第12話:木漏れ日亭の特製夕食と第1幕の結び
窓の外に広がる空は、抜けるように青く澄み渡っていた。
アロマソイルの納品を終えた日の午後、葵はふとマルタに切り出した。
「マルタさん、また少しだけ厨房をお借りできませんか? 採ってきたハーブを使って、何か作ってみたくて」
「またかい? もちろん構わないよ。今度は何を作ってくれるんだい?」
「今日はお肉料理と、汁物を」
マルタは楽しみにしている様子で頷き、厨房の使用を快く許してくれた。
思えば、この街に来たばかりの頃は、慣れない環境に戸惑うことばかりだった。
今ではこうして厨房を借りることも、街の人たちと打ち解けることも、すっかり当たり前になっている。
その変化がなんだか感慨深く、葵は小さく息をついた。
◇
客足がまだ落ち着いている午後のうちに、葵と琴音は厨房に立った。
もう何度目になるかわからないこの厨房も、すっかり勝手知ったる場所になっている。
調理台には、丁寧に刻んだ玉ねぎと、市場で選んだ挽き肉、そしてアロマソイルの葉が並んでいる。
窓から差し込む午後の光が、湯気の向こうでやわらかく揺れていた。
「今日はハンバーグにしましょう。あとは、具だくさんのお味噌汁も作りたいわ」
「わあ、ハンバーグ! 楽しみ!」
まず玉ねぎをじっくり炒めて甘みを引き出し、粗熱を取ってから挽き肉に加える。
そこへパン粉代わりに硬くなったパンを砕いたもの、卵を入れてよく捏ねた。
「玉ねぎは炒めておくと、甘みが出て肉の臭みも和らぐのよ」
前世で幾度となく繰り返した手順が、体に染み付いている。
「アロマソイルは、こう細かく刻んで混ぜ込むの」
刻んだ葉を混ぜ込むと、生地からふわりと爽やかな香りが立ちのぼった。
「わあ、いい匂い……!」
『あたちも、まぜまぜてつだうー!』
「フィニも、混ぜるの手伝いたいって」
琴音が伝えると、葵は微笑みながら小さなボウルを手渡した。
『まかせて!』
小さな手で懸命に生地をこねる真似をするフィニに、琴音がくすくすと笑いをこぼす。
しっかり捏ねた生地を小判形に成形し、真ん中を軽くくぼませてフライパンに並べる。
じゅうっという音とともに、香ばしい匂いが厨房に広がった。
「こうして真ん中をへこませておくと、中まで均一に火が通りやすいの」
両面にしっかり焼き色をつけたら、蓋をして弱火でじっくりと蒸し焼きにする。
「あとはこのまま、しばらく待つだけよ」
大根はきめ細かくすりおろし、軽く水気を切っておく。
無限醤油とみりん、少量の和風だしを合わせ、すりおろした大根を加えてひと煮立ちさせる。
とろりとした和風のたれが、焼き上がったハンバーグの上でつやつやと輝いた。
仕上げに刻んだアロマソイルの葉を少し散らすと、爽やかな香りが肉の匂いにふわりと重なる。
大根おろしをたっぷりのせた皿は、彩りも鮮やかで、我ながら上出来の仕上がりだった。
その間に、琴音は味噌汁の下ごしらえを進めていた。
「大根と人参、それにキャベツも入れましょうか」
「うん、具だくさんにしよう!」
琴音は手際よく大根と人参を薄めのいちょう切りにし、キャベツはひと口大にざく切りにしていく。
その手つきも、最初の頃に比べればずいぶん様になっていた。
和風だしをたっぷり張った鍋に、根菜を入れて火にかける。
野菜に火が通ったところで、無限味噌を溶き入れると、ふわりと懐かしい香りが立った。
「わあ、お味噌の匂い……」
琴音が目を細めながら鍋を覗き込む。
その匂いに誘われて、フィニがふらふらと鍋の方へ寄っていった。
『これ、なんのにおい……?』
顔を近づけすぎたフィニの鼻先に、ふわりと湯気がかかる。
『わぷっ……くすぐったい……!』
思わずくしゃみをしたフィニの鼻先に、味噌の香りがついたのか、しきりに小さな手でこすっている。
その様子がおかしくて、琴音は思わず吹き出してしまった。
「フィニ、味噌の匂いがお気に入りみたい」
『あたち、これすき……』
くしゃみをしながらもまだ鍋の傍を離れないフィニに、葵まで思わず笑ってしまう。
具材にしっかり火が通ったところで火を止め、彩りに刻んだ青ネギを散らすと、湯気とともに食欲をそそる香りが立ちのぼった。
仕上げに刻んだアロマソイルを少し散らすと、爽やかな香りが味噌の風味を引き立てた。
「よし、両方ともできたわ」
湯気の立つハンバーグの皿と、具だくさんの味噌汁の鍋を手に、二人は食堂へと向かった。
◇
「マルタさん、できました」
「待ってたよ!」
マルタはまず味噌汁を器によそってひと口すすると、目を大きく見開いた。
「……これは、うまい! このお味噌汁というスープ、体に染み渡るねぇ……!」
続けてハンバーグに箸を伸ばし、ひと切れ頬張った瞬間、驚いたように声を上げた。
「んん~っ! 大根おろしのたれと、このお肉、最高の組み合わせだよ!」
「お口に合ってよかったです」
葵が微笑むと、マルタは何度も頷きながら食べ進めた。
「それにしても、この爽やかな香りは何なんだい? お肉の匂いなのに、後味がすっきりしてるねぇ」
「実は、少し前に依頼で採ってきたハーブを使っているんです」
「へえぇ、あの調薬師組合が欲しがってたってやつかい。道理で良い香りがすると思ったよ」
納得したように頷くマルタに、琴音が誇らしげに笑う。
「フィニが匂いで見つけてくれたんですよ」
『えへへ……』
フードの中から漏れ聞こえた照れ笑いに、マルタは目を細めた。
「精霊様々だねぇ」
その時、食堂の扉が開き、見覚えのある眼鏡の男性が姿を見せた。
ギルドでいつもお世話になっている職員だった。
「あら、こんな時間にどうされたんですか?」
「仕事帰りに、たまにはここで食事をと思いまして。……おや、良い匂いがしますね」
マルタに勧められるまま席についた職員は、運ばれてきたハンバーグと味噌汁にすっかり舌鼓を打った。
「これは……採集の腕だけでなく、料理の腕も一流でいらっしゃる」
眼鏡を押し上げながら、職員はしみじみと味わうように箸を進めた。
「お二人がこの街に来られてから、ギルドの雰囲気も少し明るくなった気がしますよ」
思いがけない言葉に、葵は少し照れくさくなって頬を緩めた。
こんな場所で顔を合わせるとは思わず、葵と琴音は互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
食事を終えたマルタが、満足そうに息をつく。
「今日はまた一段と、体の芯まで満たされる料理だったよ。ありがとうね」
その言葉に、葵は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
空になった食器を片付けながら、琴音がぽつりと呟く。
「木漏れ日亭に来てから、ずっとこんな風にみんなで囲む食卓だったね」
「そうね。前世では、こんな風に誰かと食卓を囲むこと自体、少なくなっていたのに」
窓の外はすっかり日が落ち、通りに並んだ灯りが柔らかく揺れていた。
◇
夜、自室に戻った葵と琴音は、ふかふかのベッドに並んで横になった。
窓の外では、グランベルの街灯りが静かに瞬いている。
「お母さん」
「なあに?」
「私たち、ちゃんと異世界でやっていけてるね」
ぽつりとこぼれた言葉に、葵は隣を見やって微笑んだ。
思えば、右も左もわからないままこの世界に降り立った日から、ずいぶん遠くまで来たものだと思う。
見知らぬ土地で目を覚まし、若返った自分の姿に戸惑い、寄る辺のない不安を抱えながら歩き出したあの日。
宿を見つけ、仕事を得て、フィニという大切な家族が増え、街の人たちとの繋がりも少しずつ広がってきた。
薬草の採集も、依頼の受け方も、最初は戸惑うことばかりだったけれど、今ではすっかり日常の一部になっている。
ギルドの職員やマルタ、市場の行商人たちとの何気ないやり取りも、今では大切な日々の彩りだった。
目を閉じると、これまでの日々が次々と胸に浮かんでは消えていく。
若返った体に戸惑いながら見上げた青空、初めてくぐったグランベルの門、緊張しながら受けたギルドの適性鑑定。
草むらでSOSを聞きつけ、トゲに絡まったフィニを助けた瞬間の琴音の真剣な顔。
名付けたばかりのフィニと分け合った、森でのささやかな昼食。
数えきれないほどの採集依頼、マルタの温かい笑顔、そして今日のような賑やかな食卓。
どの記憶も、色褪せることなく胸の奥で輝いている。
「大変なことも色々あったけど、振り返ってみると、あっという間だった気がするわ」
「うん。フィニと会えたのも、マルタさんと出会えたのも、全部この街に来たからだもんね」
琴音の言葉に、葵は静かに頷いた。
「ええ、琴音。これからもっと素敵な毎日にしましょうね」
「うん……! もっと色んな依頼に挑戦したいし、フィニと一緒にまだ行ったことのない場所にも行ってみたいな」
「ふふ、楽しみが増えるわね」
「うん! お母さんと一緒なら、なんでも楽しくなる気がする」
屈託のない笑顔でそう言う琴音に、葵の胸は温かいもので満たされた。
その時、丸まって眠っていたフィニが、寝ぼけたように小さく身じろぎした。
『……んぅ、しあわせ……』
小さな寝言に、二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
窓辺から差し込む月明かりが、穏やかな三人の寝顔をやさしく照らしていた。
前世では、仕事と家事に追われる毎日の中で、明日への不安を抱えながら眠りにつくことも少なくなかった。
けれど今は、隣で娘がすやすやと眠り、足元では小さな精霊が幸せそうな寝言を漏らしている。
過酷なはずの異世界での日々は、今や葵にとってかけがえのない、大切な居場所になっていた。
言葉も文化も違うこの世界で、それでも自分たちらしく生きていける場所を、少しずつ築き上げてきた実感がある。
(これからも、この子と一緒なら、きっと大丈夫)
静かな夜の中、葵はそっと目を閉じた。
隣で寝息を立て始めた琴音の温もりを感じながら、葵もまた安らかな眠りへと落ちていく。
こうして、慣れない異世界での第一歩を、二人と一匹はしっかりと踏み出したのだった。
ここで第一章が終わりとなりました。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
次からは、第二章が始まります。
これからも、よろしくお願いいたします!
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