第18話 言い争い&幸せなバイバイ
(北條美幸視点)
大変なことになっちゃった。
隣には拓海がいる。
一緒に住宅街を歩いているのに、さっきから全然話してくれない。
いつもなら、どっちからともなく手を繋いでいた。
今日は、それもなかった。
拓海はポケットに片手を突っ込んで少し前を歩いている。
「…………」
美優に突き飛ばされた。
あんなに強く。
しかも、みんながいる教室で。
あたしが呼んでも美優は振り返らなかった。
謙也の腕に抱きついて、そのまま行ってしまった。
『海も廊下で待ってますから〜』
あたしに向けた声とは全然違った。
あんなに楽しそうに笑えるんじゃん。
じゃあ、どうしてあたしには。
「……はぁ」
ため息をつく。
美優に嫌われちゃった。
昨日、家で無視されたときは、機嫌が悪いだけだと思っていた。
そのうち普通に戻ると思っていた。
でも違った。
あの子、あたしの顔を見るだけで嫌そうにしていた。
雑巾なんて呼ばれて。
頬まで叩かれて。
それでも、あたしをかばってくれる子はいなかった。
いつも一緒にいる友達だって。
『……ほんとにやったの?』
あの顔が頭から離れない。
冗談だよって笑えば、いつもみたいに笑い返してくれると思った。
でも笑ってくれなかった。
昼休みも、あたしが話しかけたら返事はしてくれた。
してくれたけど。
『うん』
『そうなんだ』
それだけ。
すぐ別の子へ顔を向けて、あたしの知らない話を始めた。
ねえ、って入ろうとしても、どこで口を挟めばいいのか分からなかった。
いつも、そんなこと考えたこともなかったのに。
嘘告の話なんて教室でしなくてもよかったじゃん。
美優も海ちゃんも、あんな大きな声で。
……でも。
知られたら困ることをしたのは、あたしたちなんだ。
そこまで考えて唇を噛んだ。
分かってる。
分かってるけど、こんなことになるなんて思ってなかった。
謙也がちょっと困って、あたしたちが笑って。
それで終わるはずだった。
少なくとも拓海は、そう言っていた。
謙也なら怒らないって。
「…………」
前を歩く拓海の背中を見る。
今日、その拓海が畳に転がった。
あっという間だった。
大きな声を出して向かっていったと思ったら、次には仰向けになっていた。
謙也は立ったまま。
先生が一本って言って、みんなが拍手していた。
あんなに強かったなんて、知らなかった。
昔から知っているつもりだったのに。
謙也は、あたしが話しかければ立ち止まってくれた。
お願いすれば、少し困った顔をしながら聞いてくれた。
そういう謙也しか知らなかった。
体育のあと、女子たちに囲まれているのを見た。
美優と海ちゃんまで来て楽しそうに何か話していた。
放課後、謝りたいと言ったときだって無駄に終わってしまった。
「……拓海」
呼ぶと拓海が少しだけ顔を向ける。
「何?」
ぶっきらぼうな声だった。
あたしは歩幅を大きくして隣に並んだ。
「あたしたち、どうすればいいのかな?」
拓海なら何か考えてくれていると思いたかった。
これからどうするか。
あたし一人じゃ、もう分からない。
「…………」
拓海は答えなかった。
俯いて口元をきつく結んでいる。
困っているんだと思う。
眉の間にも皺が寄っていた。
「ねえ」
「聞こえてるって」
「じゃあ、何か言ってよ」
「今、考えてるんだよ」
そう言って、また前を向いた。
あたしはカバンを抱え直す。
二人でいるのに全然安心できなかった。
昨日はあんなに笑っていたのに。
帰り道でも謙也の返事を真似していたのに。
あたしも、それを見て笑った。
どうして笑えたんだろう。
今日の謙也の顔を思い出したら、全然おかしくなかった。
「……どうして謙也に嘘告なんてしたんだろうね」
ぽつりと漏れた。
拓海の足が止まる。
「は?」
拓海がこちらを向く。
「それってどういうことだよ!」
急に声が大きくなった。
肩が跳ねる。
「お、怒らないでよ!」
「今の、俺に言ってんだろ?」
「そんなこと言ってないじゃん!」
「そう聞こえたんだよ!」
道の向こうを歩いていた人が、こちらを見た。
あたしは慌てて声を落とす。
「ちょっと。外なんだから……」
「元はといえば、お前が嘘告するから悪いんだろうが!」
「……はぁ!?」
何、それ。
「嘘告の提案をしてきたのは拓海でしょ!」
「実行するやつが悪いんだよ。なんで断らなかったんだよ!」
あたしは拓海の顔を睨みつける。
冗談を言っている顔じゃなかった。
本気で、そう思っているらしい。
「なに? あたしのせいってこと?」
「それ以外に何がある?」
「あるでしょ! 言い出したの拓海じゃん!」
カバンの持ち手が手のひらへ食い込む。
「あたしだけが勝手にやったみたいに言わないでよ!」
「お前だって乗り気だっただろ!」
「拓海もでしょ!」
「だから断ればよかったじゃんって言ってんの!」
何で、そうなるの。
あたしが断らなかったから?
じゃあ拓海が提案したことも隠れて見ていたことも全部あたしのせいなの?
「昨日は楽しそうにしてたくせに!」
「お前も笑ってただろ!」
「だから二人でやったんでしょ!」
言った途端、嫌な感じがした。
二人でやった。
そうだ。
あたしも、やったんだ。
でも今、拓海に言われるまま全部引き受けるのは違う。
「俺だって海にあんなことされてんだぞ」
拓海が制服の襟へ手をやった。
「教室で胸ぐら掴まれて、壁に押されて。お前、見てただろ」
「見てたよ。だから助けに行こうとしたじゃん」
「来なかっただろ」
「美優に止められたの! 見てなかったの!?」
頬のあたりが熱くなった。
あたしだって転ばされた。
叩かれた。
それなのに助けに来なかったって責められるんだ。
「拓海こそ、あたしが美優に叩かれたとき何もしてくれなかったじゃん!」
「あの状態で何ができるんだよ!」
「あたしだって同じでしょ!」
拓海が舌打ちした。
はっきり聞こえた。
「……何、その態度」
「そっちこそ、さっきから俺ばっか責めてんじゃねえよ」
「先にあたしのせいにしたの、拓海でしょ」
「実際、お前が告白しなきゃ何も起きてねえじゃん」
「拓海が言い出さなきゃ、あたしだってやってない!」
同じことばかり言っている。
何も進まない。
さっきまで聞きたかったのは、こんなことじゃなかった。
どうすればいいか。
明日、どうやって学校へ行けばいいか。
一緒に考えてほしかっただけなのに。
「……もういい」
あたしが言うと、拓海の眉が動いた。
「何が」
「今の拓海と話してても、何にもならない」
「お前から聞いてきたんだろ」
「相談したかったの!」
また声が大きくなる。
「全部あたしが悪いって言われたくて聞いたんじゃない!」
拓海は口を開きかけた。
でも、すぐに顔を逸らした。
「だったら最初から聞くなよ」
「……っ」
言葉が詰まった。
あたしは拓海から一歩離れた。
いつもなら、すぐに手を伸ばしてきた距離だった。
今日は伸びてこない。
拓海の手は、またポケットの中へ戻った。
あたしも何も言わずに歩き出す。
「おい、どこ行くんだよ」
「帰るの」
「俺も同じ方向なんだけど」
「じゃあ勝手に歩けばいいでしょ」
後ろで、また舌打ちが聞こえた。
今度は振り返らなかった。
大変なことになっちゃった。
さっきと同じ言葉が頭に浮かぶ。
でも今は隣に拓海がいれば何とかなるとも思えなかった。
☆☆☆
(俺視点)
「今日は楽しかったです!」
「ね〜」
自宅の扉の前。
美優ちゃんと海ちゃんが満足そうな顔で俺を見ていた。
青かった空が今では少しずつ夕方の色に変わっている。
俺は二人を見送るために外に出て玄関の扉を押さえていた。
「……それなら、よかったよ」
返事をすると美優ちゃんがにこっと笑う。
海ちゃんも隣で大きくうなずいた。
元気だな二人とも。
俺なんて、まだ少し顔が熱いのに。
「謙也さん」
「うん?」
「また来てもいいですか?」
美優ちゃんがカバンの持ち手を両手で握り、俺を見上げる。
海ちゃんも、その隣から少し顔を寄せた。
「うちも来たい」
「まあ……いいけど」
「本当ですか!」
「やった!」
返事が早い。
まだ条件を何も言ってないぞ。
「あ、でも次は先に言ってね。今日みたいに家の前で急に言われると、びっくりするから」
「じゃあ今、言っておきます」
「え?」
「またお邪魔しますね」
「いつかを言ってほしいんだけど……」
海ちゃんが笑い出した。
美優ちゃんまで悪びれずに笑っている。
分かってて言ったな。
「美優、謙也君が困ってる」
「海も笑ってるじゃん」
「だって、今の顔」
「どんな顔してたの、俺」
「え、もう決まったの、って顔」
海ちゃんが俺の真似をするように目を丸くした。
美優ちゃんが口元を押さえる。
そんなに面白い顔をしていただろうか。
別に変わったところはないと思うけど。
「でも来てもいいって言ってくれて嬉しいです」
美優ちゃんが言った。
今度は、からかうような声じゃなかった。
「昨日は、ここまでだったので」
「……ああ」
昨日も、こうして家の前まで送ってもらった。
あのときは、お礼を言うのが精いっぱいだった。
美優ちゃんが帰ったあと、家の中に入って。
「……俺も、楽しかったよ」
言うと、二人の動きが止まった。
美優ちゃんが俺を見る。
海ちゃんも、まっすぐこちらを見ていた。
「何?」
「いえ。もう一回、聞きたいなと思って」
「聞こえてたよね?」
「うちは、ちょっと聞き逃したかも」
「絶対聞こえてただろ」
俺が言うと、海ちゃんは楽しそうに笑った。
美優ちゃんの頬も緩んでいる。
家に入る前より、二人とも顔色が良く見えた。
頬なんて、つやつやしている。
夕方の光のせいだろうか。
それとも、あれだけ笑えばこうなるんだろうか。
「それじゃあ、そろそろ帰りますね」
美優ちゃんがカバンを肩にかけ直した。
海ちゃんも、名残惜しそうに玄関の方を見たあと、一歩下がる。
「それでは、お邪魔しました」
「謙也君、ありがとね〜」
二人が門の外へ出た。
俺も少し前へ進んで、その背中を見送る。
ほとんど同時に振り返った。
「謙也さん、今日はありがとうございました! 大満足でした!」
「最高だったよ!」
満面の笑みだった。
美優ちゃんの白い髪が揺れる。
海ちゃんの金色の髪にも夕方の光が当たっていた。
二人がこちらへ手を振る。
そんなに大きく振らなくても、ちゃんと見えているのに。
「う、うん。気をつけて」
俺も手を上げて振り返した。
「また明日です!」
「ちゃんと起きてね〜!」
「起きるよ」
海ちゃんが笑った。
美優ちゃんも、もう一度手を振ってから歩き出す。
二人は少し進むたびに振り返った。
そのたびに、俺も手を振る。
なかなか玄関へ戻れない。
でも、もういいよとは言いたくなかった。
角を曲がる直前、美優ちゃんと海ちゃんが最後に並んで手を上げた。
俺も、さっきより少し大きく振り返す。
二人の姿が見えなくなってから、ようやく手を下ろした。
「……また明日、か」
口にしてみる。
今日の朝は学校へ行くのがあんなに嫌だったのに。
俺は少しだけ緩んだ口元を手で隠しながら、玄関へ戻るのだった。




