第14話:異世界のおやつタイムと、母娘の談笑
籠いっぱいのミルフルを持ち帰った翌日、依頼のない静かな午後のことだった。
昨日の疲れも残らず、むしろ心地よい余韻の中で目覚めた朝だった。
籠の中で赤くつやめくミルフルを眺めながら、葵はふと思い立って、マルタに声をかけた。
「マルタさん、少しだけ厨房を借りてもいいですか? 今日はおやつを作りたくて」
「おやつかい? もちろん構わないよ。少しの間なら好きにお使い」
マルタは快く頷き、昼食の片付けが済んだばかりの厨房を空けてくれた。
ストレージから取り出したのは、市場で仕入れておいた小麦粉と卵、それに砂糖と牛乳。
「今日は、小麦粉のパンケーキを焼きましょう。ミルフルのシロップをかけて」
「わあ、楽しみ!」
琴音が瞳を輝かせる。
◇
調理台に材料を並べ、葵はまず卵を卵黄と卵白に分けた。
「卵黄の方には、牛乳と小麦粉を混ぜていくわね」
ボウルの中で卵黄と牛乳をよく混ぜ、そこへ小麦粉を加えてなめらかになるまで混ぜ合わせる。
「こっちの卵白は、泡立て器でしっかり泡立てるの。ふわふわに膨らませるための、大事な工程よ」
「私がやってみる!」
琴音が張り切って泡立て器を手に取った。
最初は白く濁るだけだった卵白が、根気よくかき混ぜるうちに、少しずつ艶やかな泡へと変わっていく。
「手首、疲れてきた……」
「もう少しよ。角がツンと立つくらいまで」
腕を交代しながら、二人がかりで丁寧に泡立てを続けた。
その様子を、フィニがフードから顔を出して興味深そうに眺めている。
『あたちも、お手伝いする……!』
「フィニも手伝いたいって」
琴音が伝えると、葵はくすりと笑った。
「じゃあ、風で冷やしてもらおうかしら」
『まかせて……!』
フィニが小さな羽を懸命にぱたぱたと動かすと、ふわりと涼しい風がボウルの周りに巻き起こる。
けれど泡立てには特に影響もなく、卵白はフィニの起こす風にほんの少し揺れるだけだった。
「フィニ、それ、あんまり関係ないかも……」
琴音がくすくす笑いながらそう伝えると、フィニは不満げに頬を膨らませた。
『えー、涼しくて気持ちいいのに……!』
その言葉に、葵と琴音は顔を見合わせて笑ってしまった。
気を取り直した琴音が、再び泡立て器を握り直す。
「よし、頑張るぞ……!」
腕をぶんぶんと回し続けること、しばらく。
白かった卵白が、次第につのが立つほどのしっかりとした泡へと変わっていった。
「見て、お母さん! こんなに泡立った!」
得意げに掲げたボウルの中身を、葵は覗き込んで目を細めた。
「上手にできたわね。よく頑張ったわ」
しっかりとツヤのある泡になったところで、卵黄の生地に卵白の泡を少しずつ加えていく。
「泡を潰さないように、下から掬うように混ぜるのがコツよ」
ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせると、ふんわりとした生地が出来上がった。
熱したフライパンに薄く油を引き、生地を丸く落とし入れる。
「弱火でじっくり焼くの。焦らないのが美味しく焼くコツよ」
表面にふつふつと小さな泡が浮かんでくるまで、じっと待つ。
数分後、そっと裏返して蓋をすると、香ばしい甘い匂いが厨房いっぱいに広がった。
「わあ、ふっくら膨らんでる……!」
生地がこんもりと丸く膨らんでいく様子に、琴音が思わず声を弾ませる。
『いいにおい……!』
匂いに誘われたフィニが、鼻先をひくひくとさせながらフライパンに近づいていく。
その間に、琴音は摘み取ってきたミルフルを鍋に入れ、少量の砂糖と一緒に火にかけていた。
木べらでゆっくりと潰しながら煮詰めていくと、果肉がとろりと崩れ、鮮やかな赤色の果汁がじわじわと滲み出てくる。
「種は取り除いておいた方がいいわね」
葵の助言を受け、琴音は網でこしながら鍋に戻す。
一口味見をして、甘さが足りなければ砂糖を少し足す。
火にかけて数分、とろみがつくまで煮詰めたところで火を止めると、甘酸っぱい香りの赤いシロップが出来上がった。
「わあ、綺麗な色……!」
「これをたっぷりかけましょう」
こんがりと焼き上がったパンケーキを皿に重ね、その上からミルフルのシロップをとろりと回しかけた。
◇
完成したパンケーキを前に、三人はテーブルを囲んだ。
「いただきます」
一口頬張った琴音が、目を丸くする。
「ふわふわ……! それに、ミルフルの甘酸っぱさがちょうどいい!」
葵も一口食べてみると、口の中でほろりと崩れるような柔らかさと、ミルフルの爽やかな酸味が広がった。
「本当に美味しいわ。前世で作っていたホットケーキより、ずっと軽い食感ね」
『あたちも食べたい……!』
「フィニも食べたいって」
琴音が小さく切り分けた一切れを差し出すと、フィニは両手で抱えるようにして頬張った。
『おいひぃ……!』
頬いっぱいに頬張るフィニの姿に、二人は思わず笑ってしまう。
その時、厨房の方からマルタがひょいと顔を覗かせた。
「良い匂いがすると思ったら……何やら美味しそうなもの、作ってたんだね」
「マルタさんもいかがですか?」
「おや、いいのかい? じゃあ一切れだけ」
差し出された一切れを頬張ったマルタは、目を丸くした。
「ふわふわだねぇ……! こんな軽い食感、初めてだよ」
満足そうに笑うマルタの様子に、葵と琴音も嬉しくなって顔を見合わせた。
三人でパンケーキを食べ進めるうち、琴音がふと箸ならぬフォークを止めた。
「前世の学校の友達にも、これ食べさせてあげたかったな」
ぽつりとこぼれた言葉に、葵は琴音の頭にそっと手を伸ばした。
「そうね。きっとみんな、驚いて喜んでくれたと思うわ」
優しく撫でられた琴音は、少し照れくさそうにはにかみながらも、葵にそっと寄り添った。
「お母さんも、前世で誰かにご飯を食べさせてあげたいって思うこと、あった?」
ふいに尋ねられ、葵は少し考えるように視線を宙に泳がせた。
「そうね……職場の人たちに、お弁当を分けてあげたことがあったわ。喜んでもらえると、単純に嬉しくてね」
「そういうところ、今と変わらないね」
くすぐったそうに笑う琴音に、葵もつられて笑みをこぼす。
窓の外では、午後の穏やかな光が通りを照らしている。
「また今度、違う組み合わせでも作ってみましょうか」
「うん! 今度はミルフル、もっと採りに行こうね」
お腹がいっぱいになったフィニは、いつの間にか琴音の肩でうとうとと舟を漕ぎ始めていた。
『もう一枚……たべ……る……』
寝ぼけたつぶやきに、葵と琴音は顔を見合わせて、そっと笑いを噛み殺した。
甘い香りの残る厨房で、三人の穏やかな時間はゆっくりと過ぎていった。
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