第28話 父親の参入
(北條美幸視点)
廊下から足音が聞こえた。
あたしは顔を上げる。
ママも扉の方に振り向いた。
「どうしたんだ。美優から美幸を叱ってるって聞いたんだが」
扉が開いた。
パパだった。
仕事のときのシャツを着たまま部屋の中を覗いている。
帰ってきてたんだ。
いつもなら、おかえりって言えるのに。
今は口を開いても息しか出てこなかった。
「美幸?」
パパの視線が床に座っているあたしへ下りる。
正座した足。
膝の上で握った手。
それから濡れた顔。
「何があった?」
「あなた、ちょうどよかった。聞いてちょうだい」
ママが言った。
あたしの肩が跳ねる。
待って。
言わないで。
そう思ってママを見たけど目は合わなかった。
「美幸が、謙也君にひどいことをしたの」
「謙也君に?」
「好きでもないのに告白して信じたところを拓海君と二人で笑ったんですって」
パパの顔から表情が消えた。
「……何?」
低い声だった。
あたしは膝へ視線を落とした。
見られない。
パパの顔、見たくない。
「今日、大中さんから電話があったのよ。それで今、美幸から話を聞いてたところ」
「本当なのか、美幸」
あたしは指先を握り込んだ。
「……うん」
「聞こえない」
「……本当、です」
パパが部屋に入ってくる。
後ろで扉が閉まった。
ママの隣にパパの足が並ぶ。
もう、どこを見ればいいの。
ママから目を逸らしても、今度はパパと目が合いそうだった。
「どういうつもりでやったんだ」
「あたしは……」
「冗談のつもりだったって」
ママが答えた。
パパが、ゆっくりあたしを見る。
「冗談?」
あたしは何も言えなかった。
その言い方じゃ。
その言い方をされたら、もっと怒られる。
でも、あたしが言ったことだ。
ママはウソなんてついていない。
「人が傷ついてるのに、冗談で済むと思ってるのか!」
びくっと体が跳ねた。
パパの大きな声が部屋に響く。
「しかも謙也君だぞ。小さいころから知ってるだろ!」
「……ごめんなさい」
「謝る相手が違うだろう!」
「まだ謙也君には謝れてないのよ」
ママが続けた。
やめて。
もう言わないで。
「昨日、謝ろうとはしたって言うんだけど。ごめんなさいの一言も言ってなかったんですって」
「何でだ」
「それは……」
「好きだってウソは言えて謝ることはできないのか?」
目の奥が、また熱くなった。
さっき拭ったばかりなのに。
頬を涙が伝っていく。
「ちが……あたし、ちゃんと……」
「ちゃんと、何?」
ママに聞き返される。
その先が出てこない。
ちゃんと謝ろうとした。
でも、それはさっきも言った。
同じことを言ったら、また怒られる。
「泣いてたら分からないだろ。言いたいことがあるなら話しなさい」
パパの声も怖かった。
いつもならママに怒られたあとで話を聞いてくれた。
まあまあ、と間に入ってくれたこともあった。
そのパパまで今日はあたしを見下ろしている。
最悪だ。
ママだけでも怖かったのに。
パパにまで知られた。
明日の朝どんな顔で食卓に座ればいいんだろう。
学校では友達に避けられて。
美優には無視されて。
拓海とも別れて。
家に帰ってもパパとママがこんな顔をしていたら。
あたし、どこにいればいいの。
「美幸、聞いてるのか!」
「き、聞いてる……」
慌てて顔を上げた。
涙で二人の顔が滲む。
「だったら、どうしてやったのか答えなさい」
「拓海に……言われて……」
パパの眉が寄った。
ママも、すぐに口を開く。
「さっきもそれを言ってたわね。でも、あなたもやるって決めたんでしょう?」
「……うん」
「断れなかったのか」
あたしは唇を噛む。
断ろうとなんて思わなかった。
拓海が楽しそうに話すのを聞いて。
あたしも面白そうだって。
「美幸」
「……断らなかった」
「そうだろう! 自分でやったことだろう!」
パパの声に、また肩が縮む。
「いつまで人のせいにしてるんだ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝って終わりにしようとしないで。何が悪かったのか分かってるの?」
今度はママだった。
二人の声が次々に降ってくる。
あたしが一つ答えると、また聞かれる。
口ごもると名前を呼ばれる。
下を向くと顔を上げなさいと言われる。
地獄だった。
「謙也君が同じことを美幸にしたら、どう思う?」
ママに聞かれた。
そんな謙也、想像できなかった。
でも好きだと言われて信じたあとに笑われたら。
ウソに決まってるだろって言われたら。
「……嫌だ」
「そうでしょう!」
ママの声が強くなる。
「自分がされたら嫌なことを、どうしてできるの!」
「謙也君なら怒らないと思ったのか?」
パパの言葉に息が詰まった。
謙也なら怒らない。
拓海も、そう言っていた。
あたしも、それを信じていた。
黙ったままでいるとパパが深く息を吐いた。
「優しくしてくれる相手に甘えてたんじゃないのか」
膝の上に、また雫が落ちた。
もう止められなかった。
涙を拭おうとしても指まで震える。
鼻をすすったら息が引っかかった。
「……ごめ、なさい」
「美幸。明日になったら元どおり、なんて思わないでよ」
ママの声に、あたしは顔を上げた。
「謙也君があなたを避けても、謝ったんだから許して、なんて言わないこと」
「分かったな?」
パパにも念を押される。
あたしは何度も頷いた。
「はい……」
「返事だけじゃ困るのよ!」
「自分がしたことを、ちゃんと考えなさい!」
分かってる。
もう、分かったから。
そう言いかけて、口を閉じた。
言ったらきっと、また怒られる。
足が痺れていた。
膝も痛い。
でも動かしていいかすら聞けなかった。
あたしは濡れた顔を伏せかけて慌てて戻す。
目の前には、まだパパとママがいた。
どちらも、もういいとは言ってくれない。
「それで今後どうするの?」
ママが、また続きを尋ねた。
終わらない。
まだ終わらないんだ。
あたしは震える唇を開いた。
返答と一緒に、また涙がこぼれた。




