第30話 変わり果てた美幸
「それで謙也さんは最後まで見たんですか?」
「いや途中まで。二人が帰ってからは見てないよ」
「よかった〜」
美優ちゃんが胸の前で両手を合わせた。
俺は自分の席に座ったまま、その顔を見る。
「よかったって?」
「続きを一緒に見られるじゃないですか」
「うちも気になってたんだよね。あのあと、どうなるのか」
海ちゃんまで机に手をついて身を乗り出してくる。
学校に着いて帰りの話をするにはまだ早くないか。
まだ一時間目も始まってないんだけど。
俺の机の右側には美優ちゃん。
左側には海ちゃんが立っている。
二人とも自分の教室にカバンを置いてから、またこっちへ来た。
「じゃあ、先には見ないようにしとくよ」
「約束ですよ?」
「うん」
「絶対ですよ?」
「そんなに念を押さなくても」
「謙也さん、気になったら見ちゃうかもしれないじゃないですか」
美優ちゃんが人差し指を立てた。
俺は思わず、その指を見てしまう。
「先に見たくなりそうなのは美優ちゃんの方じゃない?」
「え?」
「昨日、次の話も見ましょうって言ってたし」
海ちゃんが横で吹き出した。
「あ、それ。帰る時間なのに、あとちょっとって言ってたよね」
「海だって見たそうにしてたじゃん」
「うちは、ちゃんと帰ろうって言ったもん」
「言いながら画面見てたでしょ」
美優ちゃんが俺の向こう側へ顔を向ける。
海ちゃんも、負けずに見返した。
俺を挟んで話すなよ。
どっちを見ればいいのか分からないんだけど。
「……二人とも、続きが気になるってことでいい?」
「はい」
「うん」
返事は揃った。
そこは揃うんだ。
俺が笑うと美優ちゃんもつられたように口元を緩める。
海ちゃんは机についた手の上へ、もう片方の手を重ねた。
「謙也君は、どうなると思う?」
「何が?」
「あのドラマ。昨日、最後に電話かかってきたじゃん」
「ああ。あれ、弟からじゃないかな」
「え〜、うちは別の人だと思う」
「私は、最初に出てきた女の人です」
「それ、全員違うじゃん」
「じゃあ、当たった人に何かあります?」
美優ちゃんが俺を見る。
何で俺に聞くんだ。
「何かって?」
「謙也さんから褒めてもらえるとか」
「そんなのでいいの?」
「そんなのじゃないですよ」
即答だった。
海ちゃんまで、うんうんとうなずいている。
「うちが当たったら、ちゃんとすごいって言ってね」
「言うけど……」
ドラマの予想を当てただけで、そんなに張り切ることある?
いや、楽しそうだからいいんだけど。
「俺が当たったら?」
「私がいっぱい褒めます!」
「うちも!」
「……それは、ほどほどでお願いします」
「どうしてですか?」
「二人に褒められると何て返せばいいか分からなくなるから」
この前、教室の後ろで散々褒められたときのことを思い出す。
俺のことなのに、二人の方が得意げだった。
顔が熱くなって、早く終わってくれとしか思えなかった。
美優ちゃんが、にこっと笑う。
「じゃあ、慣れてもらわないとですね」
「何に?」
「褒められることに」
「今日も練習しよっか」
海ちゃんまで楽しそうに言った。
練習って何だよ。
俺が断ろうと口を開いた、そのときだった。
がらっ。
教室の後ろの戸が開いた。
何となく、そちらに目が向く。
誰かが登校してきた。
それだけのはずだった。
「……」
言いかけた言葉が止まる。
戸のところに美幸が立っていた。
一瞬、見間違えたのかと思った。
でも、違う。
あの制服も、肩に掛けたカバンも、見覚えがある。
美幸だった。
ただ、いつもの美幸じゃなかった。
長い黒髪が、あちこちで跳ねている。
それより、目の下。
両目の下に暗い隈ができていた。
顔色も悪い。
いつもなら遠くからでも目が合えば分かった。
笑っているのか、怒っているのか。
何か頼みたいことがあるのか。
今日は、よく分からなかった。
口元が少し開いたままで、目にもいつもの力がない。
昨日から、一晩しか経ってないよな。
俺は思わず美幸の顔を見つめた。
「謙也さん?」
美優ちゃんに呼ばれる。
すぐには返事ができなかった。
俺の視線を追った美優ちゃんが後ろを振り返る。
海ちゃんもそちらを見た。
美幸は戸の脇に立ったまま、教室の中を見ていた。
入ってこない。
後ろから来た男子が、その肩越しに顔を出す。
「あの、通っていい?」
「……あ」
美幸が身を引いた。
男子が横を抜けていく。
そのあとになって、ようやく美幸も歩き出した。
足が重そうだった。
上履きが床を擦る音がする。
カバンの肩紐がずり落ちかけて、美幸は片手で掴んだ。
掛け直す。
それだけの動きにも、妙に時間がかかっていた。
今日は誰のところにも寄らない。
ただ自分の席へ向かっている。
それだけで精いっぱいみたいだった。
『私がご飯を食べ終わっても、まだ話してましたよ』
今朝、美優ちゃんが言っていたことを思い出す。
あのあと、何時まで続いたんだろう。
寝られなかったのか。
目の下の隈を見ると、そうとしか思えなかった。
俺の机の横で、美優ちゃんが軽く拳を握る。
何か言うのかと思ったけど、何も言わなかった。
海ちゃんも黙っていた。
美幸が、その二人に気づく。
続いて俺を見た。
目が合った。
「……」
美幸の足が止まりかける。
唇が動いた。
名前を呼ばれるのかと思って、俺は無意識に背筋を伸ばした。
でも声はしなかった。
美幸の視線が俺から美優ちゃんに移る。
そして、床に落ちた。
そのまま自分の席まで歩いていく。
椅子を引いて、腰を下ろした。
カバンを机の横へ掛けようとして、金具にうまく引っかからなかったらしい。
一度、膝に戻す。
もう一度持ち上げて、ようやく掛けた。
それから動かなくなった。
教科書を出すでもなく、スマートフォンを見るでもなく。
机の上に置いた自分の手を、じっと見ていた。
美幸は学校に来た。
来たけど。
あんな姿を見ることになるなんて思ってもいなかった。




