第13話 完全敗北
五時間目は体育だった。
昼休みが終わって教室から道場へ移動する。
道場の畳の上を歩くと足の裏が少し沈む。
「帯って、これでいいんだっけ?」
「いや、それ絶対ほどけるだろ」
隣で男子たちが笑っていた。
女子たちも、お互いの袖を引っ張ったり、帯の結び目を確かめたりしている。
みんな白い柔道着姿だった。
学校で貸し出されたものだけど、よくクラス全員の分があったな。
俺は袖口から出た自分の手を見た。
少し大きい。
でも動きにくいほどじゃない。
帯を結び直していると先生の声が飛んできた。
「着替えたやつから並べよ。今日は実際に組んでみるぞ」
「試合するんですか?」
前の方の男子が尋ねる。
「ああ。だが、いきなり好き勝手に投げ合うんじゃないぞ」
先生も白い柔道着を着ていた。
黒い帯が、やけにきっちり締まっている。似合ってるな〜。
俺はその結び目を見てから自分の帯へ目を落とす。
……うん。
「大中、結ぶの早いな」
クラスメイトの男子が不思議そうに声を掛けてくる。
「そ、そうかな?」
「いや明らかに慣れてるような」
「気のせいだと思うよ」
俺は少し早口になって返す。
「よし、始めるぞ」
先生の声で顔を上げる。
礼をして準備運動をする。
「大中、南川。前に出てくれ」
先生が名前を呼ぶ。
「は、はい」
俺は返事をして先生の方に向かう。
拓海も反対側から歩いてくる。
その顔を見た途端、腹の奥が少し重くなった。
さっきまで忘れかけていた昨日の屋上での嘘告のこと。
今朝の教室のこと。
全部が、また近くなる。
「二人で短く試合をしてみるぞ。習った技の範囲でな。止めと言ったら、すぐ離れろよ」
先生は俺たちを見比べた。
「大中、経験はあるか?」
「……ないです」
「南川は?」
「授業だけです。でも大丈夫です。絶対に勝ってみせます!」
拓海がすぐに答えた。
やけにはっきりした自信に満ちた声だった。
俺の方を見て口元だけを動かす。
笑っている。
でも昨日みたいに楽しそうな顔じゃなかった。
先生が周りの生徒を下がらせている間に拓海が俺の傍に来る。
「海や美幸の妹が、ちょっと味方になったからって調子に乗るなよ」
俺にだけ聞こえる声だった。意地悪な顔も浮かべていた。
肩が、わずかに強張る。
「朝や休み時間にされた仕打ちは柔道で何倍にもして返させてもらうぜ」
「…………」
俺は拓海を見た。
謝って欲しかった。
でも拓海は今も俺が悪いと思っているらしい。
調子に乗っているつもりなんて一切ない。
二人に話を聞いてもらって、一緒にいてもらって。
「聞いてんのか?」
俺は答えなかった。
答えたら余計なことまで言ってしまいそうだったから。
拓海の横を通り、畳の中央へ向かう。
向かい側に拓海が立つ。
「二人とも、まず礼だ」
先生に言われて頭を下げる。
顔を上げると拓海がこちらを睨んでいた。
道場の端にクラスメイトたちが座っている。
男子も女子も俺たちを見ていた。
その中に美幸もいる。
膝の上で手を握り、拓海の方を見ていた。
また、みんなに見られている。
失敗したら笑われるだろうか。
投げられて、情けない姿を見せたら。
そこまで考えて一度息を吐いた。
今から試合が始まるんだ。
先生も目の前にいる。
しっかり集中しないと。
俺は足元の畳を確かめるように軽く指を動かす。
怖くないわけじゃない。
昨日の拓海の言葉も、まだ耳に残っている。
でも、ここで逃げたらダメだ。
「それでは準備はいいか?」
先生が俺と拓海を交互に見る。
「はい!」
拓海が大きな声で返事をする。
俺も小さくうなずく。
道場が静寂に包まれる。
拓海が腰を落とす。
俺も構える。
「はじめ!」
先生の大きな声と共に試合が始まる。
「でやあぁぁ!! くらいやがれぇぇ〜!!!」
声と一緒に拓海が飛び込んできた。
思っていたより速い。
右手が俺の襟に伸びてくる。
でも関係ない。
昨日の嘘告では何を言われても立ち尽くすことしかできなかった。
今は違う。
伸びてきた右の袖を両手で捉える。
「なに!?」
拓海の驚いた声。
止まるわけにはいかない。
考えるより先に体が動いた。
強く踏み込み、拓海に背を向けるように体を回す。拓海の勢いが、そのまま背中へ乗ってきた。
「え――」
耳元で声がした。
次の瞬間には拓海の足が畳から離れていく。
一本背負い。
昔、何度も練習した技。
拓海の体を離さずに投げ切った。
ダァンッ!
拓海の背中が畳に豪快に落ちる。
「一本!」
先生の声が道場に響いた。
足元に拓海がいる。
「いてて……」
仰向けのまま両目を瞑って動けない。
俺も、すぐには動けなかった。
「「「「「…………」」」」」
誰も何も言わない。
さっきまで拓海の大声が響いていた道場が静寂に支配されている。
「「「「「おぉ〜〜!」」」」」
道場の端のクラスメイトたちから声が上がった。
続いて、ぱちぱちと手を叩く音。
「今のすげえ!」
「一瞬だったよね!」
「大中って強かったの!?」
あちこちから声が飛んでくる。
拍手まで増えていった。
俺は思わず周りを見た。
男子が身を乗り出している。
女子たちも驚いた顔で手を叩いていた。
さっき話をした男子なんて、なぜか立ち上がっている。
俺だって、こんなにきれいに決まるとは思ってなかった。
拓海が勢いよく来たから。
たまたま体が動いただけ。
口元が勝手に緩む。
何だよ。
こんなに嬉しいものなのか。
俺は頭をかいた。
笑っているのがバレないように少しだけ顔を下げる。
それでも頬の緩みはなかなか落ち着かない。
「はい、お前ら静かにしろ! 二人とも最後の礼を忘れるな」
先生の声で慌てて姿勢を正す。
拓海も腰をさすりながら立ち上がる。
視線が合ったけど瞬時に向こうが先に逸らした。
互いに頭を下げる。
顔を上げたときには拓海は帯を直しながら端の方へ逃げるように早々と歩いて行った。
俺はその背中を少しだけ見送った。
「大中、いい投げだったぞ。見事だった」
先生に声を掛けられる。
「……ありがとうございます」
先生と簡単に言葉を交わした俺は道場の端に戻るのだった。




