第13話:フィニの秘密基地と、森の宝物
休日の朝は、いつもより少しだけゆっくりと始まった。
木漏れ日亭の窓から差し込む光が、まだ眠たそうな部屋をやわらかく照らしている。
朝食を終えて一息ついていると、フードから顔を出したフィニが、そわそわと落ち着かない様子で羽を震わせ始めた。
『ねえねえ、きょうお休みなんでしょ?』
「フィニが、今日はお休みかどうか聞いてるみたい」
琴音が伝えると、葵は頷いた。
「ええ、今日は依頼もお休みにしようと思ってたの」
『やった……! あのね、あたち、見せたいところがあるの! とっておきの場所……!』
「見せたい場所があるんだって。とっておきなんだって」
琴音の言葉に、葵は思わず笑みをこぼした。
「フィニのとっておきの場所……気になるわね」
『ついてきて! すっごくいいところだから……!』
小さな体で今にも飛び立ちそうなフィニに、琴音も好奇心を隠せない様子で立ち上がった。
「行ってみましょうか。休日のお散歩にちょうどいいわね」
「うん!」
支度を整える間、葵はストレージから小さな水筒と、味見用にと焼いておいた薄焼きクッキーを取り出した。
「何が起きるかわからないもの。少しだけ持っていきましょう」
いつの間にか身についた、この世界での用心深さだった。
身支度を終えた三人は、朝の澄んだ空気の中、木漏れ日亭を後にした。
◇
木漏れ日亭を出て、フィニの案内するままに、普段は通らない小道へと足を踏み入れる。
フィニは先頭で軽やかに飛びながら、時折振り返っては二人を急かすように旋回した。
『こっちだよ、こっち……!』
見慣れた木々の合間を抜けると、次第に下草が減り、代わりに苔むした岩が点在するようになってきた。
途中、細い小川を渡るために、苔むした丸太の上をそろそろと歩く場面もあった。
「わっ……」
バランスを崩しかけた琴音の手を、葵がとっさに支える。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう。……こういうところ、慣れてきたと思ったんだけどな」
「ふふ、まだまだこの世界には慣れないことがあるものね」
そんなやり取りを交わしながらも、二人の足取りに不安はなかった。
初めてこの森に足を踏み入れた頃は、木の根に何度もつまずいていたことを思うと、それだけでも小さな成長だった。
しばらく進むと、木々の隙間から差し込む光がふいに強くなる。
「わあ……」
琴音が思わず声を漏らした。
ぽっかりと開けた空間に、木漏れ日がいくつも小さな光の粒となって降り注いでいる。
風が吹くたび、葉擦れの音と一緒に、光の粒がちらちらと揺れた。
地面には柔らかな苔が絨毯のように広がり、中央には小川が細く流れている。
鳥のさえずり以外に音はなく、時間がゆっくりと流れているような静けさがあった。
葵はしばらくその場に立ち尽くし、ゆっくりと深呼吸をした。
冷たすぎず、暖かすぎない、ちょうどいい空気が肺いっぱいに満ちていく。
(この世界に来てから驚くことばかりだったけれど、こんなに穏やかな場所に出会えるなんて……)
異世界の厳しさばかりを覚悟していた葵にとって、それは思いがけない贈り物のように感じられた。
『ここ、あたちの秘密基地……!』
「ここが、フィニの秘密基地なんだって」
琴音が伝えると、葵はゆっくりとあたりを見回した。
「本当に、素敵な場所ね……。フィニ、こんな場所をよく見つけたわね」
『えへへ、あたち、風に乗ってあちこち飛んでるから……。ここ、風の匂いがいちばん気持ちいいの』
得意げなフィニの声を、琴音がくすくす笑いながら伝える。
「風の匂いが一番気持ちいいから、お気に入りなんだって」
「なるほど、フィニならではの見つけ方ね」
しゃがみ込んで苔に触れてみると、思っていたよりもふかふかとした弾力があった。
小川に手を浸すと、きんと冷たい水が指先を心地よく刺す。
「この水、飲めるのかしら」
【食】の加護で確かめてみると、清らかで、そのまま口にしても問題のない水質だとわかった。
両手ですくって一口飲むと、癖のない、すっきりとした冷たさが喉を通り抜けていく。
「冷たくて美味しい……!」
琴音も真似をして水をすくい、目を輝かせた。
小川のほとりまで歩くと、その奥に見慣れない低木が茂っているのが目に入った。
濃い緑の葉の間から、小指の先ほどの赤い実がいくつも顔を覗かせている。
『それそれ! それも見せたかったの!』
フィニが興奮した様子で低木の周りを飛び回る。
「あの赤い実も見せたかったみたい」
「あら、これは……」
葵が実に顔を近づけると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。
熟しているものは表面がつやつやと輝き、日の光を受けてまるで宝石のようだった。
一つ手に取ってみると、思ったよりも柔らかく、指先にじんわりと果汁の気配が伝わってくる。
【食】の加護が、するりと情報を教えてくれた。
(「ミルフル」……この実の名前ね。毒はなし。それに、ビタミンが豊富……。すごく質のいい果実だわ)
「琴音、これ食べてみましょう。この実、ミルフルっていうんですって」
差し出された一粒を、琴音は少し緊張した面持ちで口に運んだ。
「んっ……! 甘い……! でも、ちょっと酸っぱさもある……木苺みたいな味!」
目を丸くする琴音の反応に、葵も一粒頬張ってみる。
弾けるような果肉から、爽やかな甘酸っぱさがじゅわりと広がった。
前世で食べたどんな果物とも違う、けれど確かに懐かしさを感じさせる味だった。
「本当だわ……。これなら、いくらでも食べられそう」
『でしょでしょー! あたちが見つけたんだよ、すごい?』
「フィニが見つけたの、すごいでしょって」
琴音が伝えると、葵はしっかりと頷いた。
「ええ、本当にすごいわ。ありがとう、フィニ」
葵は琴音を通じて、フィニにも小さな一粒を差し出した。
『あたちも食べる……!』
小さな口でぱくりと頬張ったフィニは、目をまん丸に見開いた。
『あまい……! あたち、このみ、だいすき……!』
「フィニも大好きなんだって」
琴音が伝えると、葵はくすりと笑った。
「気に入ってもらえてよかったわ」
褒められたフィニは得意げに、手にしていた実にもう一口、勢いよくかぶりついた。
はしゃぐあまり力任せに噛みしめた拍子に、果汁がぴゅっとフィニ自身の顔に飛び散る。
『わっ……あたちの顔、べたべたに……』
赤い果汁で顔じゅうを汚したフィニの姿に、琴音が思わず吹き出した。
「フィニ、顔にいっぱいついてる……! ふふっ」
『え、ええっ……! とって、とって……!』
慌てふためくフィニを、琴音が指先でそっと拭ってやる。
その様子がおかしくて、葵もこらえきれずに笑い声をあげた。
しばらく笑い合ったあと、三人は籠いっぱいに果実を摘み取ることにした。
熟したものだけを選び、そっと枝から外していく。
籠に実が増えていくたび、ほのかに甘い香りがあたりに漂った。
「私、高いところの実を採るね。お母さんは低いところをお願い」
「ええ、任せて」
役割を自然に分担しながら作業を進める二人の呼吸は、すっかり息が合っていた。
途中、汗ばんだ額を拭いながら、持ってきた水筒のお茶を回し飲みする。
『あたちも、のどかわいた……!』
小さな器に注がれたお茶を、フィニも美味しそうに舐めていた。
「こんなに素敵な場所、他の人に知られる前に来られてよかったわ」
「うん! ここ、私たちだけの場所にしたいな」
『あたちも……! ここ、みんなのとっておきにしよう……!』
「フィニも、ここをみんなのとっておきにしたいって」
琴音が伝えると、葵は柔らかく微笑んだ。
「そうしましょう。忙しい時の息抜きにも、ちょうどよさそうね」
木漏れ日が揺れる中、三人は籠いっぱいの果実を抱えて、しばらくその場に腰を下ろした。
小川のせせらぎと鳥の声だけが響く静かな時間は、慌ただしい採集の日々とはまた違う、穏やかな心地よさに満ちていた。
(こんな場所が近くにあったなんて……フィニがいなかったら、一生知らなかったでしょうね)
風が吹き抜けるたび、木の葉が擦れ合う音がやさしく響く。
「また来ましょうね、フィニ」
『うん……! いつでも案内するね!』
小さな体で胸を張るフィニに、葵と琴音は顔を見合わせて笑った。
出会った頃は、トゲに絡まって身動きも取れずにいた小さな精霊が、今ではこうして自分だけの特別な場所に案内してくれるようになった。
その成長を隣で見守れることが、葵には何よりも嬉しかった。
籠いっぱいの果実と、心に残る穏やかなひとときを土産に、三人は木漏れ日亭への帰り道をゆっくりと歩き始めた。
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