第27話 説教
(北條美幸視点)
「入りなさい」
ママが自分の部屋の中を指さした。
掴まれていた手が、ようやく離れる。
あたしは手首をさすりかけて、やめた。
ママが見ていたから。
「……」
何も言わずに部屋へ入る。
いつもなら、ここに来るのは何かを借りたいときだった。
爪切りとか、ハンドクリームとか。
ベッドに腰掛けて、そのまま学校の話をすることもあった。
でも今は、そっちに近づけなかった。
後ろで扉が閉まる。
ぱたん。
いつもと同じ音のはずなのに肩が跳ねる。
振り返ると、ママが扉の前に立っていた。
あたしの逃げ道を塞ぐみたいに。
「まず座りなさい」
指さされたのは、ベッドじゃなかった。
その手前の床。
「……はい」
あたしは膝をついた。
何となく、足を崩して座ってはいけない気がした。
両足を揃えて、お尻を下ろす。
スカートの裾を膝の上で整えてから、両手を置いた。
ママは立ったまま、あたしを見下ろす。
「美幸」
「……はい」
「最初から話して」
あたしは膝を見つめた。
最初って。
どこから話せばいいの。
拓海に言われたところから?
それとも謙也を屋上に呼び出したところから?
「拓海に言われて……」
「何を?」
「謙也に嘘の告白をしてみようって」
声にすると、ひどく嫌な感じがした。
ママは何も言わない。
ジッと続きを待っている。
「それで屋上に呼んだの」
「……うん」
「それから?」
「好きだって、言った」
指先がスカートを掴んだ。
あのときの謙也の顔が浮かぶ。
驚いていた。
何度も聞き返してきた。
あたしが頷くたびに少しずつ顔が赤くなって。
「謙也君は何て?」
「返事をしようとしてた」
「しようとしてた?」
「その前に、拓海が出てきたから……」
ママの眉が動いた。
「二人で待ち構えてたのね」
「……うん」
「美幸は謙也君が信じると思って言ったの?」
あたしは唇を噛んだ。
分からなかった、とは言えなかった。
だって信じてもらえなきゃ困った。
拓海に、うまくできなかったって思われたくなかった。
「……思ってた」
「そう」
短い返事だった。
怒鳴られるより、ずっと怖かった。
「それで信じてくれた謙也君を笑ったの?」
あたしは頷いた。
「声に出して答えて」
容赦がない。
「……笑った」
ママが目を閉じた。
少しの間、そのままだった。
あたしは顔を上げられなかった。
「どうして?」
「……」
「何がおかしかったの?」
分からない。
今、思い出しても、何がおかしかったのか分からない。
拓海が笑っていたから。
あたしも、その隣で笑った。
謙也が困っているのを見ても、やめようとは思わなかった。
「そのときは冗談のつもりで……」
「謙也君も笑ってた?」
喉が詰まる。
「……笑ってなかった」
「じゃあ誰のための冗談だったの?」
膝の上の手が震えた。
ママの声は、ずっとはっきり聞こえていた。
聞きたくなくても、耳に入ってくる。
「あたしと……拓海」
「そうでしょうね」
ママが息を吐いた。
「二人が楽しむために謙也君の気持ちを使ったのね」
「……」
「昔から一緒にいた子でしょう。信じてくれるって、分かってたんでしょう?」
胸が痛くなった。
そうだ。
謙也なら、あたしが真剣な顔をすれば信じてくれると思った。
それを、あたしは。
「ごめんなさい……」
ようやく出てきた言葉だった。
ママはすぐには答えなかった。
「あたし、ちゃんと謝るから」
「謙也君には、まだ謝っていないの?」
「昨日、謝ろうとしたの。でも、美優が……」
そこまで言って、止まった。
ママの目が細くなった。
「美優が、何?」
「……止めたから」
「その前に、ごめんなさいの一言は言った?」
あたしは首を横に振った。
言っていない。
謝りたいとは言った。
でも、謝ってはいない。
「謙也君は、好きだと信じた相手と友達に、目の前で笑われたのよ」
視界がぼやけた。
瞬きをすると、膝の上に雫が落ちた。
あ。
泣いちゃった。
慌てて顔を下げる。
もう一滴、落ちた。
スカートに小さな染みができる。
「……ごめんなさい」
声まで震えた。
鼻の奥が痛い。
息を吸ったら、変な音が出た。
「泣いても終わらないから」
冷酷な言葉。
「まだ聞きたいことがあるの」
「……はい」
泣きながら返事をするしかなかった。
「謙也君を笑ったあと、どうしたの?」
「……帰った」
「謙也君を置いて?」
「うん……」
「様子を確かめようとは思わなかった?」
あたしは何度目かも分からないくらい首を横に振った。
ママの声は止まらなかった。
あたしが忘れたふりをしたいことを、一つずつ聞いてくる。
そのたびに答えなきゃいけなかった。
自分が何をしたのか。
何を見て、何を言って。
何もしないまま帰ったのか。
もう、やめてほしい。
そう思ったのに言えなかった。
「美幸。顔を上げなさい」
あたしは涙でぼやけたままママを見た。
その顔には許してくれる気配がなかった。




