第44話:茉莉花の直感
十二月も残すところ十日余りとなった月曜日の正午。
赤坂のオフィス街は、抜けるような冬晴れの青空が広がっていた。ビルとビルの谷間を吹き抜ける風は、肌を刺すように冷たく乾いており、街行くビジネスパーソンたちはコートの襟を立てて足早にランチへと向かっていた。
『Lumiere』編集部のフロアも、時計の針が十二時を回ると同時に、カチャカチャというキーボードの音が落ち着き、社員たちが三々五々立ち上がってエレベーターホールへと消えていく。
しかし――窓際のデスクで、槇原紬は、開かれたノートパソコンの画面を見つめたまま、微動だにしていなかった。
「…………」
画面には、新春特大号のレイアウト案が表示されている。普段なら赤ペンを片手に「ここの見出し、もう少し文字の級数を上げた方が読者の方に見やすいかな」と熱心にチェックを入れている時間だ。
けれど、今日の紬は、午前中ずっとキーボードの上に指を置いたまま、上の空だった。
昨夜、自室のソファでハーブティーを飲みながら巡らせた思考の渦。
あの雷雨の夜のエレベーター停止事件。
発生からわずか八分という異常な早さで、油圧ジャッキを抱えて駆けつけてきた鷹見副社長、成瀬くん、タカちゃんの三人。
そもそも、なぜ彼らが自分の住んでいるマンションの場所を、そしてエレベーターが停止した階数までを正確に把握していたのか。
さらに、過去に起きた数々の「奇跡」――限定カヌレの集結、ゲリラ豪雨の傘、消え去ったパワハラ部長やクレーマー、伊豆の社員旅行への全員潜入、風邪の夜の完璧すぎる室温とおかゆの置き配……。
(……考えれば考えるほど、変だ)
紬は手元でボールペンをぎゅっと握りしめた。
胸の奥で、小さな冷たい氷の粒がチクチクと痛む。これまで「世界は優しい」「自分はツイている」と笑って受け取ってきたものの輪郭が、別の形に見えて仕方がなかった。
「……ちょっと、紬」
不意に、すぐ隣からデスクをノックする乾いた音が響いた。
「ひゃいっ!?」
紬が飛び上がるように肩を跳ねさせて顔を上げると、そこには黒のタートルネックにグレーのワイドパンツをスタイリッシュに着こなした、先輩デスクの関茉莉花が立っていた。
茉莉花は手元に小さな財布をぶら下げ、片眉を上げて紬の顔を覗き込んでいる。
「何よその情けない声。あんた、さっきから溜息ばっかり吐いて、ページレイアウトの同じ場所を三十分も見つめてるわよ。画面に穴でも開ける気?」
「あ……茉莉花先輩……」
「ご飯、まだでしょ。お気に入りのパスタ屋でも行く? 今日の日替わり、あんたの好きなエビとトマトクリームだったわよ」
いつものサバサバとした、頼もしい先輩の声。
紬はその親しみやすい横顔を見上げ、それから小さく息を吸い込んだ。
「あの……先輩。もしよかったら、今日のお昼……少しだけ、お話ししたいことがあるんです」
「え? 話?」
「はい。あんまり、人が大勢いるお店じゃなくて……静かなところで」
紬の瞳は、普段の無邪気な明るさを完全に潜めていた。真剣で、どこか迷子のような心細さを湛えたその眼差しに、茉莉花の瞳がスッと細められた。
「……分かったわ。じゃあ、寒いのを覚悟で、上に行きましょ」
◇
エレベーターで最上階へ上がり、さらに非常階段を一つ上った先。
重い鉄の防火扉を押し開けると、冷え切った冬の風がゴオッと音を立てて二人の前髪を激しく吹き上げた。
本社ビルの屋上庭園。
手入れの行き届いた芝生や低木の植え込みが広がり、周囲は強化ガラスの安全フェンスで囲まれている。春や秋には社員たちの憩いの場となるベンチも、真冬の寒空の下では人影が一人もなく、広大な青空だけが二人の頭上にどこまでも澄み渡っていた。
非常口の脇にある自動販売機の前で、茉莉花が小銭を投入した。
ガコン、ガコン。
取り出し口から転がり出た二本の缶。
「ほら、受け取りなさい」
茉莉花から手渡されたのは、手のひらを温めてくれる熱々の缶コーヒーだった。
「ありがとうございます……」
紬は両手で小さなスチール缶を包み込んだ。じんわりとした温もりが、冷気でかじかみかけていた指先に染み渡っていく。
二人はフェンス際の木製ベンチに腰を下ろした。
プシュッ、と小気味よい音を立てて缶のプルタブを開けた茉莉花が、黒い液体を一口すすり、息を白く吐き出す。
「で? 改まって屋上まで連れ出して、何の話よ。……言っとくけど、また『推しのアニメキャラが尊すぎて夜も眠れません』とかいうオチだったら、この缶コーヒーあんたの眉間に押し当てるからね」
「ち、違います! そういうお話じゃなくて……!」
紬は慌てて首を横に振ったが、すぐに口元をキュッと結び、視線をアスファルトの床へと落とした。
冷たい風が、紬のコートの裾をパタパタと揺らす。
遠くで響く東京の喧騒。車のクラクションも、人の足音も、この地上数十メートルの屋上にはかすかな地鳴りのようにしか届かない。
紬は手元の缶コーヒーをぎゅっと抱きしめ、ぽつり、ぽつりと口を開いた。
「先輩。私……最近、ちょっと変なんです」
「変? あんたの頭が?」
「違います、私の周りです」
紬は顔を上げ、茉莉花の目をまっすぐに見つめた。
「みんな……優しすぎるんです。私の周囲にいる人たちが、あまりにも都合よく、親切で……なんだか、見えない分厚い壁に、ずっと守られているような気がして……」
「…………」
茉莉花の手元で、缶コーヒーが微かに揺れた。
普段なら「何贅沢なこと言ってんのよ、恵まれてる証拠じゃない」と笑い飛ばすはずの先輩が、口を挟まずに沈黙している。その沈黙に背中を押されるように、紬は堰を切ったように言葉を紡ぎ出した。
「先週のエレベーターの停電の時……おかしいと思ったんです」
「エレベーター?」
「はい。雷が落ちて、エレベーターが三階と四階の間で止まって……真っ暗になって。私、すごく怖くて過呼吸になりかけて……。でも、停止してから扉がこじ開けられるまで、たったの八分だったんです」
紬の声が、微かに震える。
「管理会社の人でも、消防のレスキュー隊でもありませんでした。油圧ジャッキを持って扉をこじ開けたのは、鷹見副社長と、成瀬くんと、幼馴染のタカちゃんだったんです」
「……あいつらが」
「はい。副社長はスーツをびしょ濡れにして息を切らしてて、成瀬くんはパソコンで制御盤をハッキングしてて、タカちゃんは救急バッグを持ってて……。あの豪雨の中、赤坂や青山から、どうやって八分で私のマンションに駆けつけられるんですか?」
紬は胸元を指先で押さえた。
「それに……そもそも、なぜ副社長や成瀬くんが、私の住んでいるマンションの場所を知っていたんでしょう。なぜ、私がエレベーターに閉じ込められていることを、電話もしていないのに正確に知っていたんでしょう」
一つ吐き出すと、胸の中に溜まっていた澱が次々と溢れ出てきた。
「思い返せば、ずっとそうでした。食べたいと思った翌日に四箱も届いた幻のカヌレ。ゲリラ豪雨の日に四本の高級傘を持って同時に現れた男の人たち。私に怒鳴りつけた部長が翌朝に懲戒解雇されて、粘着コメントが三十分で消えて、セクハラまがいのプロデューサーが南米に左遷されて……」
紬の瞳に、困惑と恐怖の光が滲む。
「伊豆の旅行の時もそうでした。千冬さんが仲居さんをやってて、成瀬くんがWi-Fiを直してて、タカちゃんが医務室にいて、梶原さんが警備員をしてて……。先週私が熱を出した日も、部屋に帰ったら完璧な温度にエアコンがついてて、頼んでもいないのに玄関に解熱剤とすっぽん雑炊が届いてて……」
「…………」
「私……今まで、自分が運が良いだけの凡人だから、みんなが親切にしてくれるんだって思ってました。日本の治安が良くて、世界が温かいから、困った時には奇跡みたいに助けてもらえるんだって……本気で信じてたんです」
紬の口から、掠れた吐息が漏れた。
「でも……これ、奇跡なんかじゃないですよね? 誰かが、裏で何かをしてるんですよね……? 私、自分が知らないうちに、何かものすごく不自然な『檻』の中に閉じ込められてるんじゃないかって……そう思ったら、急に怖くなっちゃって……」
言い終えた紬の肩は、寒さとは別の理由で小刻みに震えていた。
静寂。
冬の冷たい風が、二人の間を吹き抜けていく。
屋上のフェンスの向こう、見下ろす東京の街並みはどこまでも冷徹に広がっていた。
紬は俯いたまま、茉莉花からの返答を待った。
いつものように「考えすぎよ!」「あんたの被害妄想!」と豪快に笑い飛ばしてほしかった。そんなの全部偶然に決まってるじゃない、と頭を叩いて笑ってほしかった。
――しかし。
返ってきたのは、嘲笑でも、軽口でもなかった。
ギリッ、と。
スチール缶が軋むような、硬く重い音が耳に届いた。
「……先輩?」
紬が恐る恐る顔を上げると、そこには――
これまで見たこともないほど、冷徹で、険しく、そして底知れぬ真剣さを湛えた関茉莉花の横顔があった。
◇
茉莉花は、手元の缶コーヒーを、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。
その切れ長の瞳は、冬の澄んだ青空を睨み据えるように細められ、唇は真一文字に引き結ばれている。いつもの推し活に狂乱する陽気な先輩の仮面は、完全に脱ぎ捨てられていた。
「……茉莉花先輩……?」
紬が怯えたように小さく呼びかけると、茉莉花はゆっくりと首を巡らせ、紬の瞳を正面から見つめ返した。
その眼差しには、哀れみと、深い慈愛、そして同じ働く女性としての強い覚悟が宿っていた。
「……紬」
低く、落ち着いた声。
「あんたが鈍感なのは、美徳よ。生真面目で、他人を疑わなくて、どんな嫌なことがあっても前を向いて笑える……あんたのその天性のポジティブさは、このギスギスした編集部の中で、私にとっても、みんなにとっても、唯一無二の救いだったわ」
「先輩……」
「だからね、あんたが笑っていられるなら……あんたが『世界は優しい』って本気で信じて幸せそうにしているなら、私は何も言わないつもりだった。神隠しも、カヌレも、伊豆の要塞旅館も、全部『紬の守護霊が武闘派すぎる』ってネタにして、笑い飛ばしてやり過ごすつもりだったわよ」
茉莉花は缶コーヒーを膝の上に置き、深く、重い溜息を吐き出した。白い息が、空へと長く昇っていく。
「でも……あんた自身がその異常さに気付いて、恐怖を感じ始めたなら……もう茶化すのはやめにするわ」
茉莉花は身体を紬の方へと向け、逃げ場を塞ぐように真剣な眼差しを突きつけた。
「これだけは、はっきりと言っておくわよ、紬」
「は、はい……」
「あんたの周りの男たち――鷹見副社長、成瀬くん、保科先生、そしてお隣の梶原さん」
茉莉花は一文字一文字を噛み締めるように、冷徹に言い放った。
「どう見ても、普通の『親切な同僚や知り合い』の距離感じゃないわ」
「…………っ」
「あれはね……あんたに好意を抱いている男の目ですらないわよ。あれは――【あんたが息をする空気すらコントロールしようとしてる目】よ」
ドクンッ、と。
紬の心臓が、激しく跳ね上がった。
空気を、コントロールする。
その言葉の放つおぞましさに、背筋がゾワリと粟立つ。
「せ、先輩……空気をコントロールって……どういうことですか……?」
「言葉通りの意味よ」
茉莉花は吐き捨てるように言った。
「あんた、オフィスの監視カメラの向きを気にしたことある? 十階の編集部フロアのカメラ、なぜかあんたのデスクを一番美しく映せる角度にミリ単位で固定されてるのよ。成瀬くんが社内システムをメンテナンスするたびに、あんたのパソコンのセキュリティだけが米軍基地レベルに強化されてるの」
「え……成瀬くんが……?」
「鷹見副社長だってそうよ。普段は他部署の社員なんて名前すら覚えない冷血漢が、あんたが関わった企画の時だけ、役員会で『この編集者を全面的にバックアップしろ』って鶴の一声を上げる。あんたに残業させないために、クライアントの納期を平気でねじ曲げる。……伊豆の旅館だってそうよ。あの副社長、夜中の廊下で見回りと称してあんたを待ち伏せしてたの、私、部屋の隙間から見てたんだからね」
「副社長が……待ち伏せ……!?」
「幼馴染の保科先生も、お隣の梶原さんも同じ穴のムジナよ」
茉莉花は苛立たしげに自らの髪をかき上げた。
「大病院の院長が、一企業の社員旅行に有給取って『嘱託医』として張り付くわけがないでしょ! 要人警護の元SPが、一般人のマンションの隣室に住んで、夜な夜な配管を点検して、エレベーターに八分で救助部隊を突入させるわけがないでしょ!!」
茉莉花の言葉の一つひとつが、巨大な鉄槌となって紬の脳天に叩き落とされる。
知らなかった。
見えていなかった。
自分が無邪気に「今日もいい天気だな」「みんな親切だな」と笑っていたそのすぐ真後ろで、男たちがどれほど常軌を逸した異常な眼差しを自分に注ぎ続けていたのかを。
「……あいつらね、狂ってるのよ」
茉莉花は低く、吐き捨てるように告げた。
「社会的地位もあって、金もあって、顔もいいハイスペックな男たちが四人揃って……あんたの半径数メートルを完全に『無菌室』にするために、裏で手を結んでるのよ。あんたに悪い虫がつかないように、あんたが嫌な思いをしないように、あんたが自分たち以外の男に目を向けないように……街の機能ごとあんたを囲い込んでるの」
「な……なんで……」
紬の瞳から、ポロリと涙が零れ落ちた。
信じられない。理解が追いつかない。
「なんで……そんなことをするんですか……? 私、ただの凡人ですよ……? 大企業の副社長さんや、名医の先生に、そんなことされる理由なんて……何一つないのに……!」
「あんたが特別だからよ」
茉莉花は即答した。
「あんたにとっては当たり前の真面目さも、無垢な笑顔も、悪意を疑わない優しさも……あのドス黒い社会の頂点で擦り切れた男たちにとっては、世界で一番手に入れたい『唯一の光』に見えちゃったのよ。だから、絶対に失いたくないの。他の誰にも汚されたくないのよ」
茉莉花は紬の肩に、ポンと力強く手を置いた。
その手のひらの温もりが、紬の震える身体を支えてくれる。
「紬。あんたがその無菌室の中で、何も知らずに心から幸せを感じて生きられるなら、私は黙って見守るつもりだった。……でもね」
茉莉花は紬の目をまっすぐに見据え、一語一語を心に刻みつけるように言った。
「もしあんたが、その優しさに息苦しさを感じてるなら。見えない壁に怯えて、気持ち悪いと感じてるなら――」
力強い、先輩の助言。
「ちゃんと、自分の目で確かめなさい」
「……自分の、目で……?」
「そうよ。誰かに守られた世界の上でボーッと笑ってるのをやめて、周囲をよく観察しなさい。あいつらの目の奥を見なさい。そして、あいつらが何をしてるのか、自分の頭で考えて、自分の足で立ち向かいなさい」
茉莉花はニッと不敵に笑ってみせた。
「あんたは、誰かのコレクションのお人形じゃないでしょ。『Lumiere』の、誇りある一人前の編集者でしょ」
「…………っ」
お人形じゃない。
その言葉が、紬の胸の最も深い場所に、ズドンと突き刺さった。
そうだ。
私は、誰かが作った無菌室の中で、温度や湿度をコントロールされて飼い殺されるために生きているんじゃない。
自分で記事を書き、自分で人に会い、失敗して落ち込み、それでも努力して誰かを笑顔にするために、この東京で働いているのだ。
紬は手元の冷めかけた缶コーヒーを握りしめ、袖口で涙を力強く拭った。
「……はい」
紬の瞳に、怯えの色が引いていく。
代わりに灯ったのは、彼女が本来持っている、芯の強い、不屈の輝きだった。
「はい……! ありがとうございます、茉莉花先輩。私……ちゃんと、自分の目で確かめます。みんなが私の周りで何をしているのか……ちゃんと、見極めます!」
「うん、その意気よ。困った時はいつでも言いなさい。あんたの味方は、あの狂人たちだけじゃないんだからね」
茉莉花は笑って紬の頭を小突くと、立ち上がって大きく伸びをした。
「さ、戻りましょ! 冷え切っちゃったから、午後は温かいお茶でも淹れて、バリバリ仕事するわよ!」
「はいっ!」
二人は空になった缶をゴミ箱へ捨て、並んで屋上の重い鉄扉へと向かっていった。
冬晴れの青空の下、親友であり相棒である先輩の言葉によって、少女の心に宿った確固たる決意。
無菌室のガラスを内側から見つめ返す、最初の視線。
――しかし。
二人が屋上を去った後。
誰もいなくなった屋上庭園の片隅。
非常口の扉の真上、防犯カメラの死角となる換気口の金属ルーバーの隙間。
そこに仕込まれていた、米軍規格の超高感度・全指向性集音マイクロフォンが――
チッ、と極小のノイズを立てて、二人が交わした会話の全周波数を、余すところなくデジタル信号へと変換し終えていた。
◇
同時刻、地下三階。
成瀬郁のプライベート・ラボラトリー。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……!
静寂に包まれていた薄暗い部屋の中で、全コンソールのモニターが、不吉極まりない赤黒い光を一斉に明滅させた。
【音声トラッキング:対象者・槇原紬】
【検出地点:本社ビル屋上庭園(遮音区画)】
【会話相手:関茉莉花(重要警戒対象・観察者)】
【抽出重要キーワード:“見えない壁”“八分で駆けつけた”“空気をコントロール”“狂ってる”“自分の目で確かめる”】
【心理ステータス解析:対象者の警戒度・疑念指数、危険域(九十二%)に到達】
「…………っ」
モニターの前に座っていた成瀬郁の指先から、持っていたスタイラスペンがポロリと床へ落ちた。
成瀬の顔から、すべての血の気が引いていた。
画面に表示される、紬と茉莉花の会話の文字起こしログ。
その一行一行が、成瀬の網膜を、そして心臓を、鋭利なガラスの破片で滅多刺しにしていく。
「気付かれた……」
成瀬の喉から、掠れた絶望の悲鳴が漏れた。
「紬さんが……気付いちゃった……! 見えない壁に……僕たちの存在に……! 関先輩が全部吹き込んじゃった……!!」
カタカタカタカタッ……!
成瀬は狂乱のまま、コンソールの主幹ホットラインキーを叩き込んだ。
即座に、三つの回線が強制接続される。
『……成瀬か』
受話器から響いたのは、三十階の副社長室にいる鷹見征司の、氷のように研ぎ澄まされた声だった。
『何の用だ。今、役員との面談中だ』
『鷹見さん!! 役員面談なんかやってる場合じゃない!!』
成瀬はスピーカーに向かって叫んだ。
『緊急事態だよ!! 紬さんが……関先輩に相談して……僕たちの監視網の存在を疑い始めた!! 「自分の目で確かめる」って言ってる!! もう誤魔化しがきかないよ!!』
『…………何だと?』
鷹見の息が、止まった。
さらに、南青山のクリニックから、保科貴文の緊迫した声が割り込んでくる。
『成瀬くん、ログをこちらへ転送しなさい! ……本当かい!? 紬ちゃんのバイタルにも、明らかな不審と緊張のパターンが出ている……!』
『……俺だ』
梶原敦志の、地底の底から響くような重低音が重なった。
『エレベーターの件か。……俺が上着をかけたことが、全ての引き金になったのか』
『誰の責任かなんてどうでもいいよ!!』成瀬が頭を抱えて叫ぶ。
『今夜、緊急招集だよ!! 不可侵条約が……僕たちの作った世界が、崩壊しちゃうよぉぉぉっ!!』
六本木のスイートルームに向けて、四人の怪物の端末に、過去最大の非常召集コマンドが点滅する。




