↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の日常が平和すぎるのは、周囲の男たち(全員ヤンデレ)が水面下で不可侵条約を結んでいるかららしい  作者: ヒデコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/60

第31話:衝撃の告白

十二月も半ばを過ぎ、南青山の通りには、華やかなイルミネーションの装飾がきらめき始めていた。


日曜日の午後二時。冬の澄み切った陽光が、大通り沿いの並木道を柔らかく照らしている。風は冷たいものの、街行く人々はみな温かなウールのコートやダウンに身を包み、ホリデーシーズンの浮き立つような熱気に包まれていた。


そんな青山の路地裏に佇むオープンカフェ『カフェ・ド・ソレイユ』のテラス席。


頭上には大型のパラソルヒーターが赤々と灯り、足元には厚手のウールブランケットが用意されているため、屋外でありながらまるで温室の中にいるような心地よいぬくもりに満たされていた。


「ふあ……っ、美味しい。やっぱりここのフルーツタルト、生地がサクサクで最高ですね」


槇原紬(まきはら つむぎ)は、陶器のフォークで艶やかなイチゴとブルーベリーの乗ったタルトを一口頬張り、目を細めて蕩けるような笑顔を浮かべた。


今日の紬は、淡いラベンダー色のモヘアニットに、チェック柄のフレアスカートという、休日らしい柔らかなコーディネート。先週の木曜日に三十七度八分の微熱を出して早退したのが嘘のように、肌は吸い付くようにみずみずしく、両頬には健康的な淡い桜色がさしている。


「本当に、先週あんたが熱で倒れかけたなんて誰が信じるのよ。驚異的な回復力ね」


向かいの席で、熱いカフェラテのカップに口をつけていた関茉莉花(せき まりか)が、呆れたように苦笑した。


「茉莉花先輩、その節は本当にご迷惑をおかけしました! 先輩が校正を引き受けてくださったおかげで、新春特集の初校も無事に間に合いましたし……本当に頭が上がりません」


「いいってことよ。それより、クライアント各社が揃いも揃って『締め切りを三日延ばしますからご無理なさらず』なんて神対応をしてくれたのが奇跡よ。おかげで週明けの進行も余裕綽々だし、こうして休日に優雅にお茶できてるんだから」


「えへへ、本当にそうですよね。世界って、優しい人ばかりです」


紬は手元のダージリンティーのカップを両手で包み込み、ふうと温かな湯気を立てた。


先週の伊豆旅行の成功、新春特集の順調な進行、そして謎の「置き配おかゆ」による一晩での病気全快。何もかもが順風満帆で、世界は平和そのものだった。


――しかし。


茉莉花は、ふと紬の様子に微かな違和感を覚えた。


先ほどから、紬の手元がどこか落ち着かないのだ。


紅茶のカップを持ち上げては下ろし、タルトの角をフォークの背で突いてみたり、膝の上のブランケットの端を指先でいじってみたり。普段の紬なら、美味しいものを前にすれば屈託なく笑い、編集部の裏話や読者アンケートの面白い感想をマシンガンのように楽しそうに語りかけてくるはずだった。


だが今日の彼女は、時折ふっと遠くを見つめ、どこか所在なげに視線を宙に彷徨わせている。


「……ねえ、紬」


「は、はいっ!?」


茉莉花が声をかけると、紬はびくっと肩を跳ね上がらせ、慌てて背筋をピンと伸ばした。その過剰な反応は、何か後ろめたい秘密を抱えている人間のそれそのものだった。


「あんた、さっきから妙にソワソワしてない? まだ熱の余波で頭がぼーっとしてるとか?」


「い、いえっ! 体調はもう完璧です! 今朝も体温は三十六度四分でしたし、食欲もモリモリあります!」


「なら、何よ。……何か私に隠し事でもあるわけ?」


茉莉花が目を細め、デスクとしての鋭い観察眼を向ける。


その視線に射抜かれた瞬間、紬の顔が、耳の付け根まで一気にカッと真っ赤に染め上がった。


「あ……う……えっと……その……」


紬は視線を泳がせ、両手で抱えたティーカップの縁に顔を半分埋めるようにして小さくなった。


長い睫毛が伏せられ、照れと躊躇いが入り混じった瞳が微かに揺れている。その仕草は、少女漫画の主人公が告白の直前に見せるような、あまりにもわかりやすく、そして破壊力抜群の「恋する乙女」の挙動だった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」


茉莉花の直感が、けたたましく警報を鳴らした。


この生真面目で、仕事一筋で、恋愛の話題を振られても「私なんて凡人ですし、漫画や小説を読んでる方が楽しいです!」とカラカラ笑い飛ばしていたあの槇原紬が、顔から湯気が出そうなほど真っ赤になってモジモジしているのだ。


「紬……あんた、まさか……」


「ま、茉莉花先輩……」


紬は消え入りそうな蚊の鳴くような声で、意を決したように顔を上げた。


カップを握りしめる白い指先が、緊張でかすかに震えている。


そして――南青山の冷たい冬の風が吹き抜けるテラス席で、彼女は爆弾の信管を、あまりにも無邪気に引き抜いた。


「茉莉花先輩……実は私、最近すごく気になってる人ができちゃって……」


カシャンッ。


茉莉花の手から滑り落ちたケーキフォークが、陶器の皿に当たって甲高い音を立てた。


「……はぁ!?」


茉莉花は思わず腰を浮かせ、テーブルに両手をついて身を乗り出した。


「あ、あんたが!? 気になる人!? 好きな男ができたってこと!?」


「す、好きな人というか……! まだ自分でもよく分からないんですけど……でも、最近その人のことを考えると、胸がキュッて締め付けられて、夜も眠れなくなっちゃうことがあって……!」


両手で真っ赤になった自分の頬を押さえ、恥ずかしそうに身を縮こまらせる紬。


「だ、誰よそれ!! いつ知り合ったの!? 社内の人間!? それとも取材先!? まさか合コンなんて行ってないでしょ!?」


「ち、違います違います! 合コンなんて行ったことありません!」


「じゃあ誰なのよ! どんな男なの!?」


「えっと……すごく背が高くて、髪が綺麗で……冷たそうに見えるのに、本当は誰よりも優しくて、守ってくれるような……」


紬がうっとりと語るその言葉の一つひとつが、まるで恋の熱病に浮かされた少女そのものだった。


茉莉花は興奮と驚きで心臓を高鳴らせながら、「ちょっと! もっと詳しく話しなさいよ!」と前のめりになって紬を問い詰めた。


それは、どこにでもある、休日のカフェで繰り広げられる他愛のない女子トークのはずだった。


二十六歳の真面目な独身女性が、気の置けない職場の先輩に初めて打ち明けた、ささやかで甘酸っぱい恋の相談。


――しかし。


二人が座るテラス席。


頭上に広がる大型パラソルの骨組みの継ぎ目、そして足元のウッドデッキの板の隙間に仕込まれていた、針先ほどの極小集音マイクロフォン。


そのマイクが、紬の「実は私、最近すごく気になってる人ができちゃって」という音声周波数を余すところなくデジタル信号へと変換した、まさにその刹那。


張り巡らされた見えない無菌室の深淵で、人類史上最大の天変地異が勃発していた。


◇


同時刻、午後二時三分。


東京都港区某所、地下三階の機械管理区画。


無数の大型サーバーラックが緑色のアクセスランプを規則正しく点滅させ、冷媒の循環音が重低音で唸りを上げる、成瀬郁(なるせ いく)のプライベート・ラボラトリー。


成瀬は、リクライニングチェアに深く腰掛け、大型モニターに映し出された紬の行動ログを監視しながら、のんびりとストローで炭酸水をすすっていた。


画面には、南青山のカフェのテラス席を遠隔で捉えた高解像度カメラの映像と、リアルタイムの音声スペクトラム。


「ふふ〜ん、紬さん、すっかり元気になってよかったな〜。やっぱり僕の空調最適化スクリプトと、保科先生のお薬と、梶原さんの雑炊のコンボは最強だったよね。鷹見さんも納期延ばしてくれたし、僕たちの不可侵条約、完全に世界平和を実現しちゃってるんじゃない?」


成瀬は機嫌よく鼻歌を歌いながら、キーボードの上で指を遊ばせていた。


平和だ。外敵の神崎は南米チリの奥地へ飛ばされ、伊豆旅行の防衛戦も完全勝利。紬は今日も安全な無菌室の中で、先輩と仲良くケーキを食べている。この調子でいけば、未来永劫、誰も抜け駆けすることなく、紬の笑顔を守り続けられるはずだった。


――その時だった。


スピーカーから、紬の震えるような、恥じらいを含んだ声が流れてきた。


『茉莉花先輩……実は私、最近すごく気になってる人ができちゃって……』


ピチャリ。


成瀬の口から、ストローがポロリとこぼれ落ちた。


炭酸水の飛沫が、デスクの上に小さく跳ねる。


「…………え?」


成瀬の思考が、完全に停止した。


部屋の空調の音も、サーバーの駆動音も、すべてが遠くの彼方へ消え去っていく。


モニターの中央、成瀬が常時走らせている自然言語処理AIが、コンマ数秒のラグの後に、無慈悲極まりないテキスト解析結果を全画面に叩き出した。


『音声解析完了:対象者・槇原紬』

『検出構文:“最近すごく気になってる人ができちゃって”』

『感情プロファイリング:好意指数九十八%、恋愛感情該当率九十九・九%、羞恥心・高揚感のバイタル一致』

『事象判定:対象者における「特定の男性に対する恋愛感情の発生」と断定』


瞬間。


ヴィィィィィィィィン!! ヴィィィィィィィィン!!


ラボラトリーの全照明が一斉に消灯し、壁一面の非常用パトランプが、狂ったような速度で真紅の光を撒き散らし始めた。


けたたましいサイレンが鼓膜を劈き、数十台のモニターが同期して、巨大な血塗られた文字を一斉に点滅させる。


【緊急事態レベル:オメガ(最高危険度)】


【コード・オメガ発令:不可侵条約・存亡の危機】


【事由:主人公の心身が「未知の第三者」へ奪取される兆候を検知】


【全条約加盟者へ強制ホットライン接続を開始】


「……嘘、だろ……?」


成瀬の喉から、空気の抜けるようなかすれた音が漏れた。


成瀬の瞳から、人間らしい感情の光が、急速に、完全に失われていく。


黒目が収縮し、ハイライトが消え失せ、底知れぬ漆黒の闇だけが眼窩を支配する。


カタカタカタカタカタカタ……ッ!


成瀬の指先が、痙攣を起こしたように震え始めた。


「紬さんに……好きな、人……? 気になってる、男……?」


全身の毛穴から、氷のような冷や汗が噴き出す。


誰だ?


いつだ?


どこでだ?


通信ログも、GPSも、監視カメラも、クレジットカードの利用履歴も、すべてこの手の中にあったはずだ。紬の半径五メートル以内に近づいた不審人物は、チカンも、クレーマーも、ナンパ男も、悪徳プロデューサーも、全員例外なく消去してきたはずだ。


なのに――なぜ?


どうして、紬の心の中に、自分たち以外の「男」が侵入しているんだ!?


「あああああ……ッ!!」


成瀬は自らの髪を両手で激しく掻きむしり、獣のような唸り声を上げた。


胸が痛い。息が吸えない。肺が破裂しそうだ。


紬が、他の男を見ている。


紬が、自分以外の誰かのために頬を染めている。


紬が、誰かの腕の中に抱きしめられ、誰かのものになってしまう――。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!! そんなの絶対に許さない!! 死んでも許さない!!」


成瀬はデスクを拳で殴りつけると、狂乱のままコンソールの主幹エンターキーに指を叩き落とした。


男四人専用の暗号化ホットライン。


条約締結以来、一度として押されたことのなかった【最終戦争トリガー】が、今、不可逆的に作動した。


◇


午後二時五分、三十階・副社長室。


休日の静まり返った役員フロアで、書類の最終決済を行っていた鷹見征司のスマートフォンが、突如として耳障りな甲高い電子音を撒き散らした。


画面には、血のような赤色で『コード・オメガ発令』の文字。


自動接続されたスピーカーから、成瀬の咽び泣くような、狂乱の絶叫が炸裂する。


『鷹見さん!! 紬さんに好きな男ができた!! 今すぐ全員集まって!! 世界が終わる!!』


「…………な」


鷹見の手から、高級万年筆が滑り落ちた。


カラン、と大理石の床に転がる音。


鷹見の全身から、瞬時にすべての血の気が引いた。


好きな男。


紬に、好きな男が、できた。


「……誰だ」


鷹見の声は、もはや人間のそれですらなかった。地獄の最下層から響くような、怨嗟と殺意の塊。


「誰が……私の紬を……誑かした……?」


鷹見の瞳のハイライトが完全に消失した。


デスクの上の書類を乱暴に払いのけ、立ち上がった鷹見の手は、引き出しの奥から取り出した冷たい鋼のペーパーナイフを、骨が浮き出るほど強く握りしめていた。


◇


同時刻、南青山『保科メディカル・メンタルクリニック』。


休診日の静かな院長室で、学術論文を執筆していた保科貴文の端末が、狂ったように振動した。


画面に表示された成瀬の音声ログのテキスト起こし。


『茉莉花先輩……実は私、最近すごく気になってる人ができちゃって……』


その文字を網膜が認識した瞬間。


パキリ。


保科の指先にあったガラス製のスポイトが、粉々に握り潰された。


手のひらに鋭利なガラス片が突き刺さり、鮮血がポタポタとデスクに滴り落ちる。だが、保科は痛みなど微塵も感じていないようだった。


「……紬ちゃんに、好きな人?」


保科の口元から、普段の慈愛に満ちた笑みが完全に消滅した。


銀縁眼鏡の奥の瞳は、絶対零度を通り越して、無に帰していた。


「十年間……僕が幼馴染の仮面を被って、一歩も踏み込まずに守り続けてきた聖域を……どこの馬の骨が土足で踏み荒らしたんだい……?」


保科は血まみれの手のまま、白衣のポケットから特大の注射器を取り出した。


「精神的制裁など生ぬるい。……その男の脳神経を、薬物で完全に初期化してあげるよ」


◇


さらに同時刻、港区の幹線道路を走行中だった黒塗りの大型警備車両。


運転席のコンソールパネルが、赤い警告灯を明滅させた。


スピーカーから流れる、成瀬の悲鳴と、紬の肉声ログ。


ハンドルを握っていた梶原敦志の動きが、完全に凍りついた。


「…………」


キィィィィィィッ!!


急ブレーキとともに、大型車両が路肩に緊急停車する。


梶原は無言のまま、シートベルトを外した。


その顔は、能面よりも冷たく、暗殺者のそれよりも獰猛だった。両手のタクティカルグローブが、キシリと音を立てて軋む。


「……殺す」


梶原の口から漏れたのは、ただ一言の死刑宣告だった。


「あの人に触れようとする害虫は……肉片ひとつ残さず、この世から消去する」


梶原は助手席のダッフルバッグを開け、特殊警棒、スタンガン、そして軍用ワイヤーを音もなく腰のベルトへと装填した。


◇


午後二時十分。


六本木『ザ・クラウンタワー東京』の最上階。


バーのカウンターで特製ノンアルコールカクテルの仕込みをしていた九重圭の端末にも、無慈悲な【コード・オメガ】のサイレンが鳴り響いた。


画面を確認した瞬間、九重は両手で激しく胃を押さえ、カウンターに膝をついた。


「う、嘘でしょう……!? 紬さんに……意中の相手……!?」


九重の顔面から、急速に血の気が失われていく。


分かってしまった。


この警報が、何を意味するのか。


これまで男四人を辛うじて繋ぎ止めていたのは、「誰も紬に手を出していない」「彼女は誰のものにもなっていない」という、絶対的な均衡だった。


だが――彼女が特定の男を選んだ瞬間。


その均衡は、一瞬で木っ端微塵に崩壊する。


抜け駆けを疑い、互いに刃を向け合い、そして紬が選んだ「見知らぬ男」を巡って、四人の怪物が地上最悪の殺戮戦を開始するのだ。


「まずい……! こんなの、東京が火の海になる……!!」


九重はカウンターの下から特大ボトルの胃腸薬を掴み出すと、震える手でスイートルームの扉を解錠した。


平和だった無菌室の時代は、完全に終わりを告げた。


紬のたった一言の呟きが引き金となり、四人のヤンデレたちによる、理性をかなぐり捨てた【第0次世界大戦】の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。