第11話:積み重ねた信頼と、珍しい調理ハーブ
月光草と森の果実の納品を終えて数日、雨上がりのすがすがしい朝を迎えていた。
「今日も張り切って納品してくるわね」
「うん!」
出発前の身支度を済ませながら、琴音が元気よく答える。
フードの中のフィニも、準備万端とばかりに小さく身を乗り出した。
木漏れ日亭を出て、水たまりを避けながら通りを歩き、いつものようにギルドへ向かう。
「お待たせしました。今日の分です」
差し出した薬草の束を確認しながら、眼鏡の男性職員が感心したように頷く。
「お二人の納品物は、本当にいつも状態が美しいですね。実は先日、街の調薬師組合からも評判を伺ったんですよ」
「調薬師組合、ですか?」
「ええ。『あの姉妹が持ってくる薬草は、加工のしやすさが段違いだ』と、名指しで話題になっていました」
思いがけない話に、葵と琴音は顔を見合わせた。
「私たち、そんな風に見てもらえてたんですね……」
琴音が照れくさそうに頬を染めながら呟く。
丁寧な仕事を積み重ねてきた自覚はあっても、それが評判になっていたとは思いもしなかった。
「そんな風に言っていただけるなんて、嬉しいです」
「それだけの信頼があるからこそ、今日はぜひお二人にお願いしたい依頼があるんです」
職員が取り出したのは、一枚の依頼書だった。
「調理用ハーブの『アロマソイル』の採集です。これは指名に近い依頼でして……初心者の方だと、なかなか見つけられない厄介な植物なんですよ」
「見つけにくい、というのは?」
「見た目が地味な上に、他の雑草に紛れて生えていることが多いんです。ただ、香りだけは独特で強いので、鼻の利く人でないと難しくて」
「へえ……そんな植物があるんですね」
琴音が興味深そうに依頼書を覗き込む。
「料理店や宿屋からの需要が高くて、香辛料代わりに重宝されているんですよ。手に入ればきっと喜ばれます」
まだ試したことのない新しい香りへの好奇心が、葵の中でふつふつと湧き上がった。
隣では、フードの中のフィニがぴくりと反応する気配がした。
「その依頼、私たちにお任せいただけますか」
葵が微笑むと、職員はほっとしたように表情を緩めた。
「助かります。実はこれまで何度か依頼に出したものの、見つからずに戻ってくることが多くて……。お二人となら、きっと大丈夫だと思ったんです」
そこまで頼りにされていることが、葵にはくすぐったくも嬉しかった。
「精一杯、頑張ってみます」
依頼書を丁寧に折りたたみながら、隣で琴音も気合いの入った表情で頷いていた。
◇
翌日、三人は森の奥へと足を運んだ。
いつもの採集エリアよりもさらに奥、木々の種類も少しずつ変わってきている。
見慣れた広葉樹の代わりに、細長い針葉樹が増え、地面には落ち葉の絨毯が広がっていた。
踏みしめるたびにふかふかと沈み込む感触が、これまでとは違う場所に来たことを教えてくれる。
「フィニ、アロマソイルって匂い、わかりそう?」
『わかるよ! すっごく特徴的なにおいだもん!』
琴音がその言葉を伝えると、葵は感心したように目を細めた。
「頼りにしてるわ、フィニ」
『まかせて! フィニの鼻に、かなうものなしだよ!』
自信満々に胸を張るフィニの様子を、琴音がくすくす笑いながら伝える。
「フィニったら、すっかりやる気満々みたい」
「頼もしい限りね」
フィニは鼻先をふんふんと動かしながら、風に乗ってくる匂いを探るように宙を旋回する。
しばらくすると、ふいに方向を変えて飛び始めた。
『こっち……こっちから、いいにおいがする!』
琴音が伝えると、二人は木々の間を縫うようにフィニのあとを追いかけた。
普段の採集よりも歩く距離が長く、途中で何度も立ち止まってはフィニが匂いを確かめ直す。
「本当に匂いだけを頼りに進んでいるのね……」
「フィニの鼻、すごいよね」
葵がそっと辺りの匂いを嗅いでみても、木の葉と土の匂いしか感じられない。
人の鼻ではとても捉えられない、繊細な違いをフィニは追っているのだろう。
『あ、今のところ、違う方向のにおいだった……』
フィニが少し戻って進路を修正すると、琴音がくすりと笑って伝えた。
「フィニも、たまには迷うことがあるんだって」
「ふふ、それでも私たちよりずっと頼りになるわ」
そんな軽口を交わしながらも、足取りは着実に群生地へと近づいていった。
やがて、フィニが一際強く反応した。
『ここ! ここからすっごくいい匂いがする!』
指し示された足元には、地味な緑色の葉を茂らせた、一見するとただの雑草にしか見えない植物が生えていた。
丈は膝の高さほどで、細長い葉がふぞろいに広がっている。
言われなければ、確かに他の草と見分けがつかなかっただろう。
葵がしゃがみ込んで葉を一枚摘み、鼻に近づけてみる。
「わっ……!」
思わず声が漏れた。
ふわりと甘く爽やかな香りが鼻腔を満たし、頭の芯まですっと澄み渡るような感覚がある。
「琴音も嗅いでみて」
差し出された葉に鼻を近づけた琴音も、目を丸くした。
「本当だ……! 見た目からは全然想像できない匂い!」
前世で慣れ親しんだ大葉に似た、清涼感のある爽やかな香りだった。
これなら和風の料理にもきっと馴染むはずだと、葵の中の主婦の勘がざわめく。
『でしょ! フィニ、遠くからでもすぐわかったもん!』
得意げなフィニの声に、琴音がくすくすと笑いをこぼす。
葵が【食】の加護で確かめると、状態も申し分ないことがわかった。
(これなら調薬師組合の方たちにも、きっと喜んでもらえるわね)
それに、これだけ良い香りのハーブなら、料理に使っても素敵な一品になりそうだ。
いつか自分たちの手料理にも取り入れてみたいと、葵の心の中で小さな期待が膨らんだ。
群生地を見つけてしまえば、あとは丁寧に摘み取っていくだけだった。
根元を傷つけないよう、一株ずつ確かめながら籠に入れていく。
ヒールグラスの採集で培った丁寧な手つきが、ここでもしっかり役に立っていた。
土に指を這わせ、根を傷めないよう慎重に引き抜くたび、爽やかな香りがふわりと立ちのぼる。
作業を進めるうち、あたり一面にアロマソイルの香りが立ち込め始めた。
「なんだか、頭がすっきりしてくる気がするわ」
「うん、私も」
深呼吸するたびに気分が晴れやかになっていくのを感じながら、二人は黙々と作業を続けた。
森の静けさと爽やかな香りに包まれながらの採集作業は、いつもとは違う心地よさがあった。
木漏れ日が葉の間からちらちらと差し込み、時折吹く風が涼やかにアロマソイルの香りを運んでくる。
ふと、フィニの様子がおかしいことに気づいたのは、籠が半分ほど埋まった頃だった。
『はっ……くしゅん……!』
小さなくしゃみをしたフィニが、鼻先をこすりながらふらふらと宙をよろける。
「フィニ、大丈夫?」
琴音が慌てて手を差し出すと、フィニはその手のひらにぽすんと座り込んだ。
『におい、ずっと嗅いでたら、なんだかくらくらしてきちゃった……』
「フィニ、匂いを嗅ぎすぎてくらくらしちゃったって」
香りに酔うなんて、まるで前世で香水売り場に長居しすぎたときのようだと、葵は思わず笑ってしまった。
「フィニ、鼻が良すぎるのも大変なのね」
フィニは恥ずかしそうに顔を伏せる。
『えへへ……ちょっと休憩する……』
琴音の手のひらの上でくったりと丸まるフィニの姿に、二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
普段は誰よりも頼りになる案内役が、こんな風に匂いに酔ってしまうなんて、なんだか微笑ましい。
しばらくフィニを休ませながら、二人だけで残りの株を集め終えた。
籠いっぱいのアロマソイルを前に、琴音が満足そうに息をついた。
「今日はフィニがいなかったら、絶対に見つけられなかったね」
「本当にね。フィニのおかげで、こんな貴重なものが採れたわ」
葵が優しく微笑みかけると、休憩を終えたフィニが元気を取り戻したように羽をぱたぱたと震わせた。
『えへへ、フィニ、お役に立てた……?』
「フィニが、お役に立てたかなって」
琴音が伝えると、葵はにっこりと微笑んだ。
「もちろんよ。今日も大活躍だったわ」
フィニは嬉しそうに小さな体を弾ませた。
帰り道、爽やかな香りを漂わせる籠を抱えながら、三人は森の道をゆっくりと歩いた。
「これでまた一つ、ギルドの人たちの役に立てるね」
「ええ。フィニと一緒だと、できることがどんどん増えていくわね」
出会ったばかりの頃は、迷子のフィニを助けるだけで精一杯だった。
けれど今では、フィニの力を借りて、自分たちだけではたどり着けない場所まで足を伸ばせるようになっている。
支え合うことで少しずつ広がっていく世界に、葵は不思議な感慨を覚えた。
「ねえお母さん、私たち、最初の頃よりずっと色々できるようになったね」
「そうね。フィニのおかげでもあるし、琴音が頑張ってきたおかげでもあるわ」
葵がしみじみと言うと、琴音は少しくすぐったそうにはにかんだ。
木漏れ日の下で笑い合う三人の間には、初めて出会った日から少しずつ積み重ねてきた、確かな信頼と絆が感じられた。
(一人じゃできないことも、こうして支え合えばちゃんと形になる。フィニと出会えて、本当に良かった……)
木々の合間から差し込む夕暮れ前の光が、道々の木の葉をきらきらと照らしている。
歩くたびに籠から漂うアロマソイルの香りが、三人の後ろにほのかな軌跡を残していくようだった。
「これを届けに行くのが楽しみね」
「うん! きっとみんな驚くよ」
フィニも肩の上でご機嫌に鼻歌のような声を漏らしながら、三人の帰り道に付き添っていた。
夕暮れ前の柔らかな光の中、香り高い収穫物を手に、三人は満ち足りた気持ちでギルドへの帰路についた。
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