第四十一話:午前零時の完全シャットダウン
「――三、二、一……ハッピーニューイヤー!!」
西暦二〇〇〇年一月一日、午前〇時〇〇分。
新世紀の幕開けを告げる鐘の音と同時に、地鳴りのような大歓声が六本木の街を一斉に包み込んだ。
高級クラブのVIPルームでも、その狂乱は絶頂に達していた。色とりどりのクラッカーが弾け、金銀のテープが宙を舞う。藤堂と美咲は狂ったように何度もハイタッチを交わし、一本数十万円の最高級シャンパンが小気味よい音を立てて次々と開けられた。
「終わった……! ついに二〇〇〇年、新世紀の到来だ! 見たか佐藤蓮! 見たか白雪華! 世界シェア一位のモンスタープラットフォーム【RS-HS】は、今日この瞬間から、この俺のものだッ!!」
藤堂は勝利の美酒を喉に流し込み、歪んだ全能感を顔全体に張り付かせながら、傲慢にノートパソコンの画面へと視線を戻した。
隣では高橋美咲がその逞しい腕に絡みつき、狂おしいほどの悦びに身を震わせている。
「凄い、本当に凄いよ藤堂さん……! これで私たちは日本の、いいえ世界の頂点に立ったのね! あんなガキどものお遊びは全部私たちの踏み台になったのよ! ねえ、早くあの佐藤蓮の絶望した顔が見たいわ!」
「ククク、焦るな美咲。明日になれば、あのガキどもは自分の城が根こそぎ奪われた現実を知って、泣き叫ぶことすらできなくなる。これが知略と資金力を持った本物の天才のビジネスというものだ!」
藤堂が狂おしい高笑いを上げ、承認インジケーターが一〇〇%に染まった画面を愛おしそうに撫でようとした――その、瞬間だった。
パチッ。
不気味な高周波の電子音と共に、それまで鮮やかな緑色で「支配率一〇〇%」を表示していた画面が、何の前触れもなく一瞬で真っ暗に反転した。
「……あ、あれ? おい、画面が消えたぞ? おい、どうしたクラッカー! バックライトの不具合か!? 早く直せ!」
藤堂が怪訝そうに眉をひそめ、キーボードを乱暴に叩く。しかし、端末は何の反応も示さない。
「え? い、いや、僕は何の操作もしてません! コマンドが、一切入力を受け付けない……! システムログの同期が完全に切断されてます! なんだこれ、嘘だろ……っ!?」
パチパチパチパチと、狂ったようにキーボードを叩き続けるおお抱えクラッカーの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。彼の指先はガタガタと震え、額からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
「おい、何をモタモタしている! 早く画面を戻せ! せっかくの祝杯の席だぞ!」
「無理です、社長! コントロール権が完全に奪われてる……内部のカーネル層から直接書き換えられて――あ、上がってきた! 画面が、画面が出ます!」
次の瞬間、暗黒に包まれていた液晶モニターへ、血のように真っ赤な巨大な警告文字が、無慈悲に、そして一文字のエラーもなくプログラミングされた文字列となって浮かび上がった。その中央で点滅する冷酷なメッセージは、彼らの積み上げたすべての虚栄を粉砕する死刑宣告だった。
【 警告:不正アクセスを検知。Y2K反転プロトコルを発動します 】
【 処理:投入された外部資本『五十億円』を、悪質スパムデータとして完全消去しました 】
【 アカウントおよび関連資産の凍結:完了 】
【 システムを初期化します―― 】
「な……に……? 全損……? 五十億が、消えた……?」
藤堂の思考が、完全にフリーズした。
手から滑り落ちたクリスタルグラスが、床のタイルでガシャーンと派手な音を立てて粉々に砕け散り、高級ブランデーが周囲にぶちまけられる。しかし、その音すら今の藤堂の耳には届かない。
「おい! どういうことだ! 説明しろ! 俺の五十億だぞ!? 銀行から、裏のルートからかき集めた我が社の全財産だぞ! それが消えたってどういう意味だ!」
「だ、ダメです社長! これ、最初から全部罠だったんだ……! セキュリティが破られたんじゃなくて、あっちの設計者がわざとポートを開けて、僕たちの資金を吸い込むためだけに作った底なし沼だったんですよ! 僕たちは、最初からあの佐藤蓮の手のひらの上で踊らされてたんだ……! 口座残高、ゼロです! 我が社は、完全に破産しました……っ!!」
「そんな……そんなわけないわ! 嘘よ、嘘に決まってるじゃない!」
美咲が立ち上がり、クラッカーの胸ぐらをつかんで激しく揺さぶる。
「だって一〇〇%って出てたのよ!? 私たちが勝ったのよ! 私のエメラルドの指輪は!? 六本木のタワーマンションは!? 私の地位はどうなるのよ! ねえ、藤堂さん、何とか言ってよ! あの佐藤蓮に勝ったって言ってよ!!」
「ああ、あああ……嘘だ……俺は時代の寵児のはずだ……それが、高校生のガキ一人に……ハメられた……?」
藤堂はガタガタと歯を鳴らし、ソファに崩れ落ちた。全能感に満ち溢れていた男の顔は、一瞬にして生気を失った老人のように急速に萎んでいく。
だが、絶望に震える悪党たちに与えられたペナルティは、システムの全損だけでは終わらなかった。
ドゴォォォン!!
激しい衝撃音と共に、VIPルームの重厚な防音ドアが乱暴に蹴り開けられた。
なだれ込んできたのは、防弾ベストを着用し、鋭い眼光を放つ十数名の屈強な男たち――警視庁ハイテク犯罪捜査部門、および組織犯罪対策課の捜査員たちだった。部屋の華やかな照明の下に、警察の冷たい威圧感が容赦なく割り込んでくる。
「動くな! 警察だ! 全員その場から動くな!」
「なんや貴様ら! 令状もなくワシの部屋に踏み込んでくるとはどういうことや! ワシを誰やと思っとるんや、城崎組の――」
ソファの奥で葉巻を落とした城崎が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、懐の得物へ手を伸ばそうとする。
しかし、捜査員たちの動きはプロフェッショナルそのものだった。城崎の腕は一瞬でねじ上げられ、無様にテーブルへと顔面を叩きつけられた。バキィと鈍い音が響き、高級なオードブルの皿がひっくり返る。
「ぐがっ……あがっ……放せ! お前ら、タダで済むと思うなよ!」
「往生際が悪いぞ、城崎。お前たちの裏のしのぎも、フロント企業の脱税も、すべて片はついている」
捜査員の冷たい声と共に、城崎の両手首にガチリと無慈悲な手錠が嵌められた。
「城崎組組長・城崎、および藤堂ネクスト代表・藤堂。お前たちを組織犯罪処罰法違反、インサイダー取引、および巨額脱税の容疑で現行犯逮捕する!」
「お、俺が逮捕……? 何かの間違いだ! 俺はただ、最先端のビジネスをしていただけで――」
藤堂が虚ろな目で手を伸ばすが、その手首にも即座に冷たい金属の手錠が繋がれた。
「ひっ……いやぁぁぁ! 何よこれ! 私は何もしてないわよ! 私はただ、お酒を飲んでお祝いをしていただけで、ビジネスのことなんて何も知らない一般人よ! 関係ないわ、離しなさいよ!」
美咲はパニックを起こし、狂ったように自分の髪を掻きむしりながら床へたり込んで叫び声を上げた。捜査員の服を引っ掻き、必死にその場から逃げ出そうとする。
しかし、前に歩み出た年配の警部が、美咲の前に一枚の書面を突きつけ、冷酷な声でその罪状を読み上げた。
「高橋美咲。お前には別の容疑がかかっている。――数日前、城崎の組織に対して『佐藤誠、および白雪華に対する誘拐・監禁致死傷教唆』を明確に行ったな? その音声ログ、および暗号通信データは、すでに警視庁のメインサーバーへ提出されている。言い逃れは不可能だ」
「な……音声……ログ……?」
美咲の思考が完全に停止した。
あの夜、六本木のクラブの密室で、藤堂を煽るために口走った、佐藤蓮の家族を破滅させるための最悪の犯罪計画。誰も聞いていないはずの、極道との裏取引の会話が、なぜ警察の手に渡っているのか。
「それだけじゃない。年齢詐称による高級クラブへの出入り、組織的売春への関与、不倫による教唆の事実も含めて、お前のすべての余罪は証明されている。同行を願おうか」
「嫌ぁぁぁ! 離して! 触らないでよ! 私は夜の街の女王なのよ! あんな底辺高校の泥水みたいな生活に、あの負け犬のどん底に戻るなんて絶対に嫌ぁぁぁ!!」
美咲は狂ったように暴れたが、二人の大柄な捜査員に両脇をがっちりと固められ、足をもつれさせながら引きずられていく。数百万の毛皮のコートは床に擦れて引き裂かれ、贅沢なメイクは涙と鼻水でドロドロに崩れ、剥き出しになった醜悪な素顔が露呈していた。
藤堂もまた、「俺は、俺は時代の申し子だ……数百億の利権が……」と、焦点の合わない目で虚しい譫言を吐きながら、無様に連行されていった。
大旦那という最高権力者の意志によって発動した、表社会の警察組織による圧倒的な大粛清。
そして同時刻、裏社会でもまた、完璧な排除が行われていた。
大旦那の莫大な資本と政治力をバックにした経済ヤクザ・乾の組織が、城崎のフロント企業、縄張り、裏利権のすべてを「合法的かつ完璧に買収」し終えていたのだ。城崎組の残党たちは、抗争を起こす間もなく、ただ書類一枚の威力によって裏社会のカーストから完全に消去された。
藤堂、城崎、そして美咲。奴らが他者を踏み台にして築き上げた偽りの砂の城は、新世紀の幕開けの鐘と共に、表からも裏からも、一文字の例外もなく跡形もなくこの世界から消滅した。
◇◇◇
――同時刻。静寂に包まれた『RS-HS』のオフィス。
トリプルモニターに映し出された六本木の「集団逮捕」の文字を見届け、源さんがプハァとシャンメリーを一気に飲み干した。ビンをデスクに置くと、乾いた音が静かに響く。
「――お疲れ、蓮。完璧な手際だったな。いやぁ、警察の突入のタイミング、お前の組んだタイマーと一秒の狂いもなかったぜ」
「ええ。お疲れ様でした、源さん」
学ランの袖をゆっくりと正し、静かに立ち上がった。
「これで、誰も俺たちの領域を侵すことはできない。完璧な結果です」
「そうだな。お前の親父さんも、今頃は家で何も知らずに新しい年を迎えてる。……あ、そういえば、華ちゃんの方はどうなんだ? さすがに今夜は何が起きるか、少しは話してあるんだろ?」
源さんの言葉にわずかに表情を緩め、ポケットから静かに携帯電話を取り出した。
画面には、事前に設定されていた華からのメッセージが表示されている。そこには、『佐藤くん、新世紀おめでとう! わたしのイラスト、もうすぐ完成するよ。一番に見てね』という、最高に純粋で温かい言葉が並んでいた。
「いいえ。白雪さんには、裏社会のノイズを感知させる必要はありません。彼女はただ、その圧倒的な才能を伸ばし、世界一美しい絵を描いていればいい。それが、俺の望みですから」
「ハハハ、相変わらず過保護だな、ボス。まあ、そのおかげで俺たちもこうして最高の新年を迎えられたわけだ」
蓮は静かに窓の外を見つめた。
オフィスの大きなガラス窓の向こう、東京の夜空には、新世紀の幕開けを祝う色鮮やかで美しい大輪の花火が、次々と打ち上がっていた。
ドン、ドンと腹に響くその祝福の音と、夜空を彩るサクラ色の光は、これから蓮と華、そして佐藤家が歩む先を優しく、そしてどこまでも明るく照らし続けているように見えた。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
これにて一旦第2章のメインストーリーは終了になります。
この後は3章(大学編)に向けて小さなサブストーリーを幾つか投稿した後、第3章へと移っていきますので引き続きよろしくお願いいたします。




