第26話 傍観者
(北條美優視点)
「美幸! 大中さんから聞いた話、詳しく聞かせなさい!」
帰ってきたママの第一声が、それだった。
私はソファに座ったままリビングの入り口に顔を向ける。
あ、来た。
思っていたより早かったな。
おばさんたちが帰ってから、まだそんなに経っていない。
ママは仕事のカバンを椅子に置くと、そのままお姉ちゃんのところに歩いていった。
雑巾(お姉ちゃん)は、さっきからテーブルの前に立ったままだ。
座ればいいのに。
誰も座っちゃダメなんて言ってないのにね。
「マ、ママ……」
「お母さん、電話で聞いて驚いたわよ。謙也君に何をしたの?」
「それは、その……」
雑巾の視線が、ちらっと私に向いた。
私は何も言わずに見返す。
何?
私の顔を見たら何か答えが出てくるの?
おばさんに話したときだって私は本当のことしか伝えてないよ。
「美幸。今、聞いてるでしょう」
「……ふざけてただけで」
ママの動きが止まった。
私も、膝の上に置いていた手をぎゅっと握る。
まだそれを言うんだ。
謙也さんがどれだけ傷ついたか、目の前で見たくせに。
「ふざけてた?」
「こんな大ごとになるなんて思ってなくて……」
「大ごとにならなければ、やってもよかったの?」
「そういうことじゃないけど」
「じゃあ、どういうこと?」
雑巾は口を開いた。
でも何も出てこなかった。
さっき、おばさんに聞かれていたときと同じだ。
言いたいことがあるなら言えばいいのに。
謙也さんには、あんなに色々言えたんでしょ?
好きだって。
それが嘘だったって。
笑いながら言えたんでしょ?
「……拓海が」
小さな声がした。
ママの眉が寄る。
「拓海君が、何?」
「最初に言い出したのは拓海なの。あたしからじゃなくて」
私は思わず息を吐いた。
そっか。
次はそっちなんだ。
「言い出したのが誰かは、あとで聞くわ。美幸は何をしたの?」
「だから、あたしも悪かったと思ってるよ」
「だったら、まず自分のしたことを話しなさい」
雑巾の肩が小さく縮む。
ママは、その顔をじっと見ていた。
いつもなら、ここで少し声を緩める。
落ち着いて話しなさい、とか。
とりあえず座りましょう、とか。
でも今日は言わなかった。
「こっちへ来なさい」
「え?」
ママが雑巾の手を掴んだ。
そのままリビングの入り口に向けて引いていく。
「ちょ、ちょっと、ママ」
「二階で話しましょう」
「ここでいいじゃん……」
「美優に聞かれたくないこともあるんでしょう?」
雑巾が黙り込む。
あら。
気を遣ってもらえてよかったね。
私は別に、ここで聞いていてもよかったけど。
ママは立ち止まらなかった。
雑巾も引かれるまま足を動かす。
スリッパが床を擦った。
どうやら本当に二階でお説教が始まるらしい。
きついね〜。
でも帰ってきたばかりのママに何度も同じことを聞かせるのもよくないもんね。
ちゃんと最初から話してきてよ。
途中を省いたり元彼氏のせいにしたりしないでさ。
「……美優」
呼ばれた。
雑巾がこっちを見ていた。
今にも泣きそうな目だった。
唇まで少し震えている。
ママに掴まれていない方の手が私へ伸びかけた。
何、その手。
私はソファから動かなかった。
「美優、あたし……」
助けて欲しいんだ。
ママを止めてほしいんだね。
私からも、もう十分反省してるって言ってほしい?
お姉ちゃんもつらいんですって?
へえ。
そんなこと頼めるんだ。
謙也さんが傷ついていたときは笑って帰れたのに。
「……何?」
私が聞くとお姉ちゃんは息を詰めた。
続きを待ってあげた。
でも、やっぱり何も言わない。
目だけで訴えてくる。
いつもなら私が何とかしてくれると思ってるのかな。
だったら残念。
今日は、そのつもりないから。
「美優」
今度はママだった。
私はすぐに顔を向ける。
「なあに?」
「先にご飯食べときなさいよ。すごく長くなると思うから」
「は〜い」
元気よく返事をした。
雑巾の顔が、はっきり強張る。
どうしたの?
ご飯くらい食べていいでしょ。
私、ちゃんとお腹すいてるんだけど。
「冷蔵庫にあるもの、温めて食べてね」
「うん。ママの分も残しておくね」
「ありがとう」
ママが少しだけ笑った。
でも雑巾に向き直ったときには、もうその笑みは消えていた。
「行くわよ」
「ま、待って。美優に話したいことが……」
「まず、お母さんと話しなさい」
掴まれた手が、もう一度引かれる。
雑巾の足がリビングから出た。
まだ、こっちを見ている。
「美優……」
最後にもう一度、名前を呼ばれた。
私は返事の代わりに小さく手を振った。
いってらっしゃい。
ちゃんと話してきてね。
雑巾の姿が入り口の向こうに消える。
続いて階段を上がる音が聞こえた。
「だから、あたしだって……」
「美幸、まだ話を聞いてる途中でしょう!」
声が少しずつ遠ざかる。
私は二人がいなくなった入り口を、しばらく見ていた。
戻ってこない。
もう私に助けを求める顔も消えた。
「……さて」
手を膝に移して小さく息を吐いた。
ご飯、何を温めようかな。
冷蔵庫の中を思い出そうとして、ふと口元に手を当てる。
笑っていた。
自分でも分かるくらい、口元が緩んでいた。
階段の上で扉が閉まる音がした。
私はその音まで聞き届けてから、ゆっくりソファを立った。




