第12話 周知
「ね、ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。いいかな?」
クラスメイトの女子が近くに立っていた。
プリントを回したり、授業で同じ班になったり、そんな記憶しかない。
でも休み時間にわざわざ俺の席へ来るのは珍しい。
「……何ですか?」
美優ちゃんが机から手を離し、一歩前に出る。
さっきまで笑っていた顔から、すっと笑みが消えた。
海ちゃんも俺の隣で顔を強張らせる。
二人とも、その女子をじっと見ていた。
「あ、そんなに身構えなくていいんだけど……」
女子が慌てて胸の前で両手を振る。
俺は自然と席を少し離れて立ってしまっていた。
聞きたいこと。
なんだろう。
美優ちゃんと海ちゃんが、どうして俺のところに来ているのか。
それとも朝のことか。
「あの、どうして二人は北條さんと南川君に怒ってたの? それが気になって」
やっぱりそっちだった。
女子は美優ちゃんと海ちゃんの顔を交互に伺っていた。
あのとき教室にはみんながいた。
美優ちゃんの声も海ちゃんの声も聞こえていたはずだ。
気になるのは当たり前かもしれない。
「そ・れ・は」
美優ちゃんが、ゆっくりと言った。
女子が口を閉じる。
俺も美優ちゃんへ顔を向けた。
水色の瞳が一度だけ俺を見る。
それから教室の奥へ向いた。
「あいつと!」
美優ちゃんが指さした先に美幸がいた。
友達の隣でこちらを見ていた美幸が、びくっと肩を揺らす。
「あいつが!」
続けて海ちゃんが拓海を指さした。
少し離れた席にいた拓海が顔を向ける。
「お、おい……」
何か言いかけた拓海の声は、その先まで続かなかった。
美優ちゃんが俺の右腕にきゅっと両手を回す。
「え?」
反対側でも海ちゃんが俺の左腕を取った。
二人が俺の左右の腕に抱きついている。
近い。
さっきもだいぶ近かったけど今はそれどころじゃない。
「私の大事な謙也さんに嘘告したからです!!!」
「うちの大事な謙也君に嘘告したから!!!」
二人の声が重なった。
近くの席にいた男子が勢いよく振り返る。
教室の前の方で話していた女子たちも、こちらを見た。
「……嘘告?」
目の前の女子が呟く。
でも俺は、それに答えられなかった。
「え、え、え……?」
右を見る。
美優ちゃんが俺の腕に抱きついている。
左を見る。
海ちゃんも同じことをしている。
もう一度右を見た。
やっぱり美優ちゃんがいる。
見間違いじゃない。
そりゃそうだ。
両腕に、ちゃんと二人の体の温もりがあるんだから。
「み、美優ちゃん?」
「はい」
「海ちゃんも、その……」
「うん?」
二人とも、ごく普通に返事をした。
普通じゃないのは俺だけなのか?
いや、そんなはずないだろ。
目の前の女子だって何度も気になってる様子だし。
「だ、大事って……」
「大事ですよ?」
美優ちゃんが即答する。
「大事に決まってるじゃん」
海ちゃんまで当たり前みたいに言った。
俺は口を開けたまま固まった。
何で二人ともそんなに迷わず言えるんだ。
俺の方が照れるんだけど。
「待って、嘘告って本当に?」
女子の声が上擦る。
眉を寄せて美優ちゃんと海ちゃんを見ている。
「北條さんが大中君に?」
「はい」
美優ちゃんが答えた。
「昨日、屋上に呼び出して好きだって言ったんです」
「それを、うちの兄も隠れて見てたの」
海ちゃんの声は、さっきより落ち着いていた。
でも俺の腕を掴む手には力が入っている。
「謙也君が返事しようとしたら出てきて嘘だって。二人で笑ったんだって」
「……え、なにそれ」
目の前の女子の表情が変わった。
最初は、ただ気になって聞きに来ただけだったんだと思う。
でも今は口元がわずかに震えていた。
「二人って付き合ってるんじゃないの?」
「そうです。それなのに謙也さんに付き合って欲しいなんて言ったんです」
美優ちゃんが答える。
女子は美幸の方を見た。
つられるように近くにいたクラスメイトの友人たちも振り返った。
「北條さん、それ本当?」
誰かが聞いた。
美幸はすぐには答えなかった。
頬が強張って視線が落ち着かない。
「いや、ちょっと待てって」
拓海が動き出す。
「そんな言い方したら俺らが――」
「違うの?」
海ちゃんが遮った。
それだけだった。
そこまで大きな声でもなかった。
なのに拓海は途中で口を閉じた。
「屋上に隠れてなかった?」
「……それは」
「嘘告だって言って笑ってない?」
拓海が俺を見る。
俺は反射的に肩を縮めかけた。
でも左腕を抱えていた海ちゃんが、ぎゅっと力を込めてくれる。
ここにいるよと言われた気がした。
「……ちょっとふざけただけだろ」
拓海が小さく言った。
その言葉を聞いた途端、胸の奥が冷たくなった。
昨日も聞いた。
悪ふざけだって。
そんなに深刻になるなって。
「それ笑えること?」
目の前の女子が言った。
拓海は女子を見る。
「いや、だから……」
「大中君が本気にするのを見て笑ったんでしょ?」
返事はなかった。
その沈黙の間に周りで小さな声が上がり始めた。
「それはきついだろ」
「付き合ってる二人でやったってこと?」
「普通にかわいそうじゃん……」
一つ聞こえるたび俺は指先を丸める。
昨日のことが、みんなに知られていく。
顔が熱くなる。
でも聞こえてくる声は想像していたものと違った。
本気にしたのか。
そんなことで喜んだのか。
そうやって笑う声は少なくとも今、俺の周りからは聞こえなかった。
「……大中君、ごめんね」
目の前の女子が俺を見る。
「嫌なこと聞いちゃった」
「いや……」
謝られるとは思っていなくて、すぐに返事ができなかった。
「気になったからって軽く聞くことじゃなかったね」
「そんなことは……」
俺は首を横に振った。
うまく言えない。
でも目の前の女子が俺を笑うために来たんじゃないことは分かった。
「心配してくれてありがとう」
そう言うと女子は少し困ったように眉を下げた。
その向こうで美幸が友達と何かを話していた。
けれど相手は、すぐにはうなずかなかった。
「……ほんとにやったの?」
小さな声が、ここまで届いた。
美幸が目を逸らす。
いつもなら隣にいて一緒に笑っている友達だったはずだ。
そんな子が今は眉を寄せて美幸を見ている。
拓海の方も同じだった。
近くの男子へ視線を向けても軽く笑って返してくれるやつはいなかった。
二人とも教室の中を落ち着かない様子で見回している。
誰と目が合っても、すぐに逸らす。完全なアウェイ感。
俺はその様子を黙って見ていた。
昨日、二人はあんなに楽しそうだったのに。
俺の返事を真似して俺を笑っていたのに。
今はどちらも余裕がなさそうだ。
「謙也さん」
右から柔らかい声がした。
振り向くと美優ちゃんが俺を見上げていた。
さっき美幸へ向けていたものとは全然違う目だった。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
「勝手に話してしまってすみません」
その声が少し小さくなる。
俺は美優ちゃんの顔を見て、それから海ちゃんを見た。
海ちゃんも俺の返事を待っていた。
「びっくりしたけど……大丈夫だよ」
美優ちゃんの指から少しだけ力が抜けた。
海ちゃんもほっとしたように息を吐く。
「謙也君」
「ん?」
「うちも美優もここにいるからね」
海ちゃんが俺の腕を抱え直した。
美優ちゃんも離れようとはしなかった。
左右から少しずつ距離が縮まる。
「……あの、二人とも?」
「はい?」
「なに?」
揃って顔を上げられた。
近い。
さっきより、さらに近い。
俺が右を見れば美優ちゃんと目が合う。
左を見れば海ちゃんがいる。
「腕、その……」
「嫌ですか?」
美優ちゃんが尋ねる。
海ちゃんまで俺の顔を覗き込んだ。
「嫌なら離すけど」
「嫌とか、そういうことじゃなくて……」
教室だぞ。
みんな見てるんだぞ。
そう言おうとしたのに二人の顔を見たら言葉が詰まった。
さっきまで怒っていた二人が今は俺の返事一つを気にしている。
俺は視線を机へ落とした。
「……恥ずかしいんだよ」
一瞬、二人とも静かになった。
「じゃあ、もう少しだけ」
「うん。もうちょっとね」
「いや……なんでそうなるの……」
美優ちゃんと海ちゃんが嬉しそうに笑うのだった。




