第13話:クレーマー撃退の方程式
木漏れ日が柔らかく差し込む月曜日の午後二時。
週の始まりの慌ただしさが一段落した『Lumiere』編集部のフロアで、槇原紬は、マグカップに淹れたてのカモミールティーを注ぎ、満足そうに息を吐いた。
「よしっ……! 先週末に公開した特集記事、順調にPVが伸びてる!」
紬がデスクのモニターに表示させていたのは、自身が企画から取材、執筆、画像選定までを一手に手掛けた渾身のライフスタイル特集――『小さな工夫で劇的に変わる、心地よい週末のルームリセット術』だった。
整理収納アドバイザーへの丁寧なインタビューをもとに、お金をかけず、誰でも真似できる部屋づくりのアイデアをまとめた実用記事だ。読者アンケートでも「さっそく試してみました!」「写真が優しくて癒やされます」といった好意的なコメントが多く寄せられ、編集長からも「紬ちゃんらしい、温かくて丁寧な良記事だね」と褒められたばかりだった。
自分の書いた文章が、どこかの誰かの日常をほんの少し明るくしている。
編集者として、これ以上の喜びはない。紬は嬉しさを噛み締めながら、読者からのフィードバックを確認するために、記事下部の読者コメント欄を下にスクロールしていった。
――だが。
温かいコメントが並ぶその末尾に、突如として異様な異物のような文字列が躍り出た。
『反逆の狼:
こんなペラペラの嘘八百記事で金もらってんのか? 丁寧な暮らし(笑)だあ? 現実見ろよクソ女。全部ステマだろ。読者を騙して小遣い稼ぎしてんじゃねえぞ』
「……えっ?」
紬の指先が、マウスの上でピクリと止まった。
インターネットという広大な海に記事を公開している以上、多少の辛辣な意見や批判がつくのは避けられない。それは紬も理解していた。だが、その書き込みは単なる批判の域を遥かに逸脱していた。
紬が息を詰めて見つめる間にも、画面が自動更新され、同じユーザー名から間髪を入れずに次々と過激なコメントが連投されていく。
『反逆の狼:
おい槇原紬、お前だよお前。調子乗ってんじゃねえぞブスが。お前みたいな無能が偉そうにライフスタイル語ってんじゃねえ』
『反逆の狼:
どうせ上司に色目使って企画通してんだろ。会社も記事も全部炎上させてやるからな。今すぐ担当者の顔写真をネットに晒せ。逃げられると思うなよ』
『反逆の狼:
赤坂のオフィスだろ? 退勤時間に合わせて待ち伏せしてやるからな。住所特定して部屋に凸ってやる。お前の人生、徹底的に終わらせてやるから待ってろ』
「っ……!?」
紬の背筋を、ツツッと冷たいものが駆け抜けた。
顔写真を晒せ。
オフィスで待ち伏せする。
部屋に凸る――。
露骨な恫喝、そして現実世界での危害を示唆する具体的なストーカー紛いの脅迫文。
紬は手元のマグカップをソーサーに戻した。カチャリと小さな陶器の音が震える。
普段は「世界は優しい」と信じて疑わない天然ポジティブな紬でも、名指しでここまで悪意を叩きつけられれば、さすがに胸の奥がキュッと締め付けられるように痛んだ。心拍数がわずかに上がり、指先がすっと冷たくなっていく。
「……私の書き方で、誰かを嫌な気持ちにさせちゃったのかな……。でも、顔写真を晒すとか、待ち伏せするっていうのは……さすがに怖いな」
紬は小さく唇を噛んだ。
もちろん、一人で抱え込むつもりはない。この会社には頼れる先輩たちがいる。
「ううん、怯えてちゃダメだよね。こういうのは放置しちゃいけないって、以前のコンプライアンス研修でも習ったし……。まずは画面のスクリーンショットを撮って、茉莉花先輩と法務部に相談して、削除依頼とアクセスブロックを出してもらわなきゃ」
紬は震える手でマウスを握り直し、証拠保存のためのキャプチャソフトを立ち上げようとした。
――しかし。
紬が最初のキーを押そうとしたその時、最初の悪質コメントが投稿されてから、まだわずか【三分】しか経過していなかった。
そして、そのたった三分という時間の間に、彼女の頭上と足元の世界では、一個の師団が総力戦を開始するに匹敵する、電光石火の殲滅プロトコルが発動していたのである。
◇
地下三階、機械管理区画の奥深く。
成瀬郁のプライベート・ラボラトリーに、鼓膜を裂かんばかりの耳障りな赤色警報が鳴り響いた。
ヴィィィィィィィィン!! ヴィィィィィィィィン!!
メインモニターの全画面を真っ赤なダイアログが覆い尽くし、成瀬が常時走らせている社内WEB巡回ボットが、紬の記事に投下されたテキストを瞬時にハイライトする。
『自然言語処理アラート:対象者(槇原紬)に対する殺害・傷害・名誉毀損・ストーカー予告を検知』
『脅迫レベル:最大値(クラス5・即時物理制裁対象)』
『投稿者ID:反逆の狼(IPアドレス:118.XXX.XXX.XXX)』
「……は?」
デスクでアイスキャンディーをかじりかけていた成瀬の動きが、完全停止した。
ポキリ、とアイスが折れて床に落ちる。
成瀬の瞳から、人間らしい感情の光が完全に消失した。底知れない深淵の闇、見る者すべての神経を凍らせる、絶対零度の殺意が青年の顔を支配する。
「……誰だ、今……紬さんに……『ブス』って言ったゴミは……?」
カタカタカタカタカタッ――!!
成瀬の指先が、もはや肉眼では残像しか見えない超音速でキーボードを乱打し始めた。
「プロキシ経由の偽装アクセス? 笑わせるな、串を三段噛ませたくらいで僕の追跡から逃げられると思ってんの? パケットのタイムスタンプ照合、ブラウザフィンガープリント、TCPシーケンス番号の揺らぎから物理回線を特定……逆探知完了!」
わずか三十秒。モニターに、クレーマーの全情報が赤裸々に展開された。
【本名:長谷川 健太】
【年齢:三十四歳】
【現住所:東京都練馬区北町三丁目 木造アパート『コーポハイツ』二〇三号室】
【職業:無職(先月まで派遣事務、勤務態度不良により契約解除)】
【使用端末:中古のノートPC(Windows10)、格安SIMテザリング】
「特定完了。所要時間一分十二秒」
成瀬は間髪を入れず、男四人の極秘ホットラインを開いた。
【成瀬:コード・サイバーペスト発動! 紬さんの担当記事に直接脅迫コメントを連投した害虫を特定しました! 氏名・長谷川健太、練馬区在住! 対象への接近予告あり! 至急、全同盟軍の即時動員を要請します!!】
送信ボタンが押された瞬間、モニターのスピーカーから、三つの通信が同時に炸裂した。
『成瀬、よくやった』
地獄の底から響くような、重低音の怒声。三十階の副社長室にいる鷹見征司だった。
『我が社のメディア、そして何より槇原紬個人の尊厳を公衆の面前で踏み躙った罪……万死に値する。千冬! 我が鷹見グループ直属の最高顧問弁護士チーム――東京丸の内総合法律事務所のパートナー弁護士全員を、今すぐ私の執務室へ召集しろ!』
『すでに招集を完了し、会議室にて待機させております』
即座に応じる秘書の千冬の冷静な声。
『名誉毀損、威力業務妨害、民法七百九条に基づく不法行為責任、さらに民法七百十条の精神的損害賠償。……副社長、請求額はいかがいたしますか?』
『満額だ。一銭の容赦もするな。個人への損害賠償請求として上限ギリギリの【金八百万円】を請求する。即刻、電子内容証明郵便を作成し、長谷川の現住所へ電光石火で送達しろ。同時に、警視庁練馬署の刑事課長――私の父の息がかかっている男だ――へ直接ホットラインを繋げ。「威力業務妨害および脅迫罪の現行犯事案」として、告訴状を受理させろ!』
『かしこまりました。五分で内容証明を起案し、電子送達の手続きに入ります』
鷹見の冷徹な法術攻撃が展開される中、もう一つの回線から、優雅で恐ろしい声が割り込んできた。
『おやおや、鷹見さん。相変わらず法的な手続きはお早いですね』
保科貴文だった。
南青山のクリニックの院長室で、保科は万年筆をサラサラと走らせながら、冷ややかな三日月の笑みを浮かべていた。
『僕の出番もありますよ。長谷川が投稿したテキスト――「顔写真を晒す」「待ち伏せする」「部屋に凸る」。これは明確に、被害者の生命および身体の安全に対する具体的かつ差し迫った脅迫行為です。公認精神科専門医、ならびに産業精神保健指導医としての僕の署名捺印入りの正式な書類――【脅迫言動による急性ストレス障害発症リスク、および重篤な精神的損壊に関する医学的鑑定評価書】を作成しました』
保科は印鑑をドンと書類に叩き落とした。
『この鑑定書があれば、裁判所はいかなる反論も認めず、慰謝料の満額認定および接近禁止の仮処分命令を即日発令します。千冬さん、今あなたの端末にPDFで送りましたよ。内容証明の添付証拠としてねじ込みなさい』
『受領いたしました、保科先生。完璧な証拠能力です』
そして――
ガシャッ、と銃器を装填するような金属音がスピーカー越しに響いた。
『……成瀬。長谷川の現在位置に変動はないか』
梶原敦志の声だった。
受話器の向こうから、エンジンの唸り声と無線機のノイズが聞こえてくる。
『動いてないよ梶原さん! アパートの自室で今もせっせと悪口のキーボード叩いてる!』
『了解した。……現在、練馬方面を巡回中だった我が社の私服身辺警護班二名を、長谷川のアパート周辺へ急行させた。すでに現着し、コーポハイツの出入口、ならびに非常階段を完全に封鎖した』
梶原は冷酷無比に状況を報告した。
『万が一、対象が凶器を携行して紬の生活圏へ向かおうと部屋を出た場合、敷地外に出る前に無音で関節を極め、その場で完全無力化する。……紬の半径一キロ以内に、この害虫が一歩たりとも近づくことは絶対にあり得ない』
「よーし、完璧な布陣だ!」
成瀬は悪魔のように目を細め、エンターキーの上に指を構えた。
「僕からも特大のプレゼントをあげなきゃね。長谷川健太が過去五年間、匿名掲示板や他社のレビューサイト、SNSの捨て垢で行ってきた全誹謗中傷ログ――計四百八十二件の魚拓データを全部抽出完了。これ、全部まとめた【ネットストーカー行為・常習的誹謗中傷実績レポート】を八十ページのPDFにして、弁護士の電子内容証明に同梱して長谷川の端末に直接送りつけてやる!」
成瀬の指が、キーを叩き落とした。
「消えろ、害虫!」
投稿からわずか十五分。
四人の狂人たちによる、一切の慈悲なき多重包囲網が、練馬の薄暗いアパートの一室へと一斉に着弾した。
◇
午後二時十八分、練馬区・木造アパート『コーポハイツ』二〇三号室。
カーテンの閉め切られた薄暗い六畳間には、ゴミ袋の悪臭と、食べ残したカップ麺の油の匂いが淀んでいた。
万年床の上に胡座をかいた三十四歳の男・長谷川健太は、薄汚れたノートパソコンの液晶画面を見つめながら、下卑たニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「へへっ、効いてる効いてる! 女の編集者が書いたキラキラ記事なんて、適当に脅してやればビビって泣き寝入りするに決まってんだよ!」
先月、無断欠勤と上司への暴言で派遣先をクビになり、貯金も底をつきかけていた長谷川の唯一のストレス解消法は、ネット上の目立つ女性や成功者を匿名で口汚く罵り、炎上させて恐怖に陥れることだった。
相手が怯え、アカウントを非公開にしたり、謝罪文を出したりする姿を見るのが、己の無力感を埋める至高の快感だったのだ。
「次はなんて書き込んでやろうかな。『今からお前の会社の前に着くぞ』って書いてやれば、今頃オフィスで震え上がって――」
長谷川が次の悪口を打ち込もうとした、まさにその瞬間だった。
――ビィィィィィィィィッッ!!
パソコンのスピーカーから、耳を劈くような凄まじい警告音が鳴り響いた。
「うわっ!? な、なんだ!?」
長谷川が飛び上がる。
ノートパソコンの画面が突然真っ暗になり、次の瞬間、見たこともない鮮烈な真紅の全画面ポップアップがウィンドウを覆い尽くした。
画面の中央にデカデカと表示されたのは、長谷川自身の【顔写真】だった。
免許証の更新時に撮影された、長谷川自身の顔。その下には、長谷川の本名、生年月日、血液型、現住所、携帯電話番号、さらには先月クビになった元勤務先の名前までが、寸分の狂いもなく正確に並べられていた。
「ひ、ヒィィッ……!? な、なんで俺の個人情報が……!?」
ガタガタと震える長谷川の目の前で、画面に次々とウィンドウが展開されていく。
『【警告】発信者情報開示請求、ならびに損害賠償請求予告通知書』
『差出人:鷹見ホールディングス株式会社 法務統括部 / 代理人:弁護士法人 東京丸の内総合法律事務所』
長谷川のスマートフォンのバイブレーションが、狂ったように鳴り始めた。
ブブブブブッ! ブブブブブッ!
見れば、日本郵便の電子内容証明サービスの着信通知、さらには法律事務所からの緊急直通メッセージが画面を埋め尽くしている。
恐る恐るファイルを開いた長谷川の視界に、太字の数字が飛び込んできた。
『貴殿による当社従業員・槇原紬に対する名誉毀損、威力業務妨害、ならびに脅迫行為につき、民事上の不法行為責任に基づき、金【8,000,000円】の損害賠償を請求いたします。本書面到達後、二十四時間以内に全額の支払いに応じない場合、即座に仮差押えおよび民事訴訟を提起します』
「は……? は、はっぴゃく……まんえん……!?」
長谷川の喉から、ヒックと間抜けなしゃっくりが漏れた。
八百万円。全財産合わせても五万円にも満たない長谷川にとって、それは天文学的な数字だった。
さらに、添付されていた別のPDF――『保科メディカルクリニック院長・保科貴文』による精神鑑定書には、「被告の言動は極めて悪質かつ執拗であり、被害者に一生消えない重篤なトラウマを与えるものとして、刑事告訴および実刑判決を強く求める」という冷酷無比な宣告が記されていた。
「う、嘘だろ……なんでたかがネットの書き込みで……弁護士が……精神科医が……!?」
パニックに陥った長谷川の耳に、ふと、窓の外から微かな物音が届いた。
長谷川は這いつくばるようにして窓辺へ向かい、カーテンの隙間から恐る恐る外を覗き見た。
そして――長谷川の心臓は、完全に恐怖で凍りついた。
コーポハイツの狭い路地の前に、威圧感のある黒塗りの大型ワンボックスカーが二台、アパートを挟み込むようにして停車していた。
車の周囲には、黒いタクティカルウェアに身を包み、耳に無線インカムをつけた屈強な体格の男たちが二人。
その男たちは、二階の長谷川の部屋の窓に向かって、寸分のブレもなく冷たい視線を固定していた。男の腰元には、明らかに民間人とは思えないホルスターと特殊警棒が覗いている。
「あ……あ…………」
逃げられない。
警察に泣きつくこともできない。自分が先に殺害予告とストーカー予告を出したのだ。法でも、金でも、暴力でも、手も足も出ない本物の怪物たちに、自分は完全に包囲されている。
ピロン♪
パソコンの画面に、成瀬からの最後の一撃となるメッセージがポップアップした。
『【猶予:あと三分】
直ちに全コメントを削除し、土下座の謝罪文を投稿した上でアカウントを完全爆破しろ。さもなくば、あなたの過去五年間分の誹謗中傷ログ全四百八十二件を、あなたの親族および近隣住民のポストへ一斉ポスティングし、八百万円の強制執行を開始する』
「ぎゃああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっっ!!!!」
長谷川は絶叫しながらキーボードに飛びついた。
涙と鼻水を垂らし、失禁寸前で震える指をガタガタと動かし、泣き叫びながら謝罪の言葉を打ち込んでいった。
◇
午後二時三十分、編集部フロア。
「よし……画面のキャプチャ準備、完了」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせた紬は、通報用の資料を作成するため、ブラウザの更新ボタンをカチリとクリックした。
「茉莉花先輩に相談する前に、まずは現状のコメント欄をもう一度確認して……」
画面がシュッとリロードされる。
紬は目をパチパチと瞬かせた。
「……あれ?」
先ほどまで画面を真っ赤に染めていたはずの、『反逆の狼』による罵詈雑言の嵐が、跡形もなく綺麗さっぱり消え去っていたのだ。
代わりに、一番新しい投稿欄に、たった一行だけ、新しい書き込みが表示されていた。
『反逆の狼:
槇原紬様、大変申し訳ありませんでした。先ほどの書き込みはすべて私の身勝手な嫉妬と捏造による嫌がらせです。記事は本当に素晴らしく、何一つ落ち度はありません。二度とネット上に現れません。本当に申し訳ありませんでした』
その書き込みが表示されてから、わずか五秒後。
ポン、と画面にダイアログが出た。
『このユーザーアカウントは退会処理されました』
画面が自動で再読み込みされると、謝罪文すらも消え去り、そこには「記事が参考になりました!」「部屋の片付け頑張ります!」という、読者からの温かい応援コメントだけが美しく並ぶ、元の平和なコメント欄へと戻っていた。
「…………えええっ!?」
紬は椅子から立ち上がり、思わず叫んでしまった。
「な、何が起きたの……!? 私、まだ削除申請も通報も出してないのに……!」
「ん? 紬、どうしたの?」
コーヒーを片手に通りかかった茉莉花が、不思議そうに紬の画面を覗き込んできた。
「茉莉花先輩! さっき、私の記事にすごく悪質なクレーマーのコメントがついてて、相談しようと思ってたんです! でも……投稿されてから三十分も経ってないのに、相手が突然猛烈な謝罪文を書き残して、アカウントごと消滅しちゃったんです……!」
「へえ?」
茉莉花はコーヒーをすすり、ジトッとした目で画面を見つめた。
「三十分で謝罪して爆破退会ねえ……。まあ、うちの会社のITセキュリティ部門と運営のパトロール監視網って、業界でも異常なくらい仕事が早いって有名だからね。きっと成瀬くんたちの部署が、AIで不適切なワードを瞬時に検知して、相手のプロバイダに電光石火で警告飛ばしたんじゃない?」
「成瀬くんたちの部署が……! やっぱりそうなんですね!」
紬はパアッと顔を輝かせ、両手を胸の前で合わせた。
「私、通報する前だったからすごく不安だったんですけど……見えないところで、運営さんやエンジニアの方々が二十四時間体制で私たち編集者を守ってくれてたんですね! うちの会社の自浄能力と危機管理体制、本当に世界一素晴らしいです!」
「……ええ、そうね。世界一どころか、宇宙一過保護な会社よ、ここは」
茉莉花はどこか遠い目をしながら、力なく笑った。
紬は嬉しそうにカモミールティーを飲み干し、再び前向きな笑顔でキーボードに向かい始めた。
「よし! こんなに守られているんだから、私ももっともっと読者のみなさんに喜んでもらえる素敵な記事を書かなきゃ!」
◇
同じ時刻。
地下のラボで冷たい炭酸水を飲み干した成瀬郁。
副社長室で満足げに万年筆を収めた鷹見征司。
クリニックで優雅にカルテを棚に戻した保科貴文。
そして、アパートの前から部下を撤収させた梶原敦志。
四人の専用ホットラインに、成瀬からの完了メッセージが流れる。
【成瀬:害虫・長谷川健太、完全無力化完了。二度とインターネット回線に近づけないレベルのトラウマを植え付けました。紬さんの記事のコメント欄、清浄化完了です】
【鷹見:ご苦労だった。なお、八百万円の損害賠償請求は取り下げん。分割で一生かけて我が社の関連慈善団体へ寄付させろ】
【保科:ふふ、妥当な処置ですね。紬ちゃんの笑顔が曇らなくて本当によかった】
【梶原:……現場の警戒を解除する。紬の退勤動線に影響なし】
今日もまた、誰一人として傷つくことのない完璧な無菌室の中で、槇原紬の日常は、絶対的な平和に守られ続けていたのだった。




