1章-10 「つかの間の思い出」
「そうか、あの娘は裏切ったか……」
シンシアにご主人様と呼ばれる男は、月夜の晩、椅子にもたれかかりながら、部下である『目』の報告を受け、確認するように呟いた。
「やはり、女というものは…信用ならんな。感情が絡むとどこまでも狡猾で……愚かになる。」
「ルーナ・フローリーはどうします?……処分、いたしますか?」
処分という言葉を聞いた男はゆっくりと深呼吸をして、病で悪くなった右足の膝をさすった。
「……私はこの40年間、王家に忠誠を誓って以来、一度としてそれを違えたことがなかった……。」
「……」
「貴様もだな。貴様のような男こそ、真の忠臣と言えよう。」
「…滅相もございません。」
「私の役目も、もうすぐ終わる。」
男は自身の右脚を強く叩いた。日に日に、まともに動かなくなってきているのだ。以前、持病が悪化して倒れたこともあった。
一命は取り留めたものの、身体は回復の兆しも無く衰えることから、彼自身、王権の守護者としての役割の終わりを感じていた。
「……陛下の思い描く世界の邪魔になる芽は、早く摘んでおかねばならぬ。」
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わたしはリゲルに協力する貴族の別邸に匿ってもらうようになった。要は隠れ家だ。人里離れたところにあって、部外者と関わることは滅多に無い。
一応わたしはリゲル陣営の協力者として情報提供などの手伝いを行ったが、彼の陣営は少数だが有能な人材が揃っていた。かなり効率よく情報を集めている様で驚いたと同時に、わたしの出る幕は無く、新参者としては、少し肩身が狭い。
けれどこの生活に不満は無かった。陣営の人たちは敵側だったわたしを彼らは嫌な顔せず受け入れてくれた。結局、リゲルがそれだけ信頼されているのだろう。
(寝苦しい……)
わたしは与えられた自室のベットで横になるも、なかなか寝付けなかった。これからのこともあり、不安で早く起きてしまったので、1人で屋敷の図書館に向かう。まだ暗い時間だが、窓から差す青い光を頼りにすれば、なんとか文字を読めそうだ。
わたしはいくつかある本の中から国の農業に関する本を手に取って、テーブルに広げた。
内容は、鉄製農具の普及により、魔法に頼らずとも農業生産力を維持しやすくなったとか、魔獣は動物たちと違って直接的に農作物を襲うことは稀だとか……そんな難しいことが書かれていた。
ご主人様の元では知る機会すら無かった知識ばかりで、ページをめくるたびに新しい驚きがある。
「ルーナ、おはよう。早いな。」
「あ、おはようございます。リゲル。」
本に夢中になっていたからか、気が緩んでいたからか、リゲルが近くにきていたことに全く気が付かなかった。
「農学の勉強か?」
「はい。この国のこと、もっと知りたくて。」
「そうか。精が出るな。
イアンか、コリーに言えばもっと詳しいのを借りられるだろう。あとは好きに使っていい。」
「はい。ありがとうございます。」
リゲルはわたしにそう声をかけると、図書室を出ていってしまった。何か用事があるのだろう。
(…リゲルも早く起きてしまったのだろうか?)
リゲルには、あれから色々と気遣ってもらっている。わたし自身が微妙な立場にいることはもちろんだが、精神面でも心配をかけてしまっている。だからせめて、何かしら、彼の役に立ちたい。そう思い、また本のページをめくった。
読み進めていくうちに、ふと、人の気配を感じ、テーブルに本を置いて廊下に出た。リゲルがまた来たのだろうか。
「リゲル……?」
そう思い、声をかけるも、誰もいない。
「誰も……いない?」
辺りを見渡すと、廊下の奥に、何かがユラユラと動いているように見えた。
(なんだろう、あれ蜃気楼……?)
……いや、あれは、魔法だ。人だ。
空気の歪みから、黒ずくめの仮面を被った不気味な男が見えた。体格的に中年くらいだろうか。あの特徴的な足運び、間違いない『目』だ。まだ知らないふりをして先手を打つことはできるだろうか。
……ダメだ。わたしが相手に気づいたことに気づかれてしまった。一度視線をやってしまったからだ。
他に仲間は……どうやら居ないようだけど。
狙いはわたしか。リゲルじゃないのは良かったが、油断していた。さすがご主人様だ。1週間も経たずして、もう刺客を送り込んでくるとは。
黒ずくめの男は他の人間にわからないよう足音を殺し、わたしに近づいてきた。
向かってきた、『目』なら相手は手練だ。手加減は出来ない……!
わたしは近くの部屋の中に入って扉を閉めた。物置部屋のようだ、幸い、隠れる場所はある。
追ってきた男が慎重に扉を開ける。短剣を左手に持っているようだ。
わたしは部屋の中で息を潜め、死角から毒矢を放った。魔法を使ったせいで紫色の光が発生し、相手に勘付かれたが、毒矢は咄嗟の防御姿勢をとった男の手のひらを僅かにかすった。
十分強力な毒だ、もう数歩で動けなくなるだろう。
(この人、わたしの弓矢を知らなかったのか……)
男の動きが遅くなった。……と思った次の瞬間、男は一気に踏み込んできた。
既にもう一矢魔力の矢を準備したところだったが、放つには力を込めきれていない。間に合わないと判断し魔力を弓矢から球形に戻したが、すぐに男がわたしに覆い被さり、右手首をぐっと掴まれ、魔法を封じられた。
この魔法の使い方はおそらく空属性だ。この動き、やはり、見覚えがある。男は左手に持った短剣をわたしに振り落とした。
(殺される……!)
そう思った瞬間、炎と風を合わせた魔法が男の左脇腹を貫通した。流れ弾に当たった壁が焦げ付く匂いがする。耳元で、カラン、と短剣が床に落ちた音がした。
この魔法は……
「リゲル……!」
男の脇腹がごっそりとえぐれ、大量の血がボダボダと床に落ちる。男は右手で傷口を押さえているが、どうしようもないようだ。出血のショックか、毒が回ったのか、男はよろけてそのまま倒れ込んだ。
「大丈夫か!」
駆けつけたリゲルが男の体をどかし、心配そうに肩を抱えてくれた。異変に気づいたリゲルの部下たちも、急いで数名部屋に入ってきた。
「ありがとうございます。問題、ありません。」
わたしは指先をピクリとも動かさなくなった男の様子をうかがった。
仮面の隙間からわずかに覗く青色の瞳孔は、黒々と開き切っている。体の向きを直し、慎重に仮面を取り外して顔を見てみると、見知った顔だった。
知っている。何度か一緒に仕事をしたことがある、ご主人様の部下の1人、かつての同胞だ……
「……この男はルーナの知り合いか?」
「わたしと同じく、王の『目』の者です。ですが彼もわたしと同様に、末端の人間に過ぎません。使い捨てでしょう。」
「………そうか。」
「……この人は、昨年、2人目の娘が生まれたばかりでした。おそらく、妻共々この人が死んだ事も、何も知らないまま路頭に迷う事になるでしょう……。」
彼は、どんな気持ちでわたしたちを始末しにきたのだろうか?……彼らにとって、わたしは裏切り者だ。
「この人は時折、任務よりも家族を優先するようになっていました。……だから彼をここに送り込んだ。
情というものを信用していない、ご主人様らしいやり方です。」
そうだ。ご主人様を裏切り、リゲルの側についても、権力争いの渦中にいる以上、地獄のような殺し合いは避けられない。
隣で心配しているリゲルの顔を見た。大人びているからといって、まだ16歳の少年だ。どこか、子供のようなあどけなさがある。
この人だけは、護らなければ。たとえ、わたしの命に代えても。そう決意した。
……その時、ふと思い至った。もしかしたら目の前で倒れているこの人も、今のわたしと同じ想いだったのかもしれない。ただ、自身の置かれた状況の中で、大切な人を守りたかっただけなのかもしれない。
だとしたら……わたしは……わたしはまた、なんて取り返しのつかない罪を犯してしまったのだろうか。
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翌日、わたしはルーナ・フローリーとして宮廷の晩餐会に参加した。ご主人様はご病気でいないのが幸いした。義両親は相変わらず肩身が狭そうにしていたが。
この日は教団にとって特別なお祝いらしく、市民階級ではお目にかかれないような豪華な食事がテーブルに並べられ、美味しそうな貴重な海洋動物の肉が一際目立っていた。
身分が低いわたしは、目立たないよう公人であるリゲルとは別行動を取る。
今回は王族も来る夜会で、姫君たちはもちろん、第2王子、第5王子もきているらしい。第3王子は他国へ留学中で不参加だそうだ。遠目に見ていると、それぞれ身の振り方に個性があった。
(皆、リゲルとは似ていないなぁ……)
そんなことを考えながら、少しだけテーブルの上の肉を食べる。
今日の晩餐会は、王宮の夜会にも関わらず、肝心の国王陛下がまだいらしてないようだった。理由は分からないが、ご病気だということで遅れているのかも知れない。
それに、リゲルと仲が良いメイサ第1王子の姿も見当たらない。
「メイサ第1王子はまた来られないのか。」
「では、ご病気という噂は本当か…」
「例えご病気だとしても、このような機会にまで来られないのはいかがなものでしょうか。」
(貴族たちからも噂されている。やはりこのような場には出て来れないのかな……)
メイサ第1王子は、リゲルからは精神的に不安定だとは聞いている。詳しい事情は分からないが、人が多いところには調子が良くないと出られないらしい。
そんなことを考えている時だった。
「国王陛下が暗殺された……!?」
(……え?)
どこからか聞こえた声に、人々がザワザワと騒がしくなった。
「何、それは今しがたか?」
「いや……、未遂のようだ。」
「何者かに襲撃されたって」
(国王陛下の暗殺……⁉︎)
突然の不穏な言葉によって、情報の錯綜が起きている。人々の間に、不安の色が広がる。
ガシャンッ
「父上がっ!?それは本当か!?」
「いやぁああっ!!」
部下に耳打ちされた第2王子が手元のグラスを落として、大声で叫ぶ。近くにいた第3王女がそれに動揺して悲鳴をあげた。連なるように、何も知らない若い娘たちが悲鳴をあげた。影響された貴婦人がめまいを起こして倒れ、若者たちは大袈裟に騒ぎ立てている。
「きゃああああ‼︎」
「国王陛下はご無事か!?」
「一体どうなっているの?」
その状況に、冷静だった者たちも、徐々に混乱した雰囲気に飲まれていった。
この時、会場は、恐怖に支配された。
「誰が王を暗殺したのか?」
「誤報は本当か?」
「国王陛下が暗殺されたら、この国はどうなるのか?」
「身の振り方を考えねばならないか?」
皆が国王陛下の暗殺に注意を向けている中、わたしは別の不安が頭によぎっていた。
(もしこれが誤報なら、一体なんの意図がある?)
───リゲルが、危ないかもしれない。
「道を開けろ!」
会場の混乱がピークに陥った時、格調高い豪奢な鎧を着た、王の近衛兵が現れた。
「国王陛下はご無事である!」
第一声で、国王陛下の無事を伝える。人々の間に安堵や驚きの声があがる中、近衛は言葉を続けた。
「しかし、襲撃されたのは事実だ。」
安堵の声は再びざわめきに変わり、そして疑いや怒りに至った。けれど近衛の言い方は、緊急事態にしてはどこか芝居がかっていて、わざとらしい。
「襲撃を指導した人物がこの場にいる可能性がある!」
とうとう疑心暗鬼が蔓延した。人々は恐怖し、互いに顔を見合わせた。
「犯人確保のため、皆々様にも、ご協力願いたい。」
わたしは冷静になろうと深呼吸をする。
まだリゲルが捕縛対象とは限らない。落ち着け。
いや……、近衛兵たちの目配せ、目線、リゲルを捕える気だ。リゲルもそれに気がついている。
……ご主人様が計画したことか?だとしたらご主人様らしくない、随分強引な手段にでたものだ。いや、寧ろ国王陛下自身が……?どうしても、リゲル第4王子を仕留めておきたいか……
国王陛下も国王陛下だ。そうまでして、リゲルに執着する理由はなんだ。
そうこうしている間にも、近衛兵たちはリゲルの元へ向かっている。
ダメだ。今は考えるな、リゲルをどう生かすかを考えろ。
……わかっていた。わたしたちに幸せな未来などないと。それでも夢を見ていたかった。
だけど、それももう終わりだ。
だからこの夜、わたしはある決断をした。




