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【連載版】神様に願ったのは衣食住  作者: あずきまんま
第1幕:異世界への第一歩と『衣食住』の確保

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第9話:笑顔を呼ぶ、異世界の特製煮込みと照り焼き

市場から戻った翌朝、水瀬葵はベッドの中でぼんやりと天井を見上げていた。


昨日買い込んだ野菜や肉が、ストレージの中でひんやりと出番を待っている。


(せっかく良い食材が揃ったんだもの。マルタさんに、ちゃんとしたお礼がしたいわ)


隣のベッドで伸びをしていた琴音が、その気配に気づいて顔を覗き込んできた。


「お母さん、何か考え事?」


「ふふ、今日はマルタさんに手料理を振る舞おうと思って」


「賛成! 私も手伝う!」


琴音が飛び起きると、丸まって眠っていたフィニも目をこすりながら起き上がる。


『なになに、なにするのー?』


「フィニも一緒に、マルタさんに料理を作ってあげるんだって」


琴音が伝えると、フィニは羽をぱたぱたと震わせて嬉しそうな声を上げた。


身支度を整えた三人は、朝食もそこそこに一階へと降りていった。


鍋の中身を思い浮かべながら、葵は木漏れ日亭の階段を降りていく。


「マルタさん、少しお願いがあるんですけど」


朝の片付けをしていたマルタが、たすき掛けの手を止めて振り返る。


「なんだい、改まって」


「今日、厨房を少し貸していただけませんか? いつもお世話になっているお礼に、何か作りたくて」


マルタは目を丸くしたあと、豪快に笑い声を上げた。


「あんたたちがそんな気を遣わなくたっていいのに。……でもまあ、楽しみにしとくよ。好きに使いな」


「ありがとうございます! 期待していてくださいね」


「ほう、そこまで言うなら余計に楽しみだよ」


からかうように片目をつむるマルタに、葵は苦笑を返した。


隣で琴音も嬉しそうに頷き、フードの中のフィニもぱたぱたと羽を震わせた。





昼を過ぎ、客足が落ち着いた頃合いを見計らって、葵と琴音は厨房に立った。


初めて足を踏み入れる木漏れ日亭の厨房は、使い込まれた鍋や道具が壁いっぱいに並び、煤で黒ずんだ天井からは香辛料の匂いがほのかに漂っていた。


前世のシステムキッチンとはまるで違う、素朴で無骨な造りに、葵は不思議な懐かしさを覚える。


木製の調理台には、市場で選び抜いた紫の野菜や根菜、艶の良い肉が並んでいる。


「よし、今日は野菜たっぷりの和風煮込みと、お肉は照り焼きにしましょうか」


「わあ、照り焼き! お母さんの照り焼き、大好き」


「じゃあ張り切って作らなくちゃね」


「煮込みは、私たちの晩ごはんの分も一緒に作っちゃいましょう」


「うん! そしたらマルタさんにも、たっぷり味見してもらえるね」


マルタはいつも肉料理を勧めると豪快に喜ぶから、甘辛いたれで仕上げる照り焼きなら、きっと気に入ってくれるはずだと葵は踏んでいた。


煮込みの方は、野菜の甘みをじっくり引き出して、体の芯から温まる一品に仕上げたい。


前世で、休日の夕方によく作った照り焼きの、あの香ばしいたれの匂いが懐かしく胸をよぎる。


包丁を握ると、【食】の加護がすっと素材の状態を教えてくれた。


(この根菜は皮ごと煮込むと甘みが増す。お肉はこの厚みなら、煮込まずに香ばしく焼き上げた方が美味しくなりそう……)


前世の経験と加護の知識、両方を頼りに、葵は手際よく野菜と肉を切り分けていく。


トントンと軽快な包丁の音が厨房に響く。


丸い紫の根菜は、皮をむくとほんのり甘い香りを放ち、切り口がしっとりと艶めいている。


(この感じ、前世の里芋に似てるけど、もっと甘みが強いのね……)


見たことのない食材と向き合いながらも、包丁を握る手に迷いはなかった。


十四年間、毎日台所に立ってきた感覚が、この異世界の食材にもちゃんと馴染んでいく。


「私も手伝う!」


琴音が張り切って野菜を鍋に運び入れると、フードの中からフィニもひょっこり顔を出した。


『あたちも、おてつだいするー!』


「フィニも手伝ってくれるって」


琴音が伝えると、葵は微笑みながら小さな木のスプーンをフィニに手渡した。


「琴音は、こっちの根菜をお願いできる?」


「うん、任せて」


小さめの包丁を受け取った琴音は、まだ少しぎこちない手つきで根菜の皮をむき始めた。


危なっかしい場面もあったが、葵がそっと手を添えて教えると、すぐにコツをつかんで一口大に切り揃えていく。


(覚えが早いのね……)


その様子を横目に見ながら、葵はふっと目を細めた。


「じゃあお願い、味見係よ。塩加減、教えてくれる?」


『まかせてー!』


大きめの鍋に水を張り、切り分けた野菜を入れて火にかける。


ぐつぐつと煮立ち始めたところで、葵はストレージからいつもの調味料瓶を取り出した。


「ここからが本番ね」


神様からもらったこの調味料は、どれだけ使ってもストレージの中で尽きることがない。


前世では、調味料の減り具合を気にしながら量を加減していたけれど、ここではその心配が要らなかった。


そのことに気づくたび、葵はまだ少し不思議な気持ちになる。


まず和風だしをたっぷりと注ぎ入れ、次に無限醤油をまわし入れる。


野菜がしっかり煮えるまでじっくり火を入れるぶん、味がぼやけないように砂糖とみりんも加え、根菜にもしっかり染み込む濃さに仕立てていく。


いくつもの調味料が煮汁の中で溶け合い、とろみを増した琥珀色の液体が鍋いっぱいに広がっていくと、厨房中に出汁と醤油の香ばしい匂いが立ち込めた。


「わあ……いい匂い……」


琴音が鼻をひくつかせながら、うっとりと目を細める。


フードの中で大人しくしていたフィニも、たまらない様子で頭をひょっこりと出した。


『なにこれ、なにこれ、すっごくいいにおいがする……!』


鍋の縁からもうもうと立ちのぼる湯気に誘われて、フィニがふらふらと鍋の方へ近づいていった。


『ちょっとだけ……味見……』


小さな体を鍋の縁に乗り出したフィニが、そのまま滑って湯気の中にすとんと落ちそうになる。


「フィニ、危ない!」


琴音がとっさに手を伸ばして抱きとめると、フィニは湯気で少し湿った髪をぺたりと額に貼りつかせたまま、きょとんとした顔をしていた。


『あぶなかったぁ……』


「もう、味見はお皿に取ってからにしましょうね」


葵が苦笑しながら小皿に煮込みを少しよそうと、フィニは今度こそ大人しくスプーンで口に運んだ。


『……おいしい! すっごくおいしい!』


湯気で湿った髪をそのままに、頬いっぱいに幸せそうな笑みを浮かべるフィニに、琴音がくすくすと笑いをこぼす。


「フィニったら、味見のはずが本気で食べてる」


『だっておいしいんだもん……!』


「フィニのお墨付きが出たわ」


琴音がそう伝えると、葵は安堵したように息をついた。


弱火にかけ、鍋を煮込んでいる間に、葵は隣のフライパンで照り焼きに取りかかった。


下味をつけた肉を皮目からじっくりと焼き付け、表面に美しい焼き色がついたところで、無限醤油とみりん、砂糖を合わせたたれを回しかける。


じゅわっと香ばしい音とともに、甘辛い匂いが立ちのぼった。


「わあ、こっちもいい匂い……!」


琴音が声を弾ませながら鍋の様子も見てくれる間に、葵は手早く肉を焼き上げていく。


「フィニ、味見してくれる?」


『まかせてー!』


小皿に取り分けた照り焼きをフィニに味見してもらうと、たちまち目を輝かせた。


『これもおいしい……! さっきのとちがうけど、おいしい……!』


「フィニも大満足みたい」


琴音が伝えると、葵はほっと頬を緩めた。


焼き上がった肉を一口大に切り分けて皿に並べる頃には、鍋の根菜もほろりと崩れる柔らかさになり、出汁をたっぷり吸い込んで飴色に染まっていた。


「そろそろいいかしら」


味見をした葵は、深く頷いた。


出汁の旨みと醤油のコクが野菜の甘みと溶け合い、前世の記憶にある味とはまた違う、この世界の食材ならではの豊かな味わいに仕上がっている。


たれの照りが橙色の光を弾く照り焼きと、湯気の立つ煮込み。


どちらも出来立てのまま、二品同時に仕上がった。


「よし、温かいうちに持っていきましょう」





客足がまだ落ち着いている午後のうちに、葵は湯気の立つ大鍋と、艶やかな照り焼き肉の皿を両手に抱えて食堂へ運んだ。


「マルタさん、できました」


「おお、待ってたよ!」


マルタはまず煮込みを器によそってひと口食べると、目を大きく見開いた。


「……これは、うまい! なんだいこの深み、初めての味なのに、なんだかほっとするねぇ」


続けて照り焼き肉に箸を伸ばし、ひと切れ頬張った瞬間、今度は唸り声を上げた。


「んん~っ! このタレ、甘辛くて箸が止まらないよ!」


「野菜たっぷりの和風煮込みと、特製の照り焼き肉です。お口に合ってよかった」


「合うも何も、どっちも癖になる味だよ、これは!」


マルタは器を覗き込みながら、不思議そうに首をかしげた。


「それにしても葵ちゃん、こんな料理どこで覚えたんだい? 田舎町の出身にしちゃ、腕が良すぎるよ」


「え、えっと……昔、家でよく作っていたので」


とっさに答えながら、葵は前世で家族の食卓を任されていた日々を思い出す。


まさか十四年分の主婦経験とは言えず、曖昧に微笑んでごまかすしかなかった。


「へえぇ、謙遜しなくたっていいのに。とにかく、また作っておくれよ」


マルタが豪快に笑い飛ばしてくれたおかげで、それ以上詮索されずに済んだ。


その様子を見ていた常連客の一人が、興味津々で近づいてくる。


「女将さん、そりゃなんだい? ずいぶんうまそうな匂いだな」


「あら、ちょっとだけなら味見するかい?」


マルタが気前よく煮込みを小皿に取り分けてやると、その常連客は一口食べて目を丸くした。


「うおっ、なんだこりゃ……! 野菜がこんなに甘くなるもんなのか……」


「こっちの肉も、いい匂いっすね」


常連客が皿を覗き込むと、葵はくすりと笑った。


「お肉の方はすぐ焼けるので、良かったら少し作りましょうか?」


「お、いいのかい!」


フライパンで手早く焼き上げた照り焼きを差し出すと、彼はひと口食べて唸り声を上げた。


「こいつは……! 甘辛いタレが染みてて箸が止まらん……!」


近くにいたもう一人の女性客も、味見のおすそ分けにあずかって、うっとりと目を細めていた。


「体の中からぽかぽかしてくる味だねぇ。作り方、今度教えてほしいくらいだよ」


「良かったら、今度一緒に作りましょうか」


葵が微笑みながら答えると、女性客は驚いたように目を丸くしたあと、嬉しそうに頷いた。


マルタと常連客たちの笑顔を見つめながら、葵は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。


「お母さん、みんな喜んでくれてるね」


隣に立つ琴音が、嬉しそうに袖を引く。


「ええ、本当に」


フードの中からも、満足げな「えへへ」という声が漏れ聞こえてきた。


前世では、仕事から帰った家族が黙々と箸を進めるのを、台所の隅で見ていることが多かった。


美味しいとひと言もらえるだけで嬉しかったのに、その余裕すらない日もざらにあった。


けれど今は、湯気の向こうに広がる笑顔を、こんなにもまっすぐ受け取ることができる。


(誰かを笑顔にできるって、こんなに満たされることだったのね……)


空になっていく鍋を眺めながら、葵はそっと目を細めた。


ひと通り配り終えた頃、マルタが小さな器を三つ、そっと差し出してくれた。


「作った本人たちが食べてないんじゃ話にならないだろう。ほら、座って食べな」


「ありがとうございます」


三人はカウンターの隅に並んで腰掛け、まだほんのり温かい煮込みと照り焼き肉に箸をつけた。


「んー、やっぱり美味しい!」


琴音がふにゃりと頬を緩ませ、フードの中のフィニも小さなスプーンを両手で握りしめて夢中で口に運んでいる。


『あたちがたべたやつと、おんなじあじ……!』


「フィニも、味見のときと変わらないって」


琴音が伝えると、葵はくすりと笑った。


「当然よ、同じお鍋から取り分けたんだもの」


小さな家族三人分の器が、温かい湯気を立てながら少しずつ空になっていく。


「ねえお母さん、また今度も何か作ってあげようよ」


「そうね。今度は何を作ろうかしら」


「フィニ、次は甘いのがいいなぁ……」


『あたちも、あまいのすきー!』


琴音が伝えるまでもなく、フィニの声色だけでその気持ちは十分に伝わってきて、葵は思わず笑い声をこぼした。


窓の外はまだ夕暮れ前の明るさが残り、通りには行き交う人々の声が聞こえている。


それでも食堂の中は、鍋から立ちのぼる湯気のように、温かい空気に満ちていた。


そのあともしばらくの間、食堂には温かい湯気とにぎやかな笑い声が絶えなかった。



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