第29話:木漏れ日亭の鍋パーティー!
夕暮れ時、木漏れ日亭の扉が開くたび、凍えた冒険者たちが肩をすくめながら入ってきた。
「くそ、今日も一日中冷えっぱなしだったぜ……」
「手も足も、感覚がなくなりそうだったよ」
椅子に腰を下ろすなり、震える手で息を吹きかける客の姿があちこちで見られる。
「今日の依頼、街の外れまで行ったんだが、帰り道は本当に応えたよ」
「ああ、俺もだ。防寒着を着込んでも、この寒さにはかなわねえ」
疲れ切った様子でうなだれる冒険者たちを見ながら、琴音が心配そうに眉を寄せた。
「みんな、すごく辛そう……」
「ええ、本当に」
その光景を見て、葵の中である考えが浮かんだ。
「マルタさん、少しご相談が」
厨房にいたマルタに声をかけると、葵は思いついたことを話し始めた。
「先日お出しした特製お鍋、今夜は大鍋で作って、食堂のみなさんに振る舞えないでしょうか」
「おや、あの温まるお鍋かい?」
「はい。今日はいつにも増して冷え込んでいますし、少しでもお客さんの体を温められたらと」
マルタは目を輝かせて頷いた。
「いいねえ、それ! うちの大鍋、好きに使っておくれ」
「ありがとうございます。それじゃあ、早速仕込みますね」
◇
厨房の奥には、大人二人がかりでも抱えきれないほどの大鍋が据えられていた。
普段は具沢山のスープや煮込み料理を大量に仕込む時に使う、木漏れ日亭の要となる調理道具だった。
「わあ、大きい……! これ、どれくらいの量が作れるの?」
「これなら、食堂のみんなの分もきっと足りるはずよ」
葵は市場で仕入れてきた大量の大根、人参、白菜に似た葉野菜、それにたっぷりの肉を用意した。
「琴音、野菜を切るの、手伝ってくれる?」
「もちろん!」
二人並んで、次々と野菜を切り分けていく。
「量が多いから、切るのも一苦労だね」
「ふふ、その分、みんなに喜んでもらえるわ」
大根の山を前に、琴音が額の汗を拭いながらも、楽しそうに包丁を動かし続けた。
「これ、何人分くらいになるのかな」
「食堂に入っているお客さん全員分は、作れると思うわ」
「わあ、それはすごい量だね」
切り分けた野菜が次々と大きな籠に積み上がっていく様子に、二人は顔を見合わせて笑った。
大鍋に水と和風だしをたっぷり注ぎ入れ、火にかける。
「だし、醤油、みりんの割合は、いつもの十三対一対一。量が増えても、この比率は変わらないのよ」
「うん、覚えてる」
ぐつぐつと煮え始めた大鍋から、出汁の香りがふわりと立ちのぼった。
大鍋を混ぜるための大きなお玉は、いつも使っている物より一回り大きく、琴音は両手でしっかりと握りしめていた。
「重いけど、なんだか楽しい」
「ふふ、お祭りの準備みたいね」
木べらでゆっくりとかき混ぜるたび、鍋の底からふわりと湯気が立ちのぼる。
「まずは、火の通りにくい大根と人参から」
大量の野菜が次々と鍋に投入されていく様子を、フィニも興味津々に眺めていた。
『おおきいおなべ……! なんだかワクワクする……!』
「フィニも楽しみにしてるみたい」
「たくさん食べてもらいましょうね」
◇
煮込むこと数十分、大鍋いっぱいに湯気を立てる特製和風鍋が完成した。
「マルタさん、出来ました」
「おお、こいつは壮観だね……! いい匂いだ」
大鍋を覗き込んだマルタが、感嘆の声を漏らす。
大きなお玉で次々と器によそわれた鍋料理が、食堂のテーブルへと運ばれていった。
「お待たせしました。体が温まるお鍋です」
湯気の立つ器を受け取った冒険者が、待ちきれない様子で箸を伸ばす。
「いただきま……うわっ、あっつ……! でも、うまい……!」
「なんだこの温まるスープは……! 体の底から熱が湧いてくる……!」
驚きと感動の入り混じった声が、食堂のあちこちから上がり始めた。
「肉も野菜もとろとろで、味がしっかり染みてる……!」
「こんな美味い鍋、初めて食ったぞ……!」
見覚えのある冒険者が、器を片手に近づいてきた。
「おっ、これはあんたたちの仕業か。この間の煮物といい、あんたたちの料理は本当に凄いな」
「ありがとうございます。少しでも温まっていただけたら嬉しいです」
「十分すぎるくらいだ。体の芯まで熱が回っていくのが分かるよ」
満足げに笑う冒険者の隣で、常連のご婦人も嬉しそうに器を抱えていた。
「こんな寒い日に、こんな温かいお鍋をいただけるなんてねえ。本当にありがたいことだよ」
「お口に合ってよかったです」
葵が微笑むと、ご婦人はしみじみと頷いた。
次々と器を差し出す客たちの様子に、葵と琴音は嬉しさを隠しきれなかった。
◇
食堂は瞬く間に、鍋を囲む人々の熱気と笑顔で満たされていった。
ハフハフと息を吐きながら鍋をかき込む冒険者、目を細めてスープを味わう常連客、隣同士で美味しさを語り合う旅人たち。
「おかわり、まだあるかい?」
「もちろんです、たくさん作りましたから」
葵が笑顔で答えると、あちこちから歓声が上がった。
「琴音ちゃんも、ありがとうな。こんなに美味い鍋、そうそうお目にかかれないぞ」
「えへへ、お母さ……お手伝いしただけです」
慌てて言い直す琴音の様子に、声をかけた冒険者は気にする様子もなく豪快に笑った。
空になった器を次々と下げながら、琴音もおかわりを配って回る。
「はい、おかわりどうぞ」
「おお、悪いね、ありがとう」
フードの中に隠れていたフィニが、小声で満足げな声を漏らした。
『あたちも、おなかいっぱい……!』
「フィニも大満足だって」
琴音がそっと耳打ちするように伝えると、葵も声を潜めて微笑んだ。
「ふふ、良かったわね」
マルタが厨房から出てきて、賑わう食堂を見渡しながら、目を潤ませていた。
「葵ちゃん、本当にありがとうねぇ。こんなに温かい笑顔で満ちた食堂、久しぶりに見たよ」
「マルタさんが大鍋を貸してくださったおかげです」
「いいや、あんたの腕と、みんなを想う気持ちのおかげさ」
しみじみと語るマルタの言葉に、葵の胸も温かさでいっぱいになった。
「これからも、寒い日が続く時は、また作ってくれるかい?」
「もちろんです。材料さえあれば、いつでも」
「ありがたいねえ。あんたたちが来てくれてから、この宿は本当に賑やかになったよ」
マルタは目元を緩めながら、賑わう食堂を眺めた。
厨房の隅では、フィニが空になった小さな器を名残惜しそうに舐めている。
『ごちそうさまでした……! すっごく、おいしかった……!』
律儀にお礼を言うフィニの様子に、傍で聞いていた琴音がくすりと笑った。
「フィニ、律儀にごちそうさまって」
「あら、フィニったら」
微笑ましそうな鳴き声のような音だけが耳に届いたマルタも、つられるように目を細めた。
「精霊様も、気に入ってくれたみたいだねえ」
窓の外では、依然として冷たい風が吹き荒れていた。
けれど木漏れ日亭の中だけは、まるで別世界のように、湯気と笑い声に包まれた温かな夜が続いていた。
食堂の隅では、常連客たちが鍋を囲みながら、今日あった出来事を語り合っている。
「こんな寒い日でも、ここに来れば温かいものが食べられる。本当にありがたい話だよ」
「まったくだ。木漏れ日亭様々だな」
そんな会話が聞こえるたび、葵の胸にじんわりとした達成感が広がっていく。
空いた器を片付けながら、琴音がふと呟いた。
「こんな風に、みんなで温かい時間を分け合えるの、本当に幸せね」
「うん、本当に」
琴音のフードの中で、フィニも満ち足りた様子で小さく身を弾ませていた。
寒波の厳しさに負けない、木漏れ日亭の賑やかな夜は、まだしばらく続きそうだった。
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