第5話:初めてのお仕事探し
鳥たちの心地よいさえずりと、窓越しに差し込む柔らかな朝の光。
水瀬葵は、ゆっくりと目を開けた。
見慣れない木目調の天井。一瞬だけここがどこだか分からなくなるが、隣のベッドから聞こえる規則正しい小さな寝息に、意識が一気に覚醒する。
(あ……そうだわ。私達、異世界に来たんだ……)
体を起こすと、長年悩まされていた朝一番の腰の重さも肩こりも一切ない。
十八歳前後の健やかな身体と、ふかふかのベッド。そして何より、無事に夜を越せたという安心感が、胸いっぱいに広がっていく。
「琴音、朝よ。起きられるかしら?」
隣のベッドで丸くなっていた琴音の肩を優しく揺すると、「ん……あと五分……」と聞き慣れた寝ぼけ声が返ってきた。
前世と変わらないその愛らしい反応に、葵は思わず口元をほころばせた。
◇
顔を洗い、ストレージから出しておいた素朴な服に身を包んで一階の食堂へ降りると、女将のマルタが元気よく声をかけてくれた。
「おはよう、二人とも! よく眠れたかい?」
「おはようございます、マルタさん。おかげさまで、すごくぐっすり眠れました!」
「ふふ、それは良かった。さあ、焼き立ての丸パンと、香草入りのオムレツだよ。しっかり食べて行きな!」
テーブルに運ばれてきたのは、ほくほくの黄色いオムレツと香ばしい焼き立てパン、そして温かいスープだった。
一口食べるなり、葵の頭の中に【食】の加護が『安全。鶏卵に似た栄養豊富な卵と、血行を良くする効果のある野草』と教えてくれる。
「ん~っ! オムレツふわふわで美味しい……!」
琴音も目を輝かせてパンにオムレツを挟み込み、頬を膨らませている。
朝食を美味しく完食し、葵はマルタに深く頭を下げた。
「マルタさん、本当にごちそうさまでした。今日から早速、お仕事を探しに行こうと思います」
「おお、感心だねぇ。無理はしちゃダメだけど、何か困ったことがあったら何でも相談しなよ!」
「はい! 行ってきます!」
力強いエールを背に受け、二人は朝日が眩しく輝く異世界の街へと踏み出した。
◇
午前中の冒険者ギルドは、昨晩の狂乱のような賑やかさとは一転し、朝のピンと張り詰めた空気感が漂っていた。
荒くれ者たちの姿も少なく、早朝から依頼を受けに来た真面目そうな冒険者たちが、黙々と壁の掲示板を見上げている。
「昨日のお姉さん……いないね。よかった」
琴音が葵の服の袖をキュッと引っ張りながら、窓口の方を伺う。
昨日、大声で固有加護やストレージのことを言い散らかした女性受付嬢の姿はなく、代わりに昨晩宿を教えてくれた眼鏡の男性職員が窓口に立っていた。
(良かった……! あの親切な受付さんだわ)
葵はホッと胸を撫で下ろし、琴音の手を引いて掲示板の前へと向かった。
壁一面に貼られた無数の依頼書。
その中から、昨日教えてもらった通り『見習い用(Fランク)』と書かれた緑色の用紙を探す。
「緑色の紙……あ、これかな?」
琴音が指差したのは、街の清掃や、荷物の運搬、探していた草むしりや薬草の回収依頼だった。
『【街近郊での薬草採集】指定の基本薬草5束の納品。場所:南門から徒歩10分の東の森入口周辺。報酬:銅貨8枚』
(街のすぐ近くで、薬草を摘んでくる仕事……! 魔物が出る心配もなさそうだし、初心者にはぴったりだわ)
葵は熟考した。
街の中のお掃除も安全で魅力的だが、ゆくゆくはこの世界の植物や自然に慣れておく必要がある。
それに、南門から徒歩10分なら、何かあってもすぐに街へ逃げ込める距離だ。
「琴音、この『薬草採集』の依頼にしてみないかしら? 街のすぐ近くの森の入口みたいだし、二人で協力すれば安全にこなせると思うの」
「うん! お掃除より探検みたいで楽しそう! 私もやってみたい!」
琴音が身を乗り出して賛成してくれた。
葵は緑色の依頼書を壁から慎重に剥がすと、「受付で正式に受注の手続きをしなきゃね」と琴音に声をかけ、一番端の窓口――眼鏡の男性職員の元へ向かった。
「失礼いたします。こちらの依頼を受けたいのですが……」
葵が剥がしてきた依頼書と、二枚の仮ギルド証(木札)をカウンターに提示する。
男性職員は眼鏡の位置を正すと、木札と依頼書を手際よく台帳と照合し、確認のサインを書き込んだ。
「はい、承りました。『街近郊での薬草採集』ですね。お二人とも仮ギルド証の確認が取れましたので、正式に受注登録をいたします」
男性職員は手元で手際よく書類の手続きを済ませると、葵たちに向かって優しく微笑み、声をかけてくれた。
「南門から出てすぐの東の森周辺です。魔物は滅多に出ない安全なエリアですが、万が一ということもありますので気をつけて行ってらっしゃいませ。……あ、お二人とも採取の依頼は初めてでしょうか? 実物の確認は必要ですか?」
「あ……! 実物を見せていただけるんですか? お願いしてもよろしいでしょうか」
葵がお願いすると、男性職員はカウンターの下から、乾燥させた一束の薬草を取り出して目の前に置いてくれた。
「こちらが納品対象となる『ヒールグラス』の実物です。特徴としては、全体的に鮮やかな緑色で、葉の根元部分の茎に細かいギザギザ状の突起があります。似たような雑草もいくつか生えていますが、この茎のギザギザがあるものが本物です。根元から傷つけないように摘み取って、5本で一束にして納品してくださいね」
「なるほど……茎の根元にギザギザがあるんですね。分かりやすいです! しっかり覚えました」
実物を目の前で見せてもらい、葵は「これなら大丈夫そうね」と自信を深めて深く頷いた。
「今日の日没までに持ち帰っていただければ報酬をお渡しいたします。それでは、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「丁寧に教えていただきありがとうございました! 行ってきます!」
受領の手続きを無事に終え、受け取った依頼書と仮ギルド証をポケットに大切にしまい、二人は晴れやかな気持ちでギルドを後にした。
◇
街の南門をくぐり抜けると、どこまでも続く青々とした大自然が広がっていた。
道の脇には色とりどりの野草が咲き誇り、爽やかな風が鼻腔をくすぐる。
「南門から東へ10分だから……あっちの森の手前あたりね」
二人で手を繋ぎ、のどかな小道を歩いていく。
10分ほど歩くと、大きな木の群生が見えてきた。「東の森」の入口だ。
「よし、ここら辺でヒールグラスを探してみましょう」
葵が腰をかがめ、草むらを覗き込む。
だが――
(……えっ……? ちょっと待って……)
葵は目の前の光景に思わず固まった。
草むらには、見渡す限り一面の「緑色の草」が生い茂っている。
受付で乾燥した実物を見せてもらい「茎にギザギザがある」と説明を受けて完璧に理解したつもりだったが、実際に生き生きとした生の草むらの中にしゃがみ込んでみると、似たような緑色の草が何種類もびっしりと群生しているのだ。
(これ……? いや、これは葉っぱの端っこがギザギザしているわね。こっちは……うーん、茎に微小な突起があるけれど、これかしら……? え、でも隣の草も似たような茎をしているわよ……!?)
【食】の加護(解体・調理解析)は、主に『食べられる食材や毒性』に反応するため、純粋な薬草の鑑別には直感が働きにくいようだった。
(乾燥した状態と、生えている状態じゃ全然印象が違うじゃない……! 見分けるのがこんなに難しいなんて……!)
受付で実物を見て高をくくっていた自分の甘さに、葵は頭を抱えた。
葵が「困ったわね……」と草むらで冷や汗を流していると、隣で一緒に屈み込んで草を探していた琴音が、ふと手を止めた。
「……あれ? お母さん、なんか聞こえない……?」
「え? 音……?」
葵は草むらから顔を上げ、耳を澄ませた。だが、聞こえるのはサラサラと葉を揺らす風の音と鳥のさえずりだけだ。
「ううん、鳥の声じゃなくて……なんか、『たすけてー』みたいな……すごくちっちゃい声……」
琴音は不思議そうな顔をしながら、吸い寄せられるように森の少し深い草むらへと歩みを進めていく。
「琴音、待ちなさい! 一人で離れたら危ないわ!」
葵は慌てて琴音の後を追いかけた。
我が子を守るための「初めての外での仕事」。
二人の冒険は、想定外の難問と、小さな違和感とともに、静かに動き始めていた。
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