第6話:草むらのSOSと、小さな精霊
「琴音、待ちなさい! 一人で離れたら危ないわ!」
葵は慌てて琴音の後を追いかけた。
見慣れない異世界の森。魔物は滅多に出ない安全なエリアと受付の男性から聞いてはいたが、親としては我が子から目を離すことなど一瞬たりともできない。
鬱蒼と茂る草むらを掻き分け、数メートルほど先へ進んだところで、琴音がぴたりと立ち止まっていた。
「琴音……! 急に走ったりしたらダメでしょ……」
「お母さん、しーっ! 静かにして……!」
琴音が真剣な顔つきで口元に人差し指を立て、草むらの一角をじっと見つめている。
葵も息を殺し、琴音の視線の先へと目を凝らした。
そこには、野薔薇のようなトゲのある細い蔓が複雑に絡み合った草むらがあった。
そのトゲトゲとした蔓の隙間で、何かが小さくもがいている。
「あ……」
葵は思わず小さな声を漏らした。
トゲに絡みついて動けなくなっていたのは、大きな昆虫でも小動物でもなかった。
大きさは、大人の手のひらにすっぽりと収まるほどの小ささ。
新緑のような鮮やかな緑色の髪に、透き通った小さな木の葉のような羽を背中にはやした、人間そっくりの可憐な少女の姿をした存在だった。
『……ひん……いたいよぉ……だれか……たすけて……』
それは、風の音や鳥のさえずりに紛れて届く、かすかで細い音だった。
(なにか声が聞こえる……? まさか……この子が喋っているの……!?)
葵が息をのんでいると、隣にいた琴音が迷うことなく膝をつき、トゲのある蔓へとそっと手を伸ばした。
「可哀想に……じっとしててね、今助けてあげるから」
「琴音、トゲで手を切らないように気をつけなさい!」
「うん、大丈夫!」
琴音は集中した眼差しで、細い指先を器用に動かし始めた。
トゲが刺さらないよう慎重に、少女の羽や髪に固く巻きついた蔓をひとつひとつ解いていく。
少女は怖がるように身体を小さく丸めていたが、琴音の手の温もりと優しさを感じ取ったのか、おとなしく身を委ねていた。
「よし……取れたよ!」
最後のひとすじの蔓が解けた瞬間、小さな少女はぱっと羽を羽ばたかせ、宙へとふわりと舞い上がった。
『た、たすかったぁ~……! 蔓に絡まって動けなくなっちゃって、どうしようかと思ったの! ありがとう、優しいお姉ちゃん!』
「うわぁ……! 本当に喋った……! すっごく可愛い……!」
琴音が目を輝かせ、宙を舞う小さな姿を追いかける。
少女は嬉しそうに琴音の周りをクルクルと舞うと、お礼を言うように琴音の鼻先にちいさな手でちょんと触れた。
その瞬間――琴音の額が、ほんのりと淡い緑色の光を放った。
「えっ……!? なんか今、頭がポカポカして……」
驚く琴音の前で、小さな少女が胸を張って無邪気に笑った。
『助けてくれたお礼に、あたちの【精霊の祝福】をあげるね! これで言葉がもっとよく分かるようになるよ! あたちは風と木の葉の精霊!』
「言葉が……もっとよく分かる……?」
琴音は自分の頭を両手でさわりながら、不思議そうに瞳を丸くした。
「すごい……! さっきまでは風の音に混ざって『遠くで誰かが小さく喋ってるのかな?』くらいにしか聞こえなかったのに……祝福をもらってからは、まるでイヤホンで直接聞いているみたいに、精霊さんの声がはっきりくっきり頭の中に届くよ……!」
それまではラジオの雑音混じりのようにかすかだった声が、クリアな高音質となってダイレクトに聞こえるようになったのだ。
(精霊さんの言葉の“解像度”が上がったってこと……!? 琴音、すごい力をもらえたのね……!)
葵がその神秘的な光景に見とれていると、小精霊は葵と琴音の様子を見て、不思議そうに首をかしげた。
『ふたりとも、ここで何をしていたの? 草むらをじーっと見つめて、困ったお顔をしてたけど……』
「あ、あのね、精霊さん! 私とお母さん、『ヒールグラス』っていう薬草を探しているんだけど……似たような雑草がいっぱい生えていて、どれが本物か分からなくって」
琴音が小精霊に向かって、自分たちが困っている理由を一生懸命に説明した。
すると、小精霊はパッと表情を明るくして、小さな胸を叩いた。
『なんだぁ、そんなこと!? ヒールグラスなら、あたちのすきな草だよ! たすけてくれたお礼に、どこに生えているか教えてあげる!』
「えっ……! 本当!? ありがとう、精霊さん!」
琴音はパッと顔を輝かせると、嬉しそうに葵の方を振り返った。
「お母さん! 精霊さんが、助けてくれたお礼に『ヒールグラス』の場所を教えてくれるって!」
「えっ……!? 本当に……!?」
葵は驚いて目を見開いた。
受付で実物を見せてもらって「完璧に覚えた」つもりだったのに、生の草むらに紛れるとどれも同じ雑草に見えて冷や汗を流していた自分。
そんな母の苦戦を救ったのは、我が子の優しさと、声がクリアに届くようになった精霊との出会いだったのだ。
「琴音……すごいわ! あなたのおかげね!」
「えへへ……! 精霊さん、案内お願いできる?」
『うん! こっちだよ、ついてきて!』
小精霊が手のひらサイズの羽をパタパタと羽ばたかせ、案内するように少し先へと飛んでいく。
二人が後を追うと、森の木漏れ日が差し込む開けた場所に辿り着いた。
そこには、他の雑草とは明らかに違う、瑞々しい光沢を持った鮮やかな緑の草が、まとまって群生していた。
根元をよく見ると、受付で見せてもらった通りの細かなギザギザ模様がくっきりと刻まれている。
(これだわ……! 間違いなく、本物のヒールグラスだわ……!)
【食】の加護(解体・調理解析)も、遅れて『安全。薬効成分を有する基本薬草』と正しい回答を葵の脳内に提示してくれた。
「よかった……! これで依頼が達成できるわね!」
葵と琴音は顔を見合わせ、心からの笑顔を弾けさせた。
『5束ぶん必要なんだよね? 茎を傷つけないように、ここから摘み取るといいよ!』
精霊の親切なアドバイスに従い、葵と琴音は丁寧に薬草を摘み取り、準備してきた紐でしっかり5束分に括り上げた。
手元に完成した、綺麗な薬草の束。
初めて二人でやり遂げた「お仕事」の成果に、葵の胸は温かな達成感でいっぱいになった。
◇
薬草をしっかり収穫し終えると、森の木々から伸びる影が少しずつ長くなり始めていた。ちょうどお昼時だ。
ぐぅぅ……。
静かな森の中に、可愛らしい音がぽんと響いた。
「あ……」
琴音が自分の腹部に手を当て、恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「ふふ、お腹が空いたわね。たくさん歩いて、たくさん頭も使ったものね」
葵は優しく微笑むと、周りの安全を確かめながら、森の少し開けた日当たりの良いスペースへと移動した。
「お母さん、ここでお昼ご飯にするの? でも、ベンチも何もないよ?」
「大丈夫よ。神様がくれた【住】の加護があるもの。ちょっと待っていてね」
葵は人目がないことを確認し、心の中で強く念じた。
(誰も怪しまないような、小さな旅人用のテントを……! 中は安全で快適なお家に……!)
ぽんっ、と心地よい音とともに、草の上にカーキ色のシンプルな一人用テントが現れた。
「さあ、琴音。中へ入りましょう」
「うんっ!」
チャックを開けて中へ足を踏み入れた。
そこは外の鬱蒼とした森とはまるで別世界。
温かな木目調のフローリング、ふかふかのソファ、清潔なキッチンを備えた、『快適なリビング』が広がっていた。
『わあああぁぁ!? なになになに!? 外は小さな幕なのに、中はお屋敷みたいになってるよぉぉ!?』
一緒についてきた小精霊が、目と口を丸くして室内を飛び回っている。
「ふふ、すごいでしょう? 神様がくれたおうちなんだよ」
琴音が誇らしげに胸を張り、ソファへ腰を下ろした。
葵はキッチンスペースへと向かうと、頭の中で『ストレージ』を起動させた。
事故の時からずっと大事に持ち歩いていたレジ袋を格納しておいたのを思い出していたのだ。
(神様が基礎調味料を補充してくれて、お肉や野菜も衛生的に保ってくれているって言っていたわね……)
ストレージから取り出したのは、事故直前にスーパーの特売で買い込んだ豚肉と、フレッシュなキャベツ、減ることのない醤油や塩こしょう、ごま油。
(木漏れ日亭のポトフも美味しかったけれど、やっぱり頑張った後は、食べ慣れた家のご飯が一番よね)
葵は手際よく包丁を握り、キャベツをザクザクと千切りにし、熱したフライパンにごま油を引いた。
豚肉を投入すると、ジューッと香ばしい音とともに、お肉の焼ける甘い脂の香りがキッチンいっぱいに立ち上る。
塩こしょうを振り、仕上げに特製の醤油ダレを回しかける。
ジュワッという激しい音とともに、香ばしい焦がし醤油の匂いが部屋中に広がった。
「うわぁぁ……っ! この匂い、お母さんの豚の生姜焼きだ……!」
ソファに座っていた琴音が、吸い寄せられるようにキッチンへと駆け寄ってきた。
「はい、お待たせ。特製豚の生姜焼きプレートよ」
お皿の上に、ふっくらと炊いた温かいご飯(ストレージに入っていた神様からの日用品セットの米)を盛り、たっぷりの千切りキャベツと、タレの絡んだ香ばしい豚肉を添える。
「いただきまーす!」
琴音は待ちきれない様子で箸を伸ばし、タレが染み込んだ豚肉をご飯と一緒に大きく頬張った。
「……ん~~~っ!! 美味しい……!! やっぱりお母さんの生姜焼きが一番美味しいよ!!」
ハフハフと息を吐きながら、琴音は幸せそうに目を細めた。
異世界に来て、緊張と不安の連続だった。
けれど、この結界で守られた温かいテントの中で食べる、お母さんの手作りご飯。
それは何よりも二人を安心させ、身体の底から力を湧き上がらせてくれるご馳走だった。
「ふふ、ゆっくり食べなさいね」
葵も琴音の向かいに座り、自分で作った生姜焼きを口へと運んだ。
香ばしい醤油の風味と豚肉の旨味が口いっぱいに広がり、思わずホッと胸を撫で下ろす。
『いい匂いぃ……! ねぇねぇ、あたちにもその美味しいの頂戴!』
テーブルの上で目をキラキラと輝かせる小精霊に、琴音がお皿から小さくちぎった豚肉と、生姜焼きの甘辛いタレを少し染み込ませた炊きたてのご飯粒、そして千切りキャベツを小鉢に取り分けて差し出した。
「はいどうぞ! 精霊さん、案内してくれたお礼だよ」
小精霊は自分の体ほどもある小さなお肉とタレのついたご飯を、両手で大事そうに抱えて口へと運んだ。
『もぐ……もぐもぐ……っ! んやぁぁぁ……っ!? なにこれぇぇ!? お肉はとっても柔らかくてジューシーだし、この甘辛いタレのご飯とお野菜が……美味しすぎるよぉぉ~っ!』
精霊は頬をあからめ、小さな羽を激しくパタパタと震わせながら大感動している。
「ふふっ、良かったね! お母さんの作る料理は、本当に世界一なんだから!」
琴音がまるで自分のことのように自慢げに胸を張る。
賑やかで、温かくて、どこまでも穏やかなお昼の時間。
見知らぬ異世界での初めての仕事。不安だらけだったけれど、我が子の成長と、自分たちの足で掴み取った小さな成果、そして温かい手作り料理。
葵は目の前で弾ける琴音の笑顔と、夢中で生姜焼きを頬張る小さな精霊を見つめながら、母親としての確かな手応えと愛おしさを、胸いっぱいに噛み締めていた。
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