第五十七話:外資の侵略と大沢会長の焦燥
藤堂と高橋美咲という二人の妨害者が、強制的な排除によって表舞台から完全に消滅したのに合わせて、彼らが仕掛けようとした風説の流布も、華が事前に金融庁や大沢会長の法務チームへ匿名で情報提供していた財務監査ルートにより、発信源である国際経済サークルの口座ごと完全に凍結された。
だが、彼らのような末端の猟犬が潰されることなどレイにとっては、単なる予定通りの「切り捨て」に過ぎなかった。
七月の下旬。期末試験が本格的に始まり、経済学部のキャンパスが独特の張り詰めた空気に包まれる中、俺たちの会社、そして日本の通信主権の心臓部を揺るがすような極大の地殻変動が、表の政財界で発生していた。
「――蓮。悪いが、今すぐ大沢会長の迎賓館へ向かってくれ。大旦那が、かなり緊迫した様子を見せている」
ある講義の合間、スマートフォンの暗号化ラインを通じて、源さんから切迫したトーンの声が届いた。
俺と華は即座に身支度を整えて大学を後にし、手配した黒塗りのセダンへと乗り込んだ。車窓を流れる真夏の東京の景色は、うだるような熱気に歪んでいる。隣に座る華は、仕立てのいいチャコールグレーのスーツの膝の上で、自らの情報端末に絶え間なく流れ込んでくる経済ニュースを凝視していた。
「佐藤くん、大変なことになってる……。アメリカのベルンシュタイン財閥系のファンドが、政府の若手売国奴政治家たちを完全に籠絡して、国会に新法案を無理やりねじ込んできたの。表向きは『国内通信市場の国際競争力強化法案』。でも、中身は外資による日本の基幹回線網の敵対的買収を、合法的かつトップダウンに可能にする、最悪のルール変更だよ」
「なるほど。電子の世界での不正アクセスを諦め、資本の流動性と法律の隙間を突くという、レイの得意なマクロ経済の力を駆使した総力戦に切り替えてきたか」
俺は冷徹に呟いた。
車はほどなくして、あの三月の夜に訪れた都内の会員制迎賓館へと滑り込んだ。重厚な漆黒の門をくぐり、大広間の奥にある大沢会長の執務室へと足を踏み入れると、そこにはいつもの絶対的な余裕を失い、苦渋の表情で煙草の煙を燻らせる大沢会長の姿があった。
部屋の四方には、日本を代表する大手コンツェルンの最高幹部たちが青ざめた顔で列をなしている。
「来たかね、佐藤くん、白雪さん。……情けない姿を見せることになってしまったな」
大沢会長は地鳴りのような重厚な声を微かにかすらせ、卓上の書類を俺たちの前に突きつけた。
「レイの背後にあるベルンシュタインの資本力は、私の予測をも遥かに超えていた。奴らはこの数週間で、我が国の若手官僚や次期大臣候補と囁かれる売国奴どもに、数十億規模の不透明な選挙資金を海外口座経由でバラ撒きおったのだ。さらに、我がコンツェルンが保有する通信株に対して、市場外取引での強引な敵対的買収(TOB)を仕掛けてきている。このまま法案が通過すれば、我が国がこれまで何十年もかけて築き上げてきた通信インフラの主権は、すべて海の向こうに奪われてしまう」
部屋の中に、老経営者たちの絶望的な沈黙が広がる。数千億規模の国家プロジェクトの基盤そのものが、外資の圧倒的な「金と政治」の力によって、根こそぎ奪われようとしていた。日本の最高権力者である大沢会長ですら、防戦一方の泥沼へと追い込まれている。
「会長、いくらなんでもこれは……! 18歳の彼らにこれ以上の負荷を強いるのは不可能です! ここは一旦、プロジェクトの予算を外資へ一部譲渡し、和解の道を選択すべきでは――」
大企業の役員の一人が、怯えたように声を上げた。
だが、その弱腰な「妥協」を、俺の隣に立つ華が、一歩前に踏み出しながら凛とした声で鋭く遮った。
「いいえ。それは一番選択してはならない『致命的な選択』です、役員の方」
華の声は、緊迫した執室の中に、信じられないほどの清涼感と重厚な説得力を持って響き渡った。
彼女は端末の画面を大沢会長と役員たちの前にスッと提示した。そこには、彼女と俺が寝る間を惜しんで分析し続けた、外資ファンドの「詳細な財務脆弱性のデータ」が表示されていた。
「皆さん、ベルンシュタインの圧倒的な資金力だけに目を奪われて、彼らの資産構成の歪みに気づいていません。レイさんが仕掛けているこの敵対的買収の原資は、その大部分が『短期的な借入金』に依存しています。つまり、表面上は数千億の巨費に見えても、その裏側は非常に綱渡りな資金繰り(キャッシュフロー)で維持されているんです。ここで私たちが利権を少しでも譲渡すれば、彼らはその実績を元にさらに信用を拡大し、本当にこの国を飲み込んでしまう。私たちがすべきなのは和解ではなく、彼らの資本が引き返せなくなる罠を市場の真ん中に今すぐ仕掛けることです」
「な……、何だと……っ?」
役員たちが、18歳の若き経営者が弾き出したロジックの前に、驚愕して言葉を失った。
大沢会長は目を見開き、華の提示したデータを食い入るように見つめると、やがてその顔に、かつての獰猛な支配者としての笑みをゆっくりと融かしていった。
「……素晴らしい。素晴らしいぞ、白雪くん。まさか、我がコンツェルンの財務チームすら浮足立って見落としていた外資の『急所』を、これほど正確に突いてみせるとはな。君たちはやはり最高だ」
「ありがとうございます、大沢会長。でもこの案を考えたのは私ではありません。私の隣にいる、佐藤くんです」
華はサクラ色の頬を少しだけ誇らしげに染め、俺のスーツの袖をきゅっと掴んで一歩後ろへと下がった。
「会長、および役員の皆さん。奴らがどれだけ政治家を抱き込もうが、どれだけ不当な法案を通そうと画策しようが、関係ありません。日本のすべての回線網、および【RS-HS】の基幹システムの管理権を握っているのは、俺たちのシステムです」
俺はノートパソコンを開き、画面に表示された、まだ誰にも見せていない新インフラのプロトタイプを大沢会長に提示した。
「レイは、日本の既存の法律という『古い仕組み』を逆手に取ろうとしています。ならば、俺たちはその仕組みそのものを無効化する、新しいインフラの仕様を今ここで強制執行しましょう。奴らが大金を使って買い占めている既存の通信株など、ただのゴミクズに変えてみせます。まとめて、機能停止に追い込みましょう」
「ククク……、ハハハハハ!!」
大沢会長は豪快な笑い声を上げ、椅子から立ち上がると、俺の肩をがっしりと掴んだ。
「頼もしいな、佐藤くん! 白雪さん! よし、この国の通信主権の未来、すべての管理者権限を君たち二人に完全委任する! 役員ども、聞いたな! 今すぐ彼らの指示に従い、全資産を彼らの盾として集約しろ!!」
「「「は、はいっ!!!」」」
さっきまで怯えていた重鎮たちが、18歳の俺と華の前に一斉に頭を下げ、列をなしていく。
この国のすべてのリソースを掌握した俺たちは、海の向こうの怪物レイを奈落の底へと叩き落とすための、前代未聞の最終防壁(罠)の構築へと向けて、静かに、そして冷徹に動き出すのだった。




