第23話 別れ②
(南川拓海視点)
美幸に別れを告げられた日の夕方。
俺はいつもの公園のベンチに座っていた。
スマートフォンを開く。
恵とのやり取りが画面に並んでいる。
『今日、会える?』
『いいよ〜』
ちゃんと返事は来た。
既読だけつけて無視されたわけじゃない。
時間も場所も決まっている。
だから、もうすぐ来る。
「……はぁ」
スマートフォンを膝へ下ろした。
何度確認したって、書いてあることは変わらない。
分かってるのに、つい見てしまう。
今日の学校は最悪だった。
教室へ戻るだけでも、何であんなに緊張しなきゃいけねえんだよ。
カバンを拾って席に着くまで、誰とも目を合わせられなかった。
美幸にも話しかけられなかった。
あいつ、俺の方を見ようともしなかったし。
昨日まで付き合ってたんだぞ。
あんなに簡単に他人みたいな顔ができるものなのかよ。
俺はスマートフォンを持ち直した。
恵からは、新しいメッセージは来ていない。
もう近くまで来てるだろうか。
顔を上げて公園の入り口を見る。
昨日も、ここで待っていた。
あのとき海が見ていたなんて全然気づかなかった。
念のため周りへ目を向ける。
木の近く。
植え込みの向こう。
ベンチの後ろ。
誰もいない。
そもそも今日は見られても問題ないだろ。
美幸とは、もう別れたんだから。
そうだ。
今は恵と会ったって浮気じゃない。
「あ、拓海く〜ん」
顔を上げた。
公園の入り口に恵がいた。
他校の制服に肩から掛けた学生カバン。
茶色い髪を揺らしながら、いつものように手を振っている。
俺はようやく口元を緩めた。
「おう」
来てくれた。
しかも笑ってる。
朝からずっと、あんな目で見られていたせいだろうか。
それだけで肩の力が抜けた。
そうだよ。
俺には恵がいるじゃねえか。
美幸を失ったからって、全部なくなったわけじゃない。
二人の美少女と同時に付き合うウハウハな生活は終わっちまったけど。
まあ、仕方ない。
恵だって十分可愛い。
こうして笑って会いに来てくれるし、俺のことも好きだって言ってくれる。
今日からでも、こいつを大切にすればいい。
昨日より、ちゃんと優しくしてやろう。
「悪いな。急に呼び出して」
ベンチから立ち上がる。
恵が近づいてきたところで、両腕を開いた。
いつもなら、このまま抱きついてくる。
俺の名前を呼んで、嬉しそうに。
昨日もそうだった。
「うん。全然大丈夫。それに拓海君に伝えたいことあったし」
恵が足を止めた。
俺の目の前で。
開いた腕の中には入ってこなかった。
「……ん?」
俺は恵を見る。
恵も俺を見ている。
笑顔のままだった。
何だよ。
今日は自分から来ないのか?
俺から抱きしめてほしいってことか?
少し近づこうとしたけど、恵はカバンの肩紐を持ち直しただけだった。
その仕草に、何となく足が止まる。
朝の美幸の顔が頭に浮かんだ。
嫌な予感がした。
いや違う。
こいつは美幸じゃない。
あんなに怒ってもいない。
ちゃんと笑ってるだろ。
「伝えたいことって、何?」
両腕をゆっくり下ろした。
恵は少し首を傾げる。
「あのね」
「うん」
「今日で別れない?」
「……は?」
何だって?
風が吹いた。
恵の髪が頬に掛かる。
恵はそれを指で払って俺の返事を待っていた。
今、こいつ。
「別れるって……俺と?」
「うん」
すぐに頷いた。
何でもないことみたいに。
今日どこに行くか聞かれたときと同じような顔で。
「な、なんでだよ」
納得できるわけがなかった。
美幸だけじゃなくて、恵まで?
いや、おかしいだろ。
昨日は、あんなにくっついてきたじゃねえか。
「俺、何かしたか?」
「え?」
「嫌なこととか。あったなら言えよ。直すからさ」
恵は目をぱちぱちさせた。
それから、少し考えるように上を向く。
俺はその顔をじっと見た。
頼むから、さっきのは冗談だって言ってくれ。
ちょっと驚かせただけだって。
そうすれば俺も笑える。
びっくりさせんなよって、いつもどおり返せる。
「だって、他に彼氏いるし。もう拓海君のこと飽きちゃったから」
恵が、てへっと舌を出した。
俺は何も言えなかった。
他に?
彼氏?
誰が。
恵が?
「……ちょっと待て」
「うん?」
「今、何て言った?」
「だから、他にも彼氏がいるの」
聞き間違いじゃなかった。
恵は笑ったまま言い直した。
それで伝わったでしょ、とでも言いたそうに。
「俺と付き合ってたよな?」
「付き合ってたよ?」
「じゃあ、おかしいだろ!」
思ったより大きな声が出た。
恵が少しだけ眉を寄せる。
「何で?」
「何でって……二股じゃねえか!」
口にして喉が詰まった。
二股。
朝、教室で俺に向けられた目が浮かぶ。
美幸の震えていた指も。
俺は唇を噛んだ。
今は、その話じゃない。
俺と恵の話だ。
「いつからだよ」
「いつからって?」
「そいつと付き合ってたの、いつからなんだよ」
恵は肩紐を指でいじった。
「そんなの聞いてどうするの?」
どうするって。
聞くに決まってるだろ。
俺と会ってないときは、そいつと会っていたのか。
俺に送ってきたようなメッセージを、そいつにも送っていたのか。
昨日、大好きだって言った口で。
「昨日は、俺のこと好きだって言ってただろ」
「うん。言ったね」
「だったら……」
「でも、もういいかなって」
恵はあっさり言った。
俺の言葉の続きなんて、待とうともしなかった。
もういい?
何が。
俺が?
「そんな簡単に言うなよ」
「だって、好きじゃなくなっちゃったんだもん」
また笑う。
何で笑えるんだ。
こっちは笑えねえよ。
昨日と同じ顔なのに、全然違って見えた。
「今日から、もっと大事にするから」
気づけば、そんなことを言っていた。
「会う日だって増やせるし。お前の行きたいところにも付き合うからさ」
「ん~…」
恵が首を傾げる。
俺は半歩近づく。
「だから、急に別れるとか言うなって」
「でも、もう決めたし」
恵は俺との間に距離を残したまま、一歩下がった。
朝も、こうだった。
近づこうとしたら美幸が下がった。
そのあと、何を言っても止まらなくなった。
嫌な感じがして、手を上げる。
「待てよ。もう少し話そうぜ」
「伝えたいことは伝えたよ?」
「俺はまだ――」
恵のスマートフォンが鳴った。
カバンから取り出した恵が画面を見る。
口元が緩んだ。
さっきまで俺へ向けていたのとは違う笑い方だった。
「あ、そろそろ行かなきゃ」
恵が顔を上げる。
俺はスマートフォンを見た。
「今から、その彼氏に会うのか?」
「うん。待ち合わせしてるから」
胸の奥が冷たくなった。
俺との話を終わらせたら、そのまま別の男に会いに行くのか。
今日、ここに来たのも。
最初から、それを言うためだけだったのか。
俺はお前に会えば、少しは気が楽になると思ってたのに。
来てくれたって、喜んだのに。
「そういうことだから。バイバ〜イ♪」
恵が手を振った。
明るい声だった。
またね、とでも言うみたいに。
俺が返事をする前に踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ〜」
右手が伸びた。
恵の肩に。
でも、その肩はもう遠ざかっていた。
指先が空を掴む。
「恵!」
名前を呼んだ。
恵は歩く速さを変えなかった。
こっちに顔を向けることもない。
スマートフォンを見ながら公園の出口へ向かっていく。
俺は手を伸ばしたまま、その背中を見ていた。
朝、美幸に届かなかった手。
今度こそ、と思う間もなかった。
恵の茶色い髪が、公園の入り口を曲がって見えなくなる。
誰もいなくなった。
開いた手を、ゆっくり握る。
さっきまで、ここに来れば恵がいると思っていた。
美幸がいなくても、まだ恵がいるって。
「……何だよ、それ」
☆☆☆
(俺視点)
俺の自宅にて。
俺は美優ちゃんと海ちゃんとリビングで楽しい時間を過ごしていた。
雑談で盛り上がったり、サブスクの動画配信サービスでドラマを見たり。
そんな真っ只中——。
玄関から扉が開く音が届いた。
「ただいま~。久しぶりの帰宅だわ~」




