1章-9 「暗殺者失格②」
「すまない、外に出る。開けてくれないか?」
リゲルは檻の置かれた部屋のさらに奥へと進み、裏口の前で店主に声をかけた。
「……目立つんじゃねぇぞ。ここいらの人間はすぐ噂にするんだから。」
「どうせ今、人はいないだろう?」
「…まあな。」
「ルーナ、行こう。」
わたしはしぶしぶ、リゲルが差し出した手を取る。
店の裏口は断崖に繋がっていて、出窓のように突き出ていた。
空は晴れ晴れとして、ちょうど夕日が西の山脈に沈むところだった。夕日は熟れた桃のように空を金と朱色に滲ませ、麓から崖下までに広がる大森林の影の輪郭を黒くかたどっている。
リゲルはわたしの方へ振り向いた。
「リゲル様……?」
「ルーナ、私は、この国を守りたいのだ。」
なんて真っ直ぐな眼差しだろう。陰に生きるわたしはその太陽のような眼差しに焼かれてしまいそうだと思った。
「父上は変化を嫌いすぎているのだ。
洪水を恐れ川をせき止めていても、水はいずれ何倍にもなってこの国に流れ込んでくる。」
「………」
そんな目で、わたしを見ないで欲しい。
「…しかし、私にも矜持というものがある。
私は、今はまだ死ぬわけにはいかないのだ。これから王になり、民を導く兄上のためにも。」
「……ご立派、です。」
嘘偽りの無い言葉に、つい目を逸らしてしまう。そんな様子を見かねたのか、リゲルは言った。
「……ルーナ、私とて、父上が秘密の私兵を持っていることくらい知っている。」
その言葉にはっとして、彼の方を見てしまった。夕焼けにすら染められることのない、エメラルド色の瞳と目が合う。
「じゃあっ、今日わたしと二人きりになったのは、わたしが暗殺者だと全部分かってたのに、わざと……っ」
リゲルは肯定するように微笑んだ。動悸がする。目の前の男が何を考えているのかわからない。
……苦しい。どうせ誰も見ていないなら、いっそ、この場で楽にして欲しい。彼なら簡単にできるはずだ。
けれどリゲルは言葉を続けた。
「たがら、味方が欲しい。この国を守る為にも。ルーナ、私の味方になってくれないか。」
「……どうして…!どうしてそんなことが言えるのですか!」
「ルーナはどうしたい?」
「どうって……」
「ルーナ自身も、父上と同じように、私を始末することで国内の均衡を保ちたいと思うか?」
「わたしは…」
ここまで自分の意思を問われることが、恐ろしいとは思わなかった。
開かずの間の扉を無理矢理こじ開けられたような感覚だ。いままで考えないようにしていた埃まみれの本当の気持ちを、乱暴に部屋から引き摺り出されたようなおぞましい感覚。
そんな時、また頭の中で、ご主人様の声が反芻する。
『信頼しておるぞ』
『──ルーナはどうしたい?』
『魔法を打て!打てぇ!!』
「私はルーナ自身がどう考えているかを聞きたい。」
リゲルの声が、自分の心から発せられる疑いが、ご主人様の声をかき消していく。
自分の行いがご主人様の役に立つのみならず、王の為、そして国の為だと何も疑わずにいられた頃は、なんと愚かで、幸せだっただろうか。
胸が張り裂けそうな程に思いが溢れ、ボロボロと涙を流して泣いてしまった。
「わたしは、あなたを殺したくない…!」
リゲルは安心したようにフッと笑うと、わたしの手を取った。
「では、私のところへ来い。」
「……?」
「私にはルーナが必要なのだ。」
「なんで……どうしてわたしなのですか?
わたしをあなたの陣営に取り込んだところで、得られる情報はたかが知れているはずです。」
そうだ。わたしはいわゆるトカゲの尻尾に過ぎない。いざとなれば簡単に切り捨てられる存在で、重要な情報は知らされていない。そんなことはリゲルでも分かっているはずだ。
だったら、どうしてリスクを冒してまでわたしを味方に引き入れたがるのか……?
「……む、それはだな……その、まあ、一目惚れと言うやつだ。」
「……へ?」
「だから!……これだけは、国の未来というよりも、個人的な感情なんだ。他ならない私が望むことだ。」
夕日の色で分かりづらいが、髪をいじりながら、耳を赤くしているのが見えた。あまりの言い分に呆れてしまった。
「理由になっていませんっ!」
「だとしても、私にはルーナが必要だ。」
「……そんなの、許されるはずがありません。あなたにだって立場があるでしょう?」
「ああ、だがな。知っているだろう?ルーナ、私は我儘なんだ。」
「……知っています、知っていますとも!あなたはほんとうに、ほんとうに、わがままです!
あちこち他人を振り回してっ!それに、わたしを許してしまうくらいに馬鹿で、強くって、お人好しです!」
「ふははは!私に向かって馬鹿か!やっと本音を言ってくれるようになった!!」
リゲルは嬉しそうに大笑いしながら、わたしの身体を抱き寄せた。緊張して大きくなった心臓の音が、リゲルに聞こえてしまわないかドキドキした。
「……はぁ〜〜、
ルーナ、これからは私と共に歩いてくれないか。まぁ、口先だけで拒否したところで連れて行くが。」
「……わがままですね。」
「だろう?」
リゲルは満足そうに微笑んだ。
店の中に戻ったとき、魔導書を持ち出して座って待っていた店主は、リゲルに声をかけた。
「用事は済んだのかい?」
「ああ、礼を言う。」
「けっ。……せいぜい足を掬われるなよ。」
「…気をつけよう。」
店主はわたしたちを見送った後、飾りを片付け、店を閉めた。
店を出た時には既に太陽が沈み、西の空にわずかに朱色の帯を作るのみだった。空のほとんどは深い青に包まれ、今日の終わりを告げていた。
隣を歩くリゲルのことが気になって、わたしは彼の小指に、ぎこちなく触れた。リゲルは何も言わずにわたしの手を握った。その後は、そのまま一緒に手を繋いで歩いた。
「アンタたち、どこ行ってたんですか‼︎」
待ち合わせ場所に戻った時、リゲルといつも一緒にいる側近の青年、イアンが鬼の形相で仁王立ちをして待ち構えていた。帽子を斜めにかぶっている。彼らしい、なけなしの変装センスだ。怖い顔をしているはずなのに、どこか可笑しい。
おそらく控えていたであろう護衛たちがイアンを「まぁまぁ、」となだめている。
「すまない、大事な用事を済ましてきたんだ。世話をかけたな。」
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんわ。」
リゲルに合わせて、一緒に謝る。するとイアンは呆れたようにため息をついた。
「……はぁ、仕方ない。今回だけは見逃してあげましょう。今回だけですからね!???
……で、話はついたんでしょうね。」
わたしとリゲルは、お互い顔を見合わせて笑った。
今までに無いほど晴れ晴れした気持ちに満たされていたわたしは、この時、ご主人様の『目』がすぐ側にいた事に、気がついていなかった。




