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【連載版】神様に願ったのは衣食住  作者: あずきまんま


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第8話:精霊の恩返しと、初めての買い出し

鳥のさえずりと、窓から差し込む柔らかな朝日。


水瀬葵は、ゆっくりと瞼を開けた。


隣のベッドでは、琴音がまだ規則正しい寝息を立てている。


その足元、丸めた上着の上でくるんと丸まって眠っているのは、昨夜すっかり懐いてしまった小さな精霊――フィニだった。


(ふふ、二人ともよく眠ってる……)


葵は口元をほころばせながら、そっと体を起こした。


昨日は精霊との出会いから始まって、名付けに、初めての納品と報酬まで、盛りだくさんの一日だった。


窓の外を見やると、グランベルの街並みが朝日にきらきらと照らされている。


「んん……お母さん……?」


物音に気づいたのか、琴音がもぞもぞと体を起こした。


「おはよう、琴音。よく眠れた?」


「うん……なんか、すごく良い夢見た気がする」


伸びをしながら答える琴音の声は、まだ半分眠りの中にあるようで、その呑気な響きに葵は思わず頬を緩めた。


寝ぼけ眼をこすりながら答える琴音の隣で、フィニもぱちりと目を覚ました。


『おはよぉ……。あたち、ここで寝てたの……?』


小さな体を伸ばし、羽をぱたぱたと震わせて眠気を払っている。


「ふふ、おはようフィニ。ちゃんと眠れた?」


琴音が指先でそっとフィニの頭を撫でると、フィニは気持ちよさそうに目を細めた。



身支度を整え、三人で一階の食堂へ降りていく。


「おはよう、二人とも! よく眠れたかい?」


いつも通り元気なマルタの声が飛んでくる。


「おはようございます、マルタさん」


葵が挨拶を返した、その時だった。


琴音のフードの中から、フィニがひょこりと顔を出してしまう。


『わあ、いいにおい……!』


「んん……?」


マルタが目を丸くして、まじまじとフィニを見つめた。


「な、なんだいそりゃあ……! 精霊じゃないか……!」


「あ、あの、実は――」


葵は少し慌てながら、昨日森でトゲに絡まっていた精霊を助けたこと、そのまま懐いてついてきたこと、「フィニ」と名付けたことを順を追って説明した。


マルタはしばらく口を開けたまま固まっていたが、やがて破顔した。


「へえぇ……! 精霊に好かれるとは、大したもんだねぇ。精霊ってのは、根が良い人間にしか懐かないもんさ。あんたたちが良い人だって、この子が証明してくれてるようなもんだよ」


豪快に笑いながら、マルタはフィニに向かって太い指をひょいと差し出した。


『……つんつん、していい?』


フィニが不思議そうに首をかしげ、マルタの指先をおそるおそる小さな手でつつく。


マルタが「くすぐったいねぇ」と相好を崩すと、フィニも安心したように羽をぱたぱたとはためかせた。


「よし、精霊様に免じて朝ごはんは特別サービスだ! ほら、これも食べな」


そう言って、マルタが食卓にドン、と置いたのは、フィニの体よりも大きな一切れの果物だった。


『……おおきい……!』


目を丸くするフィニに、葵と琴音は思わず顔を見合わせて笑ってしまう。


「ふふ、少しずつ食べようね、フィニ」


琴音がナイフで果物を小さく切り分けてやると、フィニは大喜びで両手いっぱいに抱えて頬張った。


「はぁ……それにしても、精霊様と一緒に暮らすなんてねぇ」


マルタは感心したように腕を組み、興味津々といった様子でフィニを覗き込んだ。


「精霊ってのは、普段何を食べてるんだい? やっぱり花の蜜とか、そういう上品なもんかね」


「あ……えっと、どうなんでしょう」


葵が答えに困っていると、頬いっぱいに果物を頬張っていたフィニが、次の瞬間、目をきらきらと輝かせた。


『これ、すきー! もっとちょうだい!』


その様子を見た琴音が、思わず吹き出す。


「マルタさん、フィニは花の蜜より、甘い果物の方が好きみたいですよ」


「なんだい、案外庶民的な精霊様だねぇ!」


マルタが豪快に笑い声を上げると、つられてフィニもぱたぱたと羽を震わせて上機嫌に笑った。


賑やかな朝食の時間は、いつもよりずっと温かい笑い声に包まれていた。





朝食を終え、葵は昨日受け取った報酬の革袋を手のひらの上でそっと転がした。


(銅貨八枚と、神様がくれた最初の路銀……。無駄遣いはできないけど、生活に必要なものは少しずつ揃えていかなくちゃ)


「琴音、今日は市場に買い出しに行きましょうか。お鍋とか、日用品とか、必要なものがまだ色々あるし」


「わあ、買い出し! 楽しみ!」


琴音がぱっと目を輝かせる。


『あたちも行くー!』


フードから飛び出そうとするフィニを、葵は慌てて押しとどめた。


「フィニ、街の中はまだ人目があるから、フードの中に隠れていてくれる? ちゃんと一緒に連れて行くから」


『はーい……』


しょんぼりしながらも、フィニは素直にフードの奥へと潜り込んだ。


その従順さがなんとも可愛らしく、葵と琴音はまた顔を見合わせて笑った。





市場は今日も活気に満ちていた。


色とりどりの野菜が積まれた露店、威勢の良い呼び込みの声、香辛料の混ざったスパイシーな匂い。


行き交う人々の合間を、荷車を引く商人や、買い物かごを抱えた主婦たちが忙しなく通り過ぎていく。


前世のスーパーとはまるで違う、剥き出しの活気と生命力に満ちた光景に、葵は思わず目を細めた。


「わあ……見たことない野菜がいっぱい……!」


琴音が目を輝かせながら、露店の前を歩いていく。


紫色の丸い野菜や、見慣れない形の果物が所狭しと並んでいた。


葵が一つ手に取ると、頭の中に【食】の加護がすっと直感を送り込んでくる。


(安全。癖のない甘みがあって、煮込み料理に向いている……)


「これは良さそうね」


葵が籠に入れようとしたところで、フードの中からフィニがもぞもぞと動いた。


『ねえねえ、こっちのやつ、もっと美味しいよ!』


小さな声で囁くフィニに気づいたのは、隣にいた琴音だった。


「お母さん、フィニが、こっちの方が美味しいって」


琴音が指差した先には、少し離れた露店に並ぶ、同じ種類だけれど心なしか艶やかな野菜があった。


「あら、本当? 見比べてみましょうか」


葵が手に取って確かめると、確かにこちらの方がずっしりと重みがあり、鮮度も良さそうだ。


「フィニ、すごいじゃない。ありがとう」


『えへへ……』


フードの中で照れたような気配が伝わってくる。


「フィニって、匂いだけで美味しいものが分かるの?」


琴音が尋ねると、フードの中からくすぐったそうな声が返ってきた。


『んー……なんとなく、風に乗ってくるにおいで分かるの! 元気なにおいと、そうじゃないにおいって、ぜんぜん違うんだよ』


「元気なにおい……」


琴音がその言葉をそのまま葵に伝えると、葵は感心したように頷いた。


「なるほどね……。フィニの感覚は、私の【食】の加護ともまた違う視点なのね。二人で協力すれば、もう食材選びで失敗することはなさそうだわ」


そんな会話をしながら、三人は次々と露店を巡っていく。


(琴音を通してだけれど……フィニのおかげで、また一つ良い買い物ができたわ)


葵は心の中でそっと感謝しながら、籠に野菜を詰めていった。


その時、隣の露店から漂ってきた甘い香りに、フードの中のフィニがぴくりと反応した。


『あっ、あれ、すっごくいい匂い……!』


興奮のあまり、フィニの小さな手がフードの縁からひょこっと飛び出してしまう。


「フィニ、危ないってば……!」


琴音が慌ててフードを押さえ、周囲をきょろきょろと見回した。


幸い、近くの人々は忙しなく行き交うばかりで、誰も気づいた様子はない。


「ふぅ……セーフ」


胸を撫で下ろす琴音の横で、葵も冷や汗を拭う仕草をしてみせる。


「フィニ、気持ちは分かるけど、もう少し我慢よ?」


『うぅ……ごめんなさい……』


しょんぼりと肩を落とす気配に、二人は思わず顔を見合わせて小さく笑った。





次に立ち寄ったのは、肉屋の露店だった。


大きな塊肉がずらりと吊るされ、香ばしい香りが漂っている。


「お客さん、今日のはいい肉が入ってるよ!」


威勢のいい店主の声に、葵は真剣な表情で肉を見比べた。


【食】の加護が、それぞれの部位の脂の乗り具合や、向いている調理法を次々と教えてくれる。


(この赤身は煮込みに、こっちの脂の多い部分は焼き物にぴったりね……)


主婦としての目利きと、加護からの直感。


二つが合わさると、鬼に金棒だった。


そこへまた、フードの中がもぞりと動く。


『あっちの、もっとつやつやしてるよ!』


「フィニがまた何か言ってる」


琴音がくすくす笑いながら耳を澄ませ、葵に伝える。


「あっちの肉の方が艶があるみたい」


「あら、本当だわ。フィニ、良い目利きね」


店主に案内してもらうと、確かに一段と質の良さそうな肉が並んでいた。


こうして、主婦の知恵と精霊の直感、そして加護の力を総動員した結果、籠の中はあっという間に良質な食材でいっぱいになっていった。


「今日はずいぶん良い買い物ができたね、お母さん」


「ええ、本当に。フィニのおかげよ」


琴音が声をかけると、フードの中から満足げな「えへへ」という声が漏れ聞こえてくる。





最後に立ち寄ったのは、雑貨を扱う小さな露店だった。


木製の食器や、煮炊きに使えそうな鍋、麻布で編まれた買い物袋などが所狭しと並んでいる。


「これくらいの大きさの鍋があると便利そうね」


葵は手頃な大きさの片手鍋を手に取り、裏返して底の厚みを確かめた。


長年の主婦経験がにじみ出るその手つきに、店主のおじさんが感心したように目を細める。


「お客さん、良い目してるね。それ、火の通りが均一でいい品だよ」


「ありがとうございます。……これと、木のスプーンを三本いただけますか?」


葵はフードの中のフィニをちらりと見やりながら、そう告げた。


「はいよ、まいどあり!」


店主は特に気にする様子もなく、手早く鍋とスプーンを包んでくれた。


支払いを終え、ずっしりと重みの増した荷物を抱え直しながら、葵は小さく息をついた。


前世では、百円ショップの安売りコーナーを何往復もして、少しでも安い道具を探し回ったものだった。


今はこうして、必要なものを必要なだけ、迷わず選べる。


その小さな余裕が、今の葵にはたまらなく嬉しかった。


(今日だけで、随分と道具が揃ったわね……。これでやっと、ちゃんとしたお料理ができそう)


最後に、煮炊きに使えそうな鍋一式を買い足し、三人(と一匹)は満足げな足取りで市場を後にした。



木漏れ日亭への帰り道、夕方に近づいた空はやわらかな橙色に染まり始めていた。


石畳を踏みしめる足音と、荷物の中でカタカタと揺れる鍋の音が、なんとも心地よいリズムを刻んでいる。


道端の屋台からは夕餉の支度を始める煙が立ちのぼり、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。


両手いっぱいの荷物を抱えながら、葵はふと隣を歩く琴音に目を向けた。


「今日はフィニのおかげで、すごく助かったわね」


「うん! フィニ、市場でも大活躍だったね」


フードの中から、フィニがひょっこりと顔を覗かせる。


『えへへ、あたち、お役に立てた……?』


その問いかけを、琴音がすぐさま拾い上げた。


「フィニ、役に立ったかって聞いてるよ」


「もちろんよ。フィニがいてくれて、本当に良かった」


葵が優しく微笑みかけると、フィニは嬉しそうに小さな体を震わせた。


(言葉はまだ全部は分からないけれど……この子の気持ちは、ちゃんと伝わってくる気がするわ)


重い荷物も、今日ばかりは不思議と軽く感じられた。


木漏れ日亭の看板が見えてくると、琴音が思い出したように口を開いた。


「ねえお母さん、こんなに良い食材が集まったんだし、今度マルタさんにも何か作ってあげたいね」


「あら、良い考えね。マルタさんにはお世話になりっぱなしだもの」


「うんうん!」


『あたちも、おてつだいする……!』


フードの中から意気込むような声が聞こえ、琴音がくすりと笑う。


「フィニも手伝ってくれるって」


「ふふ、頼もしいこと。楽しみにしていてね」


葵がそう答えると、フードの中で満足げな気配が揺れた。


これから始まる、新しい調味料と食材を使った料理のことを考えると、葵の胸は自然と弾んでいく。


前世では、家計簿とにらめっこしながらの節約料理ばかりだった。


けれどここには、無限の調味料と、見たこともない新鮮な食材、そして何より、それを美味しいと言って喜んでくれる人たちがいる。


(誰かのために料理を作れるって、こんなに幸せなことだったのね……)


過酷なはずの異世界での暮らしが、また一つ、温かな色に染まっていくのを感じながら、三人は賑やかな夕暮れの道を歩いていった。



お読みいただきありがとうございました!


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