貼りやがった。
クラスのやつらも俺が顔を向けたら目を逸らす。
『ダサすぎだろ』
あの声が、また頭の中で聞こえた。
「……うるせえな」
誰もいない部屋で呟く。
スマートフォンを握った手が震えていた。
力を入れて止めようとする。
でも教室のやつらの顔まで浮かんでくる。
誰も助けてくれなかった。
いつも一緒に笑っていたやつまで俺を冷たい目で見ていた。
何なんだよ。
俺一人を責めれば、それでいいのかよ。
あんなところで一日過ごせるわけがない。
今日休んだくらいで何か変わるとも思えないけど。
明日になったら行けるのか。
そう考えて、すぐにやめた。
今は考えたくない。
俺はスマートフォンを枕元に放った。
そのときだった。
廊下から足音がした。
続いてドアノブが回る。
ノックはなかった。
「いたいた。どう、気分は? 最悪?」
海だった。
制服のまま俺の部屋を覗いている。
帰ってきたのか。
俺はベッドの上で体を起こした。
「……勝手に入ってくんなよ」
「別に中まで入ってないじゃん」
海は開けたドアに手を掛けたまま笑った。
その顔を見た途端、体が熱くなる。
こいつ。
誰のせいでこうなってると思ってんだ。
あんな写真を撮って。
教室で、わざわざみんなに見せて。
家族だろうが。
兄貴が困るって分かってて何であんなことができるんだよ。
「ノックくらいしろよ」
「そんな元気あるなら、学校来ればよかったのに」
「腹が痛えんだよ」
「ふうん」
海の目が枕元のスマートフォンに向いた。
それから俺に戻ってくる。
何だ、その顔。
信じてないのか。
「何の用だよ。用がねえなら閉めろ」
「あるよ」
海が廊下に振り返った。
誰かに手招きする。
「ねえねえ謙也君、見てよ! 今日から引きこもってるんだよ。ダサいよね〜」
は?
今、何て。
海の肩の向こうから黒髪が見えた。
ひょこっと顔を出したそいつと、目が合う。
「……謙也」
息が止まった。
何でいる。
何で俺の家に。
謙也はカバンを持ったままドアの外に立っていた。
制服も、髪も、ちゃんとしている。
学校から、そのまま来たらしい。
俺は自分の服を見下ろした。
昨日から着ている部屋着。
膝のあたりで丸まった布団。
枕元には、放り投げたスマートフォン。
まずい。
見られたくない。
こんなところ、こいつにだけは。
俺は布団を脇に押しやった。
それで何が変わるわけでもないのに。
「何しに来たんだよ」
思ったより声がかすれた。
謙也の目が俺から海に動く。
「海ちゃん、俺は……」
「うん。こっちこっち」
海が楽しそうに手を振った。
俺に向けるのとは、全然違う声だった。
謙也は笑っていなかった。
それが余計に嫌だった。
笑えよ。
今なら笑えるだろ。
この前、お前にしたみたいに。
俺のことを見て、情けねえって。
……いや、やめろ。
本当に言われたら何も返せねえ。
俺はベッドの端を掴んだ。
つい最近まで俺の方が上だった。
美幸と付き合ってるって言ったとき謙也は何も知らない顔をしていた。
あいつの好きな女が俺の彼女だった。
そう言って笑えた。
そのうえ恵までいた。
俺には二人もいる。
お前には誰もいねえだろって思っていた。
なのに今は。
俺は部屋着でベッドに座っていて、謙也は海と一緒に帰ってきている。
引きこもりの俺。しっかり学校に通っている謙也。
「何か、立場が逆転しちゃったね〜」
海が言った。
胸の奥が、かっと熱くなった。
「お、お前な……!」
「ごめんごめん! 今から、うちは謙也君と美優と一緒に部屋で楽しむから。邪魔しないでね」
な!?
海の向こうを見る。
廊下の少し先に白い髪が見えた。
俺の部屋を見ようともしない。
「海、先に入ってていい?」
「うん! すぐ行く!」
海が答えた。
まるで俺との話なんか、もう終わったみたいに。
いや最初から俺と話す気なんてなかったんだ。
わざわざ見せに来たのか。
謙也を。
楽しそうにしている自分たちを。
「……ふざけんなよ」
「じゃあ、バイバイ〜。一人で引きこもり楽しんでね〜」
「おい、海!」
バタンッ。
ドアが閉まった。
俺の声に重なるくらい雑な音だった。
「……っ」
ベッドから立ち上がりかける。
だけど足が止まった。
追いかけて、どうする。
ドアを開けて怒鳴るのか。
その前には謙也がいる。
あいつに投げられたときの感覚が急に戻ってきた。
足が浮いて。
何もできないまま畳に倒れて。
みんなが見ていた。
圧倒的な実力差を思い知らされた。
ああ、くそ。
何で今、それまで思い出すんだよ。
俺はベッドに座り直した。
廊下で足音が遠ざかる。
「謙也君、飲み物、何がいい?」
「何でもいいよ。ありがとう」
「美優は?」
「私も何でもいいよ」
廊下から聞こえてくる。
「……ちくしょう」
両手を握る。
爪が手のひらに食い込んだ。
痛い。
「何でこうなっちまったんだよ……」
返事なんかない。
しばらくして海の部屋から笑い声が聞こえてきた。
「あははっ」
「うふふっ」
海と、美幸の妹。
その間に、謙也の声も聞こえる。
何を話してるのかまでは分からない。
でも楽しそうなのは分かった。
俺のことか?
さっきの俺を見て笑ってるのか?
違うかもしれない。
そんなことは分かってる。
でも笑い声が上がるたびに肩が跳ねた。
楽しそうな声が耳から離れない。
「や、やめてくれ!」
俺はベッドに飛び込んだ。
布団を頭まで被る。
両手で耳を塞いだ。
暗くなった。
自分の息だけが、やけに近い。
これなら聞こえない。
聞こえなくなるはずだ。
なのに。
さっきの謙也達の笑い声が、まだ耳に残っていた。
謙也を呼んだ、あの楽しそうな声まで。
俺は目をきつく閉じた。
学校に行かなければ誰にも見られずに済むと思った。
この部屋にいれば少しは忘れられると思った。
なのに。なのに~。
そんなことは決してなかった。俺の幻想でしかなかった。




