第28話:物資の停滞と、主婦の知恵袋
寒波が続いて数日、木漏れ日亭の朝食の席でも、その影響が話題に上るようになっていた。
「困ったもんだよ。荷馬車が来ないもんだから、仕入れがままならなくてね」
マルタが野菜の皮を剥きながら、ため息交じりに呟く。
「今日のスープも、いつもより具が少なくて申し訳ないんだけどね」
「いえ、十分美味しいです」
葵はそう答えながらも、マルタの表情に浮かぶ疲労の色が気にかかっていた。
朝食を終えると、葵と琴音は様子を見に市場へ向かうことにした。
「今日も、野菜が少ないわね……」
いつもなら色とりどりの野菜が並ぶはずの露店に、今日はまばらな品物しか置かれていない。
「街道が凍結しちまってさ。他の街から荷馬車が来られないんだよ」
露店の主人が困り顔でぼやいた。
「新鮮な野菜が入ってこないってことですか?」
「ああ。うちも在庫が尽きかけてる。当分は、こんな状態が続きそうだ」
葵と琴音は顔を見合わせた。
「これじゃあ、みなさんの食卓も心配ね……」
市場を歩けば歩くほど、閉まったままの露店や、品薄で寂しい棚が目についた。
「野菜が高くなってる……」
値札を覗き込んだ琴音が、驚いたように声を上げる。
いつもなら手頃な値段で買えていた根菜も、今日は普段の倍近い値がつけられていた。
「品物が少ないと、どうしても値上がりしてしまうものね」
通りすがりの主婦らしき女性たちも、困り顔で立ち話をしていた。
「うちも、明日の献立に困ってるのよ。子どもに何を食べさせようかしら」
「本当にねえ。この寒波、いつまで続くんだか」
そんな会話を耳にするたび、葵の胸は重く沈んでいった。
◇
「あら、葵ちゃんに琴音ちゃん」
聞き覚えのある声に振り返ると、いつもの行商人のおばさんが、こちらに向かって手を振っていた。
けれど、彼女の露店だけは、他とは違う活気に満ちていた。
「わあ……! おばさんのお店、こんなに賑わってるんですか?」
驚く琴音に、おばさんは得意げに胸を張った。
「そうなんだよ。うちは、この寒波でも困らずに済んでるのさ」
露店に並べられていたのは、色鮮やかな生野菜ではなく、丁寧に干された野菜や、瓶詰めにされた酢漬けの数々だった。
「これ、もしかして……」
「そう、あんたに教えてもらった保存の知恵さ」
おばさんは、瓶の一つを手に取って見せた。
「干し野菜も、酢漬けも、日持ちがいいだろう? この冬に備えて、少しずつ蓄えてたんだよ」
棚に並ぶ瓶の中では、色とりどりの野菜が酢に漬けられ、宝石のように輝いて見えた。
その隣には、紐で吊るされた干し野菜の束が、風に揺れてかさかさと音を立てている。
「これだけあれば、しばらくは困らないよ。おかげさまで、お客さんも途切れなくてね」
「すごい……。こんなにたくさん作ってらしたんですね」
感心する琴音に、おばさんは得意げに頷いた。
「あんたに教わってから、暇を見つけては少しずつ作り溜めてたのさ。まさか、こんな時に役立つとは思わなかったけどね」
小瓶を手に取った琴音が、興味深そうに中身を覗き込む。
「これ、何のお野菜ですか?」
「それは大根さ。酢漬けにすると、さっぱりして箸が進むんだよ」
「こっちの干し野菜は、何のお野菜ですか?」
「それはにんじんだよ。乾かすと、甘みがぎゅっと凝縮されるんだ」
琴音が興味深そうに一つ手に取ると、おばさんは気前よく差し出した。
「味見してみるかい?」
「いいんですか? ……わあ、本当だ。甘みが濃くて美味しい」
目を輝かせる琴音の様子に、おばさんも嬉しそうに目を細めた。
「わあ……。あの時の知恵が、こんな風に役立つなんて」
葵は思わず目を潤ませた。
かつて困っていたおばさんに、前世で培った主婦の知恵を分けたのは、ほんの小さな親切のつもりだった。
それが今、街の食卓を支える力になっている。
◇
「実はね、うちの品を見た他の露店の人たちからも、作り方を教えてくれって頼まれちまってさ」
「そうなんですか?」
「ああ。この寒波のおかげで、保存食の有難みが、身にしみて分かったんだろうねえ」
おばさんは笑いながら、近くの露店の主人を手招きした。
「おーい、こっちこっち。この子が、あの保存の知恵を教えてくれた子だよ」
「え……」
戸惑う葵の前に、数人の露店の主人たちが集まってくる。
「本当かい? ぜひ、うちにもコツを教えてほしいんだが」
「うちも頼むよ。この寒さじゃ、いつ荷馬車が来るか分からないからねえ」
口々に頼み込まれ、葵は驚きながらも、嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
「わ、私でよければ……。難しいことじゃないので、ぜひ」
「ありがとうよ、本当に助かる」
「琴音、手伝ってくれる?」
「もちろん!」
その場で急遽、簡易的な保存食講座が始まることになった。
「この寒さだと、外で干すのは難しいと思うので、窓辺の日当たりのいい場所で、室内干しをおすすめします。凍らせてしまうと、傷んでしまうので」
「なるほど、外じゃなくて中でかい」
「はい。それと、酢と水を同じくらいの割合で合わせて、少し塩と砂糖を加えれば、こちらは寒さに関係なく、簡単な酢漬けも作れますよ」
葵の説明に、露店の主人たちは真剣な面持ちでメモを取っていた。
「厚さは、これくらいでいいのかい?」
一人が手元の大根を切りながら尋ねると、葵はその断面を覗き込んだ。
「もう少し薄い方が、早く乾きますよ。こんな感じで」
葵が実際に包丁を握り、薄く均一に切り分けてみせると、感嘆の声が上がった。
「おお、本当だ。慣れてるねえ」
「切り方一つで、乾く速さも変わってくるんです」
「琴音、こっちも手伝ってくれる?」
「うん!」
琴音も別の主人の手元を覗き込み、切り方のコツを丁寧に教えていく。
「野菜によって、干す時間も少し違うんですよ。根菜は数日、葉物はもっと短くて大丈夫です」
「なるほどねえ、うちでも早速試してみるよ」
「困った時はお互い様ですもの」
葵の言葉に、集まった人々から温かい笑みがこぼれた。
◇
一通りの説明を終えると、おばさんが改めて葵の手を取った。
「本当にありがとうね、葵さん。あんたに教えてもらった保存野菜のおかげで、この寒波でも店を開けられるよ」
「そんな、大したことじゃ……」
「いいや、大したことさ。この時期、荷馬車が来られなくて、店を畳まざるを得ない露店だってあるんだよ。うちがこうして開けられてるのは、間違いなくあんたのおかげだ」
しみじみと語るおばさんの目には、うっすらと涙が滲んでいた。
「うちの子どもたちにも、ちゃんとご飯を食べさせてやれる。それがどれだけありがたいことか」
その言葉に、葵の胸もじんとした温かさで満たされていく。
「困った時はお互い様ですから。また何かあれば、いつでも声をかけてくださいね」
「ああ、ありがとうね」
温かい笑顔に見送られ、葵と琴音は市場を後にした。
◇
人通りの少ない道に差し掛かったところで、琴音がようやく口を開いた。
「お母さん、すごいね。前の世界での知恵が、こんな風にみんなを助けてるなんて」
隣を歩く琴音の言葉に、葵はくすぐったそうに微笑んだ。
前世では、家族のためだけに培ってきた小さな知恵。
それが今、見知らぬ異世界で、こんなにも多くの人の役に立っている。
「ふふ、琴音が手伝ってくれるから、こうして伝えられるのよ」
フードの中でずっと大人しくしていたフィニが、ひょこりと顔を出した。
『あたちも、なにかおてつだいしたかったな……』
「フィニも、何か手伝いたかったって」
「ふふ、フィニには、また今度お願いするわね。今日は市場の中だったから、大人しくしていてくれてありがとう」
『うん……! こんど、がんばる……!』
やる気に満ちたフィニの様子に、琴音がくすくすと笑いをこぼした。
「これからも、困っている人がいたら、力になれたらいいわね」
「うん。お母さんと一緒なら、きっと何でもできる気がする」
寒風の吹きすさぶ帰り道、活気を取り戻した市場の様子を思い返しながら、葵は静かな充実感に包まれていた。
二人の頭上には、相変わらず冷たい風が吹いていたけれど、その心はどこまでも温かかった。
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