第16話:琴音の決意と、小さな魔法の芽生え
その日の採集依頼は、森の奥に生えるという薬草を探すものだった。
『あっちから、変なにおいがする……』
フィニの警告に従って回り道をした先には、以前見かけたような大きな魔物の足跡が残っていた。
「ここは危なそうね。無理せず、別のルートを探しましょう」
葵は迷うことなく判断を下し、琴音の手を引いて安全な道へと進んでいく。
帰り道、琴音は少し前を歩く葵の背中をぼんやりと眺めていた。
危険な気配を察知して回り道を選んだのも、重い荷物を率先して持ってくれたのも、いつも葵だった。
【衣食住】の加護があるとはいえ、この世界に来てからずっと、守られているのは自分の方ばかりだという気がしていた。
思えば、薬草の見分け方も、依頼の受け方も、危険を避ける勘所も、すべて葵が先に気づいて教えてくれたことばかりだった。
自分は素直にその後をついていくだけで、何か誰かの役に立てたことがあっただろうかと、琴音はふと考え込んでしまう。
「琴音、疲れてない?」
「あ……うん、大丈夫」
振り返った葵に慌てて笑みを返しながらも、胸の奥にはもやもやとした思いが残った。
(私も、ただ守られてるだけじゃなくて、お母さんの役に立ちたいな……)
前世で命を落とした事故の時も、自分を庇ったのは葵だった。
この世界に来てからも、ずっとそうだ。
いつか自分の力で、少しでも葵の助けになりたい。
そんな思いが、琴音の中でじわじわと膨らんでいった。
◇
木漏れ日亭に戻り、葵が湯浴みの準備をしている間、琴音はフードの中でうとうとしていたフィニにそっと声をかけた。
「ねえ、フィニ」
『ん……なあに?』
「フィニって、風を動かせるでしょ? どうやったらそんなことできるの?」
琴音の問いに、フィニは眠たそうな目をぱちりと開いた。
『琴音も、やってみたいの?』
「うん……。私も、何か力があったら、お母さんの役に立てるかなって」
その言葉に、フィニは嬉しそうに羽をぱたぱたと震わせた。
『いいよ、教えてあげる! でもね、難しいことじゃないの』
「どういうこと?」
『風って、いつもそこにあるでしょ。だから、頑張って動かそうとするんじゃなくて、風と仲良くなる感じ』
「仲良くなる……?」
要領を得ない説明に、琴音は首をかしげた。
『そう! 風の匂いとか、肌に触れる感じとか、そういうのをよーく感じてみるの。そしたら、風の方から近づいてきてくれるんだよ』
「うーん、なんとなくわかるような、わからないような……」
『慣れてないうちは、みんなそんな感じだよ。あたちも、最初はそうだったもん』
「フィニにも、そんな時期があったんだ」
『あるよー! 昔は全然、風と仲良くなれなかったんだから』
意外な一面を知り、琴音は思わずくすりと笑った。
フィニなりの、感覚的な教えだった。
「なんだか、フィニらしい教え方ね」
『えへへ、あたちのやり方だから』
得意げに胸を張るフィニの様子に、琴音は思わず笑みをこぼした。
「今夜、こっそり練習してみようかな」
『あたちも手伝う!』
小さな声で頷き合い、二人は内緒の計画を立てた。
◇
その夜、葵が先に眠りについたのを確かめてから、琴音はそっとベッドを抜け出した。
窓辺に腰掛け、月明かりの差し込む静かな部屋で、フィニと向き合う。
「えっと……風の匂いとか、肌に触れる感じ、だったよね」
『そう! 焦らなくていいから、ゆっくり感じてみて』
琴音は目を閉じ、手のひらを上に向けて、じっと意識を集中させた。
けれど、いくら待っても手のひらの上に変化は起きない。
「……ダメだ、何も感じない」
『焦っちゃダメだよ。もっと肩の力抜いて』
言われるままに深呼吸をして、もう一度目を閉じる。
二度目も、三度目も、これといった手応えは得られなかった。
「私、向いてないのかな……」
肩を落としかけた琴音に、フィニが優しく声をかけた。
『そんなことないよ! あたちが風を覚えた時も、何日もかかったんだから』
「本当に?」
『うん。だから、今日できなくても、全然平気だよ』
その言葉に少し勇気をもらい、琴音はもう一度姿勢を正した。
窓の隙間から入り込む夜風が、頬をかすかに撫でていく。
草の匂い、少し冷たい空気、遠くから聞こえる虫の声。
普段なら気にも留めない感覚を、一つひとつ丁寧に拾い上げていく。
(風って、こんなにいろんな表情をしてるんだ……)
しばらく集中し続けていると、ふと手のひらの上の空気が、わずかに揺れたような気がした。
「……あれ?」
目を開けると、手のひらの上で、ほんの小さな渦がくるくると回っている。
そよそよと心地よい、ごく小さな風だった。
『できた……! 琴音、できたよ……!』
フィニが興奮した様子で琴音の周りを飛び回る。
「本当に……! わあ、すごい……!」
思わず声を弾ませた琴音は、慌てて口元を押さえた。
葵を起こしてしまわないよう、声を潜めながらも、瞳は輝きを隠せずにいた。
小さな風は、しばらくすると自然に収まっていった。
けれど、その手応えは確かに琴音の中に残っていた。
「フィニ、ありがとう。私、もっと練習する」
『うん! あたちも、いっぱい教えてあげるから!』
窓の外に浮かぶ月を見上げながら、琴音は静かに決意を固めた。
いつか、この小さな力が誰かの――ううん、お母さんの役に立てる日が来たらいい。
その日を思い描くだけで、胸の奥が温かくなるのを感じた。
まだ誰にも話さない、自分だけの秘密の一歩。
そっと拳を握りしめた琴音の顔には、これまでにない、静かな決意の色が浮かんでいた。
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