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私の日常が平和すぎるのは、周囲の男たち(全員ヤンデレ)が水面下で不可侵条約を結んでいるかららしい  作者: ヒデコ


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第59話:赤くなる日常

新条約の締結から数日が経過した、木曜日の夕暮れ。


オフィスでのあの狂乱――鷹見副社長による大輪薔薇三百本の公開贈呈と、成瀬郁による超プレミアVRゲーム展示会への突撃アプローチから始まった一週間は、槇原紬(まきはら つむぎ)にとって、これまでの人生で最も精神の耐久力を試される怒涛の日々となっていた。


何しろ、会社へ行けば、三十階からわざわざ十階の編集部まで下りてきた鷹見副社長が「槇原、今日の残業時間の上限は三十分だ。それ以上は私が許さん。……あと、これは銀座の老舗で見つけた身体を温める葛湯だ」と、周囲の目を一切気にせず耳元まで顔を近づけて手渡してくる。


給湯室へ逃げ込めば、成瀬がだぶだぶのパーカーの袖を揺らしながら待ち伏せしており、「紬さん! 今日の夕飯、僕と一緒にオムライス食べに行きませんか!? 僕、ケチャップで紬さんの似顔絵描きますから!」と捨てられた子犬のような瞳で袖口をきゅっと掴んでくるのだ。


裏工作という見えない壁が消え去った代わりに現れたのは、隠すことすらない超高純度の熱烈なアプローチの嵐。


「ふあぁぁ……っ、疲れたぁ……」


港区の閑静な坂道を登りながら、紬はマフラーに顔を半分埋めて深いため息を吐き出した。


冬の澄んだ夜風が、熱を持ちっぱなしの頬を心地よく冷ましてくれる。


ようやく我が家へ帰ってきた。一階のブックカフェ『月白』の暖かな灯りを見上げてほっと息をつき、紬はオートロックを抜けてエレベーターへと乗り込んだ。


四階へ到着し、静まり返った廊下へ足を踏み出す。


自分の城である402号室のドアノブへ手を伸ばそうとした――まさに、その瞬間だった。


ガチャリ。


すぐお隣――401号室の重厚な金属ドアが、静かに開いた。


「…………っ」


紬がビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、そこには、部屋から出てきたばかりの長身の男性――元警視庁SPにして要人警護会社社長、梶原敦志(かじわら あつし)の姿があった。


黒のスウェットパンツに、グレーのシンプルな長袖カットソーというラフな部屋着姿。


普段の黒づくめのタクティカルウェアとは違い、鍛え抜かれた丸太のような腕や分厚い胸板のラインが、柔らかな布地越しにくっきりと浮かび上がっている。


「か、梶原さん……こんばんは」


紬がぺこりと頭を下げると、梶原はピシリと背筋を伸ばした。


しかし――以前のような、感情を一切排した「無口で強面な隣人」の姿は、そこには微塵も存在しなかった。


「…………」


梶原は両手に、ずっしりと重たい特大サイズのガラス製耐熱タッパーを抱えていた。


タッパーの蓋越しに見えるのは、見るからに極上のサシが入った最高級黒毛和牛と、美しく面取りされた人参、長ネギ、焼き豆腐、そして黄金色に透き通る割り下が絡み合った、湯気を立てる熱々の特製スキヤキ。


甘く香ばしい醤油とみりんの極上の香りが、廊下いっぱいにふわりと広がっていく。


かつてであれば、梶原は能面のような無表情を崩さず、『実家から野菜が届いて、作りすぎたので』と事務的に手渡して去っていたはずだった。


――しかし。


新条約【第1条:嘘と裏工作の全面禁止】。


そして、【第3条:正々堂々とした好意の伝達】。


その鉄の掟を律儀なまでに遵守しようとした結果、男の肉体に、前代未聞の化学反応が起きていた。


ボッッッッ!!!!


見ているこちらの目が痛くなるほど、鮮烈な赤。


梶原の太い首筋から、無骨な頬、そして短く刈り込まれた耳の先端に至るまでが――まるで沸騰した高炉のように、一瞬にして真っ赤に茹で上がったのだ。


「え……? か、梶原さん……?」


紬が目を丸くする。


大柄な男が、両手でタッパーを抱えたまま、生まれたての小鹿のように全身をプルプルと小刻みに震わせている。


彫刻のように整った顔をギリギリと歪め、視線をどこへ向けていいのか分からない様子で泳がせ、首筋の太い血管をドクドクと脈打たせながら――


梶原は、地底のマグマを絞り出すような、掠れた重低音を響かせた。


「……つ、作りすぎたんじゃ……ない」


「えっ?」


「実家から……届いたわけでも、ない」


梶原の喉仏が、ゴクリと激しく上下した。


男は自らの奥歯をギリリと噛み締め、爪先を紬の正面へと向け直すと、逃げ出したい衝動を鋼の意志でねじ伏せ、真っ赤に充血した瞳で紬の目を真正面から見据えた。


「……お前の、顔が見たかったからだ」


「――っ!?」


「お前に……美味いものを食わせて、少しでも仕事の疲れを癒やしてほしかった。……俺が、お前を好きだから作った。……食べてくれ」


ドォォォォォォンッッッッ!!!!


ストレート。


直球ど真ん中、時速百六十キロの豪速球のような愛の告白。


以前の「無表情な置き配」などという生易しいものでは断じてない。魂のすべてを注ぎ込み、全身から湯気を噴き出しながら放たれた、不器用極まりない男の真情。


その圧倒的な熱量に、紬の脳髄がカッと沸騰した。


「あ……ぅ……っ!?」


顔から火が出るどころの話ではない。全身の血液が一気に頭頂部へと駆け上がり、耳の奥がカッカと熱い。


「か、梶原さん……あ、あの……!」


「……受け取って、ほしい」


梶原はタッパーを両手で差し出した。その逞しい指先が、タッパーの重みではなく、極度の緊張と羞恥心によって、カタカタと音を立てて震えている。


「あ、ありがとうございます……! いただきます、すっごく美味しそうです……!」


紬が慌てて両手でタッパーを受け取ると、指先と指先が、ほんのわずかに触れ合った。


ビクッッ!!


梶原の巨躯が、高圧電流を流されたかのように跳ね上がった。


男は弾かれたように半歩後ずさりし、自らの右手を胸元でぎゅっと握りしめて、息を荒くした。


「……す、すまない。触れるつもりは……なかった……」


「い、いえ! 私の方こそ! あの、本当にありがとうございます!」


あまりの純情さに、紬の心臓はすでに限界突破の早鐘を打っていた。


大人の色気を漂わせる三十歳の元SPが、ちょっと手が触れただけで、思春期の男子中学生のように耳まで真っ赤にして狼狽しているのだ。このギャップに耐えられる心臓など、世の中に存在するはずがなかった。


「あ、あの……タッパー、洗ってお返ししますね!」


「……急がなくていい。……お前の、ペースで……」


梶原がそう言いながら、後退りのまま自室のドアノブへ手をかけた、その時だった。


ガタッ。


401号室の開け放たれていた玄関の奥、リビングのフローリングの上に置かれていた【ある巨大な物体】が、紬の視界の端に飛び込んできた。


「……ん?」


何気なく、紬の視線がその奥へとスライドした。


そこにあったのは――一般のマンションのリビングには絶対に似つかわしくない、高さ一・五メートル、幅一メートルを超える、漆黒の極厚鋼鉄で鋳造された【軍用規格の防湿・耐火・耐震金庫】だった。


電子テンキーと網膜スキャナーが鈍い光を放ち、分厚い扉が、換気のためか、わずかに数センチだけ開かれていたのだ。


そして――


その金庫の内部、照明付きのガラス棚の上に、年代順に美しく並べられていたものの正体。


「…………え?」


紬の動きが、完全に停止した。


一番上の段。


真空パック加工され、無酸素カプセルの中に丁重に収められていたのは――


先月、紬がデパ地下で買って「お惣菜のお礼です」と渡した、あの市販のクッキーの【外装フィルムと赤いリボン】。


二段目。


滅菌標本ケースのようにアクリル板で挟み込まれていたのは――


三ヶ月前、一階のカフェで偶然一緒になった際、紬が口元を拭ってテーブルに置き忘れた【ファミレスの紙ナプキン】。


三段目。


特注のフォトフレームに収められていたのは――


半年前、タッパーを返却する際に紬が走り書きした、『いつもごちそうさまです! とっても美味しかったです♪ 紬』という【黄色の付箋紙】。


さらにその奥には、紬が落とした輪ゴム、ボールペンの替え芯のパッケージ、果てはペットボトルのキャップに至るまでが、神社仏閣の御神体のように整然とファイリングされ、除湿剤とともに祀られていた。


「「…………」」


完全なる沈黙。


紬の視線が、金庫の中身から、ゆっくりと梶原敦志の顔面へと戻っていく。


梶原の瞳孔が、極限まで見開かれていた。


男の顔から、先ほどまでの「赤」が一瞬にしてサーッと引き、純白の陶器のように真っ青になった後――


ボッッッッッッッッッッッッッ!!!!


先ほどを遥かに上回る、臨界点突破の熱狂的な大爆発。


頭頂部から蒸気機関車のようにリアルな湯気が立ち上りそうなほどの猛烈な赤面。


「あ……あ……あ……っ」


元警視庁SP、数々のテロリストや凶悪犯を眉ひとつ動かさずに制圧してきた男が。


喉の奥から、壊れたテープレコーダーのような悲鳴を漏らしながら、全身をガタガタと震わせて固まっていた。


「み……見るなァァァァァァァァッッッッ!!!!」


バタンッッッッッッッッッ!!!!


凄まじい轟音とともに、401号室のドアが力任せに叩き閉められた。


ガチャリ、カチャリ、ガシャン!


内側から、ドアチェーン、本鍵、補助鍵、そして電子ロックが狂ったような勢いで三重四重に施錠される音が響き渡る。


「…………」


静まり返った廊下に、温かいスキヤキのタッパーを抱えた紬だけが、ぽつんと一人取り残されていた。


「……ほ、本当に……金庫に祀ってあったんだ……」


茉莉花先輩と志乃さんの言葉が、脳裏を掠める。


紬の顔面もまた、金庫の中身の破壊力と、目の前で顔から火を吹いて自爆した巨漢の愛らしさに、爆発寸前の朱色へと染まり上がっていた。


◇


翌週の土曜日、午後三時。


平日の会社での鷹見と成瀬、そして昨夜のマンションでの梶原の波状攻撃によって、紬の自律神経は完全に限界を迎えていた。


少しでも身体を休め、荒れ狂った生活リズムを整えなければならない。


そう思い立った紬が向かったのは――南青山の閑静な路地に佇むデザイナーズビル、『保科メディカル・メンタルクリニック』だった。


完全予約制の静謐な院内。


アロマの香りが漂う廊下を抜け、案内された第一診察室のドアをノックする。


「どうぞ、お入り」


奥から響いたのは、昔から聞き慣れた、穏やかで柔らかなバリトンボイス。


「タカちゃん……失礼します」


紬が診察室へ足を踏み入れると、デスクの向こうには、純白のドクターコートを羽織った幼馴染――保科貴文(ほしな たかふみ)が座っていた。


銀縁眼鏡の奥の切れ長の瞳。端正な顔立ちに浮かべられた、聖母のように慈愛に満ちた微笑み。


「やあ、紬ちゃん。いらっしゃい。……今週は、ずいぶんと賑やかだったようだね」


「もう、タカちゃん……! 他人事みたいに言わないでよ」


紬は診察机の前の回転椅子に深く腰掛け、大きく溜息をついた。


「会社では副社長と成瀬くんが毎日アプローチ合戦をしてるし、お隣の梶原さんはスキヤキ持って顔から火を吹いてるし……私、心臓が何個あっても足りないよ……」


「ふふ、目に浮かぶようだね」


保科はカルテ用のタブレットにスタイラスペンを走らせながら、くすりと喉を鳴らした。


「でも、よかった。新条約のおかげで、君が怯えることなく、自分の足でここへ来てくれた。……さあ、主治医として、君の身体を診察させてもらうよ」


「うん、お願い。なんだか最近、胸がドキドキしっぱなしで……」


紬は素直に右手を机の上に差し出した。


幼い頃から、風邪を引くたびに、怪我をするたびに診てもらってきた、大好きな幼馴染のお兄ちゃん。


この場所だけは、あの狂乱の嵐から切り離された、穏やかな安全地帯なのだと――紬は信じ切っていた。


――しかし。


紬は、忘れていたのだ。


目の前にいるこの男こそが、かつて紬のバイタルデータを一元管理し、裏で他三人に精神安定剤を処方して胃痛をコントロールし、紬を泣かせた害虫を社会的に抹殺してきた、あの【ヤンデレ不可侵条約】の創設メンバーの一人であることを。


そして――新条約によって「安全な幼馴染」という欺瞞の仮面を剥ぎ取られたこの男が、一体どれほどの飢餓感をその胸の奥底に秘め続けてきたのかを。


◇


「どれどれ、脈拍を診せてもらおうか」


保科は白衣の袖を少し捲り上げ、紬の右手首へと指先を伸ばした。


ひんやりとした、けれど清潔な指先が、紬の橈骨動脈(とうこつどうみゃく)の上にそっと添えられる。


トクン、トクン、トクン……。


「……うん、安静時心拍数八十二。少し頻脈気味だね。交感神経が昂っている証拠だ」


「やっぱり……? 最近、本当に落ち着かなくて……」


「そうだね。……でも、紬ちゃん」


保科の声のトーンが、スッと一段、低く、甘く、湿り気を帯びたものへと変化した。


「タカちゃん……?」


紬が怪訝そうに顔を上げた、その瞬間だった。


ギュッ。


手首に添えられていた保科の指先が、滑るように紬の手のひらへと移動し――


逃げ場を完全に塞ぐように、指と指を深く絡め合わせる【恋人繋ぎ】の形で、力強く握り締められたのだ。


「っ……!?」


紬の呼吸が、喉の奥で詰まった。


「タ、タカちゃん……!? なに、これ……診察……?」


「いいや」


保科は微笑んだ。


しかし、その微笑みは、先ほどまでの「優しい兄貴分」のそれとは根本から異なっていた。


保科は空いていた左手を伸ばすと――自らの鼻梁にかかっていた銀縁眼鏡を、ゆっくりと外した。


カチリ。


机の上に、眼鏡が無造作に置かれる。


フレームという名の理性のストッパーを外された、その素顔。


露わになったのは、息を呑むほどに鋭く、色気にあふれ、そして底知れぬ情熱の炎をギラギラと燃え盛らせた、一人の「雄」の瞳だった。


「ひ……っ!?」


紬の背筋を、強烈な電撃が駆け抜けた。


保科は椅子から身を乗り出し、診察机を越えて、紬の顔面わずか十センチの至近距離へと自らの顔を近づけた。


吐息が触れ合うほどの距離。


男の身に纏う清潔な消毒液と、微かな白檀(サンダルウッド)の芳香が、紬の感覚を完全に支配していく。


「タカちゃん、ち、近い……近すぎるよ……っ!」


「紬ちゃん」


耳元に直接注ぎ込まれるような、抗い難い低音の囁き。


「僕はね、十年間……ずっと我慢してきたんだよ」


「え……?」


「君の隣で『家族のような幼馴染』のポジションに甘んじ、君に拒絶されるのを恐れるあまり、一歩踏み込むこともできず……裏で君のカルテを抱きしめて、胃薬を噛み砕きながら夜を明かしてきた」


保科の瞳が、至近距離から真っ直ぐに紬の瞳の奥を射抜いた。


「でも、君が言ってくれただろう。『裏でコソコソしないで、正面からアプローチしてきなさい』って」


「そ、それは言ったけど……っ!」


「なら、遠慮する理由はないね」


保科は紬の握りしめた手を、自らの胸元――白衣の内側、ドクドクと激しく脈打つ自らの心臓の真上へと、力強く押し当てた。


トクンッ、トクンッ、トクンッ、トクンッ……!!


信じられないほど力強く、激しく暴れ狂う、男の鼓動の感触。


保科は艶やかな唇の端をわずかに持ち上げ、世界中のどんな告白よりも甘く、そして重たい言葉を落とした。


「――幼馴染は、もうやめる」


「…………っ!!」


「僕は君を、妹として愛しているんじゃない。……一人の女性として、心から愛しているよ、紬ちゃん」


ピピピピピピピッ! ピピピピピピピッ!


その瞬間、診察机の脇に置かれていた電子心拍計が、紬の跳ね上がった脈拍に反応して、けたたましい異常警告音を室内に撒き散らした。


心拍数、百三十五。


完全なる危険域。


「ほら、脈がこんなに速くなっている」


保科は目を細め、妖しく笑った。


「これは病気じゃないよ、紬ちゃん。……僕という男を、君の身体が意識してしまった証拠だ」


「あ……ぅ……わ、わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


紬の脳内ヒューズが、音を立てて完全に吹き飛んだ。


無理。


限界。


キャパシティ崩壊。


副社長の薔薇と告白、年下エンジニアのデート申請、隣人の真っ赤なスキヤキと金庫の御神体、そして幼馴染の名医による眼鏡外し&心臓タッチ告白――!!


「み、みんな急に距離が近すぎるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!」


紬は叫ぶと、火事場の馬鹿力で保科の手を振りほどいた。


「紬ちゃん!?」


「ば、バカぁっ! タカちゃんのバカぁっ!!」


紬は回転椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がると、真っ赤になった顔を両手で覆い、診察室のドアを力任せに押し開けて廊下へ飛び出した。


タッ、タッ、タッ、タッ――!!


受付の看護師たちの驚愕の視線を浴びながら、紬はクリニックのエントランスを突き抜け、冬晴れの南青山の街へと脱兎のごとく逃げ出していった。


◇


一人残された第一診察室。


保科貴文は、机の上に置かれていた銀縁眼鏡をゆっくりと手に取った。


そして、それを再び自らの顔へと戻す。


カチリ。


眼鏡の奥の瞳には、かつてないほど晴れやかで、そして獲物をロックオンした肉食獣のような、獰猛な光が宿っていた。


「……逃げられたか」


保科は自らの手のひらを見つめた。


そこには、先ほどまで紬の手を包み込んでいた、温かく柔らかな感触が、ありありと残されていた。


「でも……手応えは十分だ。彼女の脈拍は、確かに僕の手の中で跳ね上がっていた」


保科は白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、四人専用のグループチャットを開いた。


画面には、すでに鷹見、成瀬、梶原からの牽制メッセージがずらりと並んでいた。


【鷹見征司】:『成瀬の展示会チケットは却下された。今週末のディナーは我が社がエスコートする』


【成瀬郁】:『却下されてませんー! 紬さんは「全員保留」って言ったんですー! 僕が一番乗りしますー!』


【梶原敦志】:『……スキヤキは完食された。胃袋を掴んだ俺が一歩リードだ』


【保科貴文】:『残念ながら、先ほど彼女は僕の手の中で脈拍百三十五を記録しました。心臓を掌握したのは僕です』


【鷹見征司】:『何だと貴様!?』


【成瀬郁】:『職権乱用だズルイーーーッ!!』


【梶原敦志】:『……許せん。南青山へ向かう』


即座に炎上するチャットルーム。


保科は画面を見つめながら、フッと楽しげに笑った。


無菌室の時代は、完全に終わりを告げた。


ガラスケースから飛び出した世界は――


以前よりもずっと騒がしく、ずっと赤面必至で、そして世界で一番熱烈な愛に満ちあふれた、眩い日常へと塗り替えられていた。


そして、物語はいよいよ――


太陽のように笑う少女と、彼女を全力で愛し抜く四人の男たちが並んで歩き出す、最高のフィナーレへと向かっていくのだった。

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