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13/20

13.夜

光司さんは私の腕を引いてどんどん歩いて行く。

そして、違和感に気付いた。

彼の掌がぬめりを帯びている。

これは多分、


「光司さん。」

私が呼びかける。

夜道の中で彼は無表情で振り返る。

暗がりの中で光司さんの白い容貌が浮かんでいた。


「血が、」

私の腕には彼の血が擦れるように付いていた。

多分、光司さんが父親と反していた時に手を強く握りしめ過ぎたのだろう。


彼は今気が付いたと言うように、自分の手をちらりと見た。

そうして、強張っていた体を弛緩させるように大きく吐息をついた。


「カナコ。」

「はい?」

何処となく光司さんの様子が可笑しい。

危うくて放っておけなくなる。


「俺が独り暮らしをしている話はしたっけ?」

「ええ。」

それは聞いた事があった。

けれど何故今それを?


「俺の部屋に来ない?」

彼は男性で私は女性だ。

夜中に独り暮らしの部屋に行くのは良くない。

それでもどうしても光司さんを今独りにすることはできなかった。


タクシーを呼んで彼の住んでいる所に着くまでお互いに無言だった。

何処か気まずくて、窓越しに走り去る外の景色をただ眺めた。


幸いな事に乗車時間はそれ程長くなかった。

光司さんの住処は瀟洒なマンションの一室にあった。

こういう所に、住んでいる所に彼の育ちの良さを感じずにはいられなかった。


マンションのエレベーターに二人で乗る。

501号室が彼の部屋だった。


光司さんの部屋はとてもシンプルで生活感がなかった。

よくできたモデルルームの様で、お洒落と言えばそうだが何処か薄ら寒い。


「座っていて。」

彼は私に一声かけると、部屋の奥に行ってしまう。

がさごそと何かを漁っている音がして、当分戻って来そうにない。


仕方がなので、高級そうなソファーに座った。

光司さんは救急箱を持って戻ってきた。

手の傷の対処が嫌に早い。

慣れているのだろうか。

ふと、そんな事を思った。


何処か緊張感のある雰囲気。

それを感じとって私は口を開いた。


「今日はお疲れ様です。」

ぺこりと頭を下げると、

光司さんはくすくすと笑った。

なんですかと私が軽く睨みつけても、それは止まらなかった。


「あんたってずれてるって言うか…。まあ、そこがいいのか。

そっちこそ、今日はお疲れさま。早く切り上げちまったけど良かったのか。」

「ええ、ああ言う場所は疲れます。」

「本当にな。」

そうして、彼は大きな溜息をついた。

少しだけ平常時の状態に復活したようだ。

人と話す事って偉大だ。

意味もなく、そんな事を思った。


「大丈夫ですか?」

「平気じゃなさそうに見えるか?」

「少し。」

地雷だろうか。

だけども、見て見ぬ振りをして、

この寒気を感じさせる部屋に光司さんを置いて行く事は出来なかった。


「父親と会った時に様子が変だったろう?俺は。」

ぽつりと彼は零した。

光司さんは何かを吐き出そうとしているのが分かる。


「変と言うか…。何だか取引先の人としている会話みたいでした。」

「そう、取引先。あんたは賢いよ。」

彼は少しハイになっているように見える。

多分、ストレスが溜まると高揚するタイプなんだろう。


「正直な所、心境としては赤の他人だ。そう思えるまでに随分時間が掛ったよ。」

私は押し黙った。

何と言っていいか分からなかったのだ。

光司さんは流し目でこちらを見てくる。


「酷い息子だと思うか?俺のこと。」

「いいえ。そう言って欲しいんですか?」

「いや、カナコならそう言わないだろうと思った。」

そう言って、彼は穏やかな顔でこちらを見詰めてくる。


私の家庭もとても円満とはいかなかった。

可愛がってくれた祖父には偶にしか会えなかった。

父親は仕事人間で恐らく女性がいたし、

母親は社交に忙しく外出しがちだ。

愛情に恵まれたとはとても言えない。

むしろその逆だろう。

こういう、環境で育った人間同士と言うのは匂いで分かるのだ。

だからこと、私は彼に気を許すのが早かったのかもしれない。


傷の舐め合い。

共依存。

同情。

何でも良かった。

光司さんの側に居られるなら。


「最悪の事態になる前に割り切れて良かったと思います。」

そう、彼は父親にもう何も期待していない。

それは今まで出来事の上に成り立った心情で他人が、

もっとよく話し合ってみたらとか、本音でぶつかり合ってみたら何って言うアドバイスは役に立たない。


私がそんな事を言わないから、光司さんは自分の本音を正直に話してくれたのだろう。

だからこそ、彼が父親と話して傷が疼いている事が分かった。

あの発言は幾らなんでもデリカシーがなさすぎた。


「そうだな。」

そう言って、光司さんは静かに微笑んだ。

温かみが一欠片もない、渇きさえ感じさせる笑顔に、

吸い込まれるように惹かれると同時に酷く胸が痛むのを感じた。


「昔はそれこそ鉄パイプで頭を殴りたいと思っていたが、」

「光司さんって元ヤンですよね。」

彼は目を丸くて、バレたかと囁いた。

何処となく、荒れていた過去があるんじゃないのかと言う雰囲気なのだ。


「バレバレです。」

そういて、私は口の端だけで笑った。

その表情を見て、光司さんが安堵するのが分かる。


「怖くないわけ?」

私は首を振った。

多分、彼本人にもどうしようもなかったのだろう。

それこそ、光司さんのお父さんと同じように。

それが痛いぐらい伝わってきた。

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