14.未来
光司さんは頭を冷やしてくると言って、ベランダで煙草を吸っていた。
夜にまぎれて、彼の後ろ姿がぼやけている。
その背中を見ながら、私は考えに耽っていた。
私はこの人を好きなんだろうか。
今は傍にいたいだけだ。
それではその先は?
「光司さんはこれからどうするんですか。」
「うん?」
私が声を掛けると彼は振り向いてくれる。
吸いかけだった煙草をへし折り、携帯灰皿に入れて話し始める。
「カナコはどうしたい?」
「そうですね。反対されるかもしれませんが、家から独立して教師になれたらいいですね。
子供と関わる仕事が出来たらいいなと思います。実家とは縁を切る事になると思いますけど…。」
「就職希望なのか。」
「ええ。いずれは光司さんの様に独り暮らしを出来たらいいなと思います。」
「しっかりしているな。」
そう言って彼は、私のことを自慢の妹を見る眼差しで見た。
温かくて嬉しい筈のそれが何故か胸を軋ませた。
私達はお互いしばらく沈黙した。
時間が経ってから光司さんは俺が今考えているのはと前置きして話し始めた。
「外国に留学をして地盤を作って、出来ればそのままそっちで働きたい。
正直な所、家は継ぎたくないんだ。今やっている仕事もその為の足掛かりだよ。」
「光司さんは窮屈なのが苦手ですものね。」
光司さんの軽い口調が却って、その結論に至るまでの葛藤を感じさせた。
彼自身が悩んで結論を出した事なら、叶うといい。
私はそんな想いに蓋をして、軽口を叩く事にした。
「そう、だから結婚もしたくない。大層な家の跡取りになるのもごめんだよ。」
光司さんは歌うような口調で冗談めいて行った。
彼は人を好きになるのが怖いのだろうか。
それとも今まで受けてきただろう家に雁字搦めにされた生活から離れたいのだろうか。
恐らくは両方なのだろう。
それを私は女の直感としてそれを感じとっていた。
光司さんには空を飛ぶ鷹の様に自由でいるのが似合う。
そんな連想が自然に浮かんできた。
そしてその隣には私の姿はないであろうことも。
切なさを飲み下して、不器用に口を開いた。
何か、
何か言わないと。
そうじゃないと泣きそうだ。
「光司さんなら何処に行っても貴方らしくやれます。きっと。」
私がそう言うと、彼は子供の様な素直な笑顔を顔に浮かべた。
光司さんは近い未来に私のことを置いて、遠くに行ってしまう。
自分のことを女性として見ていない相手に酷く不毛だと思う。
それでもこの瞬間に私は彼に恋に落ちた。
それは彼が子供時代に置いて来てしまった様な表情を私に向けてくれたからかも知れない。
終電を逃したこともあって私はタクシーで帰る事にした。
光司さんは部屋に泊まってくれたと言ってくれたけど、辞退する事にした。
その発言自体が私の事を女性として見ていないことが分かって苦しかったし、
真夜中のテンションで誤って、告白でもしてしまうのではないかと怖かった。
家に帰宅をして自宅のお風呂場で湯船に浸かりながら考えた。
一度懐に入れた人間は、光司さんは突き放しがたい様に見えた。
私が自分の気持ちを伝えても、彼を困らせてしまうだけだ。
そうして私はこの気持ちを黙っておく事に決めた。
その晩は夢を見た。
光司さんが外国か何処かで生き生きと働いている夢だ。
水を得た魚の様でなその姿を私は遠くから眺めている。
どうやら、彼に会いに来たらしい。
話しかければ振り向いてくれると分かっていながら、
夢の中の私は光司さんに声を掛けない。
彼はこちらに気が付かない。
光司さんは沢山の人の中心で楽しそうに話をしている。
中には綺麗な女の人もいて、微かに胸が痛くなった。
そのまま黙って踵を返した。
独りぼっちで日本に帰っていく。
教師をしているらしい私は日々の忙しさの中で彼のことを忘れて行く。
目が覚めた後でもその夢のことを忘れられなかった。
その日は一枚幕が隔たった様な漠然とした感覚で一日を過ごした。
私はいつも通りの様に振る舞っていたつもりだが、やはりどこか可笑しかったらしい。
幾人かの友人には、ぼんやりしているけど大丈夫かと心配された。
稽古事の教師からは注意力散漫なのではないかと注意をされた。
次の日から私は光司さんへの恋心を忘れてしまう努力をした。
大学ではボランティアの募集等も行っているので、そちらに参加する事にした。
子供たちの勉強を見るのがメインの内容だったが、バイトの経験が役に立った。
バイトも新しい物を見つけようかと考えている。
稽古にも今まで以上に熱心にするようになった。
友達の集まりにも成るべく参加をして、
傍目からは充実したスクールライフを送っている様に見えただろう。
それでも私の胸にはぽっかりと大きな穴が空いた様な気がした。
光司さんと会う回数を減らしているからかもしれない。
そもそも私達は仮面婚約者としては距離が近すぎた。
交流を深めるにしても、もう充分だろう。
これから距離を少しづつ置いて行き、
いざという時には婚約者らしく振る舞えばいい。
私は叶う見込みのない初恋にどうしようもなく、臆病になっていた。




