第10話:新たな依頼と、森のガイドさん
木漏れ日亭でのマルタとの温かい食事からしばらく経った、よく晴れた朝のことだった。
冒険者ギルドの扉を開けると、いつもの喧騒が耳に飛び込んできた。
依頼を求める冒険者たちの声、鎧のこすれる音、受付カウンターに並ぶ列。
初めて訪れたときは気圧されるばかりだったこの空気にも、今ではすっかり馴染みを感じるようになっていた。
すれ違う顔見知りの冒険者から「おう、今日も頑張ってるな」と声をかけられ、琴音が嬉しそうに手を振り返す。
葵は琴音と並んでカウンターへ向かい、採集してきたヒールグラスの束を差し出す。
「お待たせしました。今日の納品分です」
受付の眼鏡の男性職員が、丁寧に品質を確かめながら頷いた。
「相変わらず状態が良いですね。……そうだ、お二人にちょうど良い依頼があるんですが」
「私たちに、ですか?」
「ええ。最近の納品実績を見て、少し上のランクの依頼もお任せできると思いまして」
職員は書類をめくりながら、感心したように続けた。
「お二人の採集物は、いつも状態が抜群にいいんですよ。傷んでいたり、時期を逃していたりすることがほとんどない。だからこそ、こういった少し難しい依頼も安心してお願いできるんです」
思いがけない評価に、葵は少し照れくさくなって頬を緩めた。
初めての採集依頼で、生い茂る雑草の中からヒールグラスを見分けられず冷や汗をかいたのが、もうずいぶん昔のことのように感じられる。
あの頃を思うと、今の自分たちの成長がなんだか誇らしかった。
差し出された依頼書には、「月光草・森の果実採集」と書かれている。
「月光草は薬の材料として需要が高くて、報酬も普通の採集より上乗せされています。森の果実も、季節ものなので今が狙い目ですよ」
「少し奥まった場所に生えている草花なので、慎重に進んでくださいね」
職員が地図を広げながら、群生地のおおよその位置を指し示してくれた。
「報酬の方も、ヒールグラス採集の三倍近くになりますよ」
その言葉に、隣で琴音が小さく息を呑む。
「やってみます」
琴音が即答すると、葵も頷いて依頼書にサインをした。
フードの中で大人しくしていたフィニも、期待に満ちた様子で小さく身じろぎした。
『森の奥、フィニに任せて!』
小さな声での意気込みに、琴音がくすりと笑いをこぼす。
◇
翌朝、いつもより早起きした三人は、朝の澄んだ空気の中を歩いて森の入り口に立っていた。
出発前にお弁当まで準備できたおかげで、余裕を持って森へ向かうことができた。
木々の隙間から差し込む光が、地面にまだら模様を描いている。
鳥のさえずりと葉擦れの音に混じって、どこからか清らかな水の流れる音が聞こえてきた。
いつもの薬草採集エリアより少し奥まった場所らしく、木々の背もひときわ高く感じられる。
「フィニ、案内お願いできる?」
『まかせて! フィニ、この森くわしいもん!』
フィニが得意げに胸を張ると、琴音がくすくす笑いながら伝えた。
「フィニ、この森は詳しいから任せてって」
「頼もしいわね」
出会ったばかりの頃は、トゲに絡まって動けなくなっていた小さな迷子の精霊だったのに、今ではすっかり頼れる案内役だ。
その成長ぶりに、葵は思わず頬を緩めた。
フィニが先頭に立って飛び、風を読みながら進んでいく。
小さな体で器用に木々の間をすり抜けていくその姿は、まるで案内役そのものだった。
時折ぴたりと動きを止めては、耳を澄ますように小さな体を傾けた。
『あっちに、ちょっと強い魔物のにおいがする……こっちから回ろう』
琴音がその都度、フィニの言葉を葵に伝える。
「フィニが、あっちは魔物がいるから避けようって」
「わかったわ。フィニの言う通りにしましょう」
フィニの案内に従って回り道をするたび、危険な気配は少しずつ遠ざかっていった。
戦う力を持たない二人にとって、フィニの存在がどれほど心強いか、葵は改めて実感する。
もしフィニがいなければ、こんなに奥まった場所まで足を踏み入れることすらできなかっただろう。
(本当に、フィニがいてくれて良かったわ……)
そんなことを考えながら歩くうち、木々の間から差し込む光が少しずつ強くなっていった。
やがて、日の光がやわらかく差し込む開けた場所に出た。
『ここ! ここにいっぱい生えてるの!』
フィニが指し示した先には、青白い光をほのかに帯びた月光草が、群生地一面に広がっていた。
木漏れ日の下でもうっすらと発光しているようなその姿は、まるで小さな星をちりばめたようだった。
辺りは静かで、遠くのせせらぎの音と鳥の声だけが響いている。
こんな美しい場所があったなんて、と葵はしばらく見とれてしまった。
「わあ……綺麗……」
琴音が思わず声を漏らす。
葵が一本手に取ると、【食】の加護がすっと状態を教えてくれた。
(新鮮で、状態もいいわね。丁寧に摘み取っていきましょう)
根元を傷めないよう、二人で手分けして月光草を摘んでいく。
ひんやりとした茎の感触と、ほのかに甘い青草の香りが、摘み取るたびに指先から伝わってきた。
フィニは二人の頭上をふわふわと飛び回りながら、時折思い出したように声をかけてくる。
『そっちのは、まだ育ちきってないやつだよ』
琴音がその都度耳を澄ませては、葵に伝えて摘み取る場所を調整する。
小さな案内役のおかげで、無駄なく効率よく作業が進んでいった。
一通り集め終えると、フィニがまた別の方向を指差した。
『こっちにも、あまい実がなってるよ!』
案内された先には、たわわに実った赤い果実の木があった。
大きさは前世で見たプラムほどで、日の光を受けて表面がつやつやと輝いている。
琴音が手を伸ばして一つもぎ取り、口に運ぶ。
「甘い……! すごく美味しい!」
『でしょでしょー!』
フィニが誇らしげに羽をぱたぱたと震わせる。
葵も一つ手に取ってみると、ひんやりとした果肉から瑞々しい甘さが口いっぱいに広がった。
「本当ね。市場で見たどの果物とも違う味わいだわ」
籠に入れる分と、味見の分を分けながら、二人は夢中で収穫を続けた。
フィニにも小さく割った一切れを渡すと、両手で抱えるようにして頬張る。
『あまい……! フィニ、この実だいすき……!』
「フィニも大好きなんだって」
琴音が伝えると、葵はくすりと笑いながらもう一つ果実をもいだ。
順調に採集が進む中、ふとフィニが低い茂みの前でぴたりと止まった。
『あ……ここ、ちょっと変なにおいがする』
琴音が緊張した面持ちで葵に伝えると、二人は思わず身を寄せ合い、慎重にその場を離れようとした。
けれど茂みからひょこりと顔を出したのは、丸々とした小さなうさぎのような魔物で、つぶらな瞳でこちらを見つめてくるだけだった。
『……あれ、ただの臆病な子だった』
フィニが拍子抜けした様子で呟き、琴音がそれを伝えると、二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
小さなうさぎ魔物は、こちらの様子を窺うように長い耳をぴくぴくと動かしたあと、茂みの奥へと跳ねて姿を消していった。
「フィニの探知、慎重すぎて可愛いところもあるのね」
「ふふ、でもそのおかげで安全に採れてるんだから、感謝だね」
『えへへ、ちゃんと役に立ってるもん』
得意げな声に、琴音がまたくすくすと笑いをこぼした。
籠いっぱいに月光草と果実を集め終える頃には、すっかりお腹が空いていた。
「これだけあれば、依頼の分は十分足りそうね」
「うん! フィニのおかげで、あっという間だったね」
琴音が籠を覗き込みながら、満足そうに息をついた。
◇
木漏れ日の差す倒木に腰掛け、三人は昼食の準備を始めた。
籠いっぱいの月光草と果実を横に置き、葵はストレージから包みを取り出す。
朝早く、まだ二人が眠っている間に握っておいたおにぎりと、昨日の照り焼きを刻んで入れ込んだおかずだった。
出発前の慌ただしい時間の中でも、こうして手を動かしていると、前世で毎朝お弁当を作っていた頃の感覚がふっと蘇ってくる。
「今日はおにぎりにしてみたの。中に照り焼きを刻んで入れてあるのよ」
「わあ、美味しそう!」
頬張った琴音が、噛むごとに広がる甘辛い味に目を細める。
ほんのり塩気の効いたご飯の中から、甘辛いたれの染みた照り焼きが顔を出し、噛むたびに二つの味が絶妙に絡み合う。
「うん、すっごく美味しい!」
フィニにも小さくちぎって渡すと、両手で大事そうに抱えて頬張った。
『おいしい……! おにぎり、はじめて食べた……!』
「フィニも気に入ってくれたって」
琴音が伝えると、葵は嬉しそうに目を細めた。
木漏れ日が揺れる中、三人でおにぎりを頬張るひとときは、何気ないけれどかけがえのない時間だった。
(こうして誰かと一緒にご飯を食べるのって、本当に幸せなことよね……)
そんなことを考えていると、ふと前世の記憶が胸をよぎった。
仕事に追われ、一人でコンビニのおにぎりを立ったまま頬張っていた、あの慌ただしい日々。
「ねえ琴音、いつか二人でお店を持てたら素敵よね」
ぽつりと漏らした言葉に、琴音が目を輝かせて振り向いた。
「唐突だね!、でも、 お母さんのご飯を、色んな人に食べてもらえるお店、いいね!」
「本当に、そんな日が来たらいいのだけれど」
「絶対来るよ! だって、木漏れ日亭のみんなも、市場のおばさんも、お母さんのご飯を食べるとすごく嬉しそうな顔するもん」
琴音の真っ直ぐな言葉に、葵は胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。
『フィニも、そのお店でお手伝いする……!』
琴音が伝えるまでもなく、フィニの弾んだ声色から気持ちは十分に伝わってきて、葵は思わず笑みをこぼした。
「ふふ、そうね。いつか、みんなでそんな場所が持てたらいいわね」
まだ形のない小さな夢だけれど、口に出してみると、不思議と心が軽くなった気がした。
木々の間から差し込む光が、三人の周りをやさしく照らしている。
前世では、夢を語り合う余裕すらなく、ただ日々をこなすだけで精一杯だった。
明日の献立と、月末の支払いのことばかり考えていた、あの頃の自分。
けれど今は、こうして隣にいる娘と、他愛のない夢を語り合える。
それだけで、胸がいっぱいになるくらい幸せなことだと、葵は改めて思う。
籠いっぱいの月光草と果実、そして満たされたお腹を抱えながら、三人は帰り道をゆっくりと歩き始めた。
木漏れ日の中を進む足取りは、来たときよりもずっと軽やかだった。
木々の隙間から見える空は、いつの間にか高く澄み渡っている。
『ギルドに戻ったら、またいっぱい褒めてもらえるかな……!』
得意げなフィニの声を、琴音が笑いながら伝える。
「フィニのおかげだって、ちゃんと伝えなくちゃね」
「うん、今日は本当に助けられたわ」
森の入り口が見えてくる頃には、三人の足取りはすっかり弾んでいた。
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